書き残したいこと 8
2025年7月6日 寺岡克哉
8章 永遠の生命
私は、以前に6章で「死後の世界」を否定し、7章では「生まれ変わり」を否定しまし
た。
そうすると、「死後の世界」も「生まれ変わり」も存在しないのなら、「死んだら全てが
終わりではないか!」と、思う人が出てくるかもしれません。
しかし、そんなことはありません。なぜなら、死んでも全てが終わるわけではないから
です。
以下、そのことについて説明して行きましょう。
* * * * *
まず、あなたや私を含めた全ての人間は、生きてさまざまな活動をすること、つまり
「生命活動」をすることにより、「この世界」に対して、いろいろな影響を与えています。
そして、その「生命活動」によって「この世界」に与えた影響は、時間が経つにつれて
波及拡大して行きます。
たとえば「呼吸をする」という生命活動によって、「二酸化炭素を出す」という影響を、
この世界に与えたとします。
そうすると、呼吸で出した二酸化炭素は、植物の光合成に使われます。さらに光合成を
して育った植物は、草食動物に食べられ、草食動物は肉食動物に食べられます。その一方
で、動物の糞(ふん)や死骸は、細菌によって分解され植物の肥料となります。
このように、「呼吸をする」という最も基本的な生命活動の一つを取り上げただけでも、
それが「この世界」に与える影響は、どんどん波及拡大して行くのです。
また例えば、「ご飯を食べる」という生命活動によって、農業、漁業、畜産業、食品加
工業、運輸業、流通業、小売業など、さまざまな人々の「生命活動」を支えています。
そして、それらさまざまな人々の生命活動は、さらに色々な影響を「この世界」に与え
て行き、それらの影響はさらにもっと波及拡大して行きます。
ところで人間の生命活動は、出産や育児、農業、漁業、畜産、工業、建設、運輸、流通、
小売、金融、情報、通信、医療、教育、文化、学術、芸術、スポーツ、芸能、政治、宗教、
戦争、平和運動、難民救済、環境破壊、環境保護、宇宙開発など、ほんとうに多岐に及ん
でいます。
そして、それら様々な生命活動は、さらに色々な影響を「この世界」に与えて行き、そ
の影響はさらにもっと波及拡大して行くのです。
このように、すべての人間が行うさまざまな「生命活動」は、いろいろな影響を「この
世界」に与え、それらの影響は時間と共にどんどん波及拡大をつづけて行くわけです。
* * * * *
しかも、あらゆる人が行う生命活動の影響は、その人が死んでも波及拡大を続けます。
たとえば「子孫を残す」という生命活動は、親が死んでも子々孫々とつづいて行き、波
及拡大が止まることはありません。
また、およそ1万年前に始まった「農耕」という生命活動も、子々孫々と受け継がれて
行き、1万年前の人々が死んだ後も、現在まで波及拡大を続けてきました。
さらには、教育、文化、技術、伝統、風俗、社会風潮などと言ったものも、時代ととも
に変化や進歩をしながら受け継がれて行き、昔の人々が死んだ後も波及拡大を続けている
のです。
このように、あらゆる人が行う、さまざまな生命活動の影響は、その人が死んだ後も波
及拡大をつづけます。
ゆえに、死ねば確かに自我意識は消滅しますが、しかし、それで全てが終わるわけでは
ないのです。
* * * * *
ところで、あらゆる人が行う生命活動が「この世界」に与える影響は、その人が死んだ
後も「永遠」に波及拡大します。なぜなら、原因と結果の「因果関係」というものが永遠
に続いて行くからです。
つまり、ある人が行った生命活動が「原因」となって、この世界に何らかの影響を「結
果」として与えますが、その与えられた「結果」が新たな「原因」となって、この世界に
さらなる影響を「結果」として与えるという、そのような「因果関係」が永遠に続いて行
くからです。
たとえば具体的な一例として、上で取り上げた「呼吸」という生命活動によって出した
二酸化炭素は、地球の生態系内での「炭素循環」として永遠に巡(めぐ)ります。
つまり、呼吸→二酸化炭素→植物→草食動物→肉食動物→細菌→植物→草食動物→肉食
動物→細菌→植物・・・と、因果関係が永遠に続いて行くわけです。
そしてさらに、この「炭素循環」によって地球の生態系が保たれ、その生態系内で人類
を含めた生命たちが進化し、やがて「生命活動の影響」は、地球の外にも波及拡大して行
くことでしょう。
たとえば現在でも、少人数ならば国際宇宙ステーションでの生活が可能であり、パイオ
ニアやボイジャーなどの無人宇宙探査機ならば、太陽系の外にまで進出しています。
だから、生命活動が引き起こした因果関係は、地球が滅んだとしても永遠につづいて波
及拡大して行くのです。
さらに普遍的な話として、何かの「原因」が生じれば、必ず何らかの「結果」が生じま
す。そして「結果」として何かが生じたなら、それは必ず何かの「原因」になってしまい
ます。
ゆえに、原因と結果の「因果関係」は、永遠に続いて行くのです。
従って、あらゆる人が行う生命活動が「この世界」に与える影響は、その人が死んだ後
も「永遠」に波及拡大するわけです。
* * * * *
ところで、以前に1章で「神とは、この世界そのものである」と定義しました。
そして、あなたや私を含めた全ての人間は、もちろん「この世界」の一部ですから、
「神の一部」です。
さらにまた、上で述べた「永遠に波及拡大する生命活動の影響」も、この世界の一部で
すから、もちろん神の一部です。
ゆえに、あらゆる人が行う生命活動の影響は、神の一部として永遠に存在し、波及拡大
を続けるわけです。
また、以前に1章で述べたように、「この世界に存在する個々のもの」には神が存在し
ませんが、それらが集まり複雑に関係し合うことによって「創発」という現象が起こり、
神が創成されます。
そして、この世界に存在する「個々のもの」というのは、この世界に存在する「さまざ
まな要素」という意味なので、さまざまな物体だけでなく、さまざまな「事象」もとうぜ
ん含まれます。
つまり、さまざまな作用や影響、反応、変化、生成、崩壊、法則、情報、偶然や必然な
ども、「この世界に存在する個々のもの」に含まれるのです。
従って、「あらゆる人が行う生命活動の影響」も、そのそれぞれが「この世界に存在す
る個々のもの」となります。
ゆえに、あなたや私を含めた全ての人間は、死んだ後も「生命活動の影響」として波及
拡大しながら永遠に存在しつづけ、「この世界の一部」すなわち「神の一部」として「神
の創発」に貢献(こうけん)し、永遠に神を支えつづけて行くのです。
そしてこれが、肉体の死(つまり自我意識の消滅)によらない「永遠の生命」であると、
私は考えています。
なぜなら、「生命活動の影響」が波及拡大という「さらなる活動」をつづけ、この世界
に対して影響を与えつづけるなら、それは生命活動がつづいているのと、意味としては全
く同じだからです。
従って「生命活動の影響」は生命活動をつづけるのであり、それが生命活動をつづける
のであれば、「生命活動の影響」は広い意味で「生命」であると言えるでしょう。
そして、「生命活動の影響」が「生命」であり、それが波及拡大しながら「永遠に存在
しつづける」なら、「生命活動の影響」とは「永遠の生命」に他ならないのです。
ところで、この「永遠の生命」は、「終わりのない永遠の苦しみ」というものには絶対
になり得ません。なぜなら以前に5章で述べたように、死んでしまったら(自我意識が消
滅したら)、何億年という長い時間でも、それこそ永遠の時間でさえ1秒にも感じること
が出来ないからです。
つまり「永遠の生命」とは、「一瞬にして永遠」なのです。
* * * * *
もしも私が死んだら、死後の世界に行くのではなく、生まれ変わるのでもありません。
私が死んでも、永遠に「神の一部」として私は存在しつづけ、永遠に神を支えつづけて
行くのです。つまり、私の肉体が死んで自我意識が消滅しても、私は「神の一部」となっ
て永遠に生きつづけるわけです。
さらにこれは、私だけでなく、この「永遠の生命」を理解して納得さえすれば、すべて
の人にも言えることです。つまり「永遠の生命」は、すべての人がすでに持っており、そ
れを認めるか認めないかだけなのです。
そして、この「永遠の生命」を理解して納得することこそが、
「死後の世界」や「生まれ変わり」という虚構(きょこう)への信仰に頼(たよ)るこ
となく、合理的で科学的な事実とも矛盾せず嘘偽(うそいつわ)りのない、本当の「死か
らの救い」であると私は考えています。
つまり、
「永遠の生命」を理解し納得する者は、死んでも生きます。
生きていて「永遠の生命」を理解し納得する者はだれも、決して死ぬことはないのです。
ちなみにキリストは、「わたしは復活(ふっかつ)であり、命である。わたしを信じる
者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
このことを信じるか。(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章25~26節)」と、言っ
ていますが、それを私は、この最終章で述べたように理解している次第です。
終わり
あとがき
おそらく本書は、多くの人々から批判を受けることと思います。
なぜなら、
まず1章で、「この世界」は「この世界の外にある神」によって創造されたとする「有
神論」を否定したので、ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教を信仰する人々からの
批判を受けるでしょう。
そして6章で、「死後の世界」を否定したので、天国や地獄の存在を説くさまざまな宗
教や、死後の世界を信じる人々からの批判を受けるでしょう。
さらに7章で、「生まれ変わり」つまり「輪廻転生(りんねてんしょう)」を否定した
ので、それを説いている仏教や、その他にも生まれ変わりを信じている人々からの批判を
受けるでしょう。
このように本書は、ほんとうに多くの人々を不快にさせる内容だと思います。
が、しかし人類は、もはや虚構で塗り固められた従来の宗教観から、脱却するべきだと
思います。
そのために私は、合理的で科学的な事実とも矛盾せず、嘘偽(うそいつわ)りのない死
生観や世界観を提示したいと考えて本書をまとめました。
つまり、「死後の世界」や「生まれ変わり」が存在しないからこそ、3章で述べたよう
に自分の自我意識が存在することは、無限の過去からの長い時間のなかで、たった一度だ
け起こった最大の奇跡となるのです。
そして、奇跡中の奇跡として与えられた自我意識を、「完全でゆるぎない幸福」へと導
く方法が、4章で述べたように神(この世界)を愛することなのです。
しかしながら、最大の奇跡である自我意識も、いつかは肉体が死んで消滅してしまいま
す。が、しかし、「死後の世界」や「生まれ変わり」が存在しないという事実を認めた上
で、自我意識の消滅から人間を救い上げるのが、8章で述べた「永遠の生命」なのです。
私は、一人でも多くの人が、自分の自我意識が存在するという奇跡を知り、完全でゆる
ぎない幸福を目指して、永遠の生命が得られることを望んでいます。そして、そのための
方法が、私の「書き残したいこと」だったわけです。
2025年7月6日 寺岡克哉
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