書き残したいこと 6
2025年6月22日 寺岡克哉
6章 死後の世界は存在しない
前の5章で述べたように、死とは永遠であるが一瞬であり、死んでしまったら、たとえ
無限の時間が経っても、それを1秒にさえ感じることができません。
ゆえに、「死後の世界」というのは存在しません。死んでしまったら、「死後の世界」を
見たり感じたりしている時間など、まったく存在しないのです。
従って死後には、天国も地獄も、あるいは「一人ぼっちの暗黒の世界」なども存在する
はずがありません。
* * * * *
死後の世界は存在しない! これが、私の確信している結論です。
しかしながら、天国や地獄などの「死後の世界」という概念が、なぜ現代においても人
類社会に根強く残っているのかを、私は考えてみることがあります。
天国や地獄の概念は、ヨーロッパやアメリカなどの西洋であれ、インドや中国や日本な
どの東洋であれ、世界中で何千年も前から形成されているのです。
そして現代においても、死後の世界を信じている人々が、まだ世界中にたくさんいます。
たとえば「World Values Survey(世界価値観調査)」による2017年~2020年の公開
結果によると、アメリカは先進国であるにもかかわらず、7割近くの人々が死後の世界を
信じているのです。また、トルコやイランは9割以上、エジプトやフィリピンでは8割以
上の人々が死後の世界を信じています。これには、それなりの理由があるはずです。(ち
なみに日本は、死後の世界を信じている人々が3割ていど。)
まず、その理由として第一に考えられるのは、「死」に対する恐怖です。
「死後の世界」を信じる人々は、死によって「自我意識」が永遠に消滅してしまうこと
が、恐ろしくて耐えられないのだと思います。だから、「自分が死んでも、死後の世界で
自我意識は永遠に存続する!」と、信じたいのだと思います。
また、たとえ死後の世界を信じない人であっても、老齢になって体が衰弱(すいじゃく)
したり、末期ガンなどの助からない病気になったとき、つまり死期が迫(せま)っている
のを自覚したときには、死後の世界を信じるようになる場合もあるでしょう。それほど、
自我意識が消滅するというのは、恐ろしくて耐え難(がた)いことなのです。
つぎに第二の理由として、天国や地獄の存在は、この世を正しく生きるための動機づけ
になります。
つまり、「死後に天国へ行きたい!」とか「死後に地獄へ落ちたくない!」という気持
ちが、この世で善を為(な)し、悪を為さないことの動機になるのです。
死後に天国へ行きたいから、多少は嫌なことや損になっても、この世で善い行いや正し
い行いをするのです。また、死後に地獄へ落ちるのが嫌なので、殺人や窃盗(せっとう)
などの悪を為さないのです。
天国や地獄は、永遠に続く世界です。天国へ行けるか地獄へ落ちるかは、永遠に続く幸
福か、永遠に続く苦しみかなのです。それに比べれば、人生における50年や100年ぐ
らいは、すこし我慢して正しく生きようという気持ちになるのだと思います。
天国も地獄もなく、死ねば皆同じになってしまうのならば、無理をして善い行いや正し
い行いをする必要もなく、「生きている間に、悪いことでも何でもやりたい放題にやって
やる!」と、言うことにもなりかねません。
昔の時代は、法律や警察などが現代ほど整備されていなかったので、社会秩序(しゃか
いちつじょ)を保つためにも、天国や地獄の概念を民衆に浸透させる必要があったのかも
知れません。
そして第三の理由として、天国や地獄の概念は、「愛する人を失った苦しみ」を和らげ
ることができます。
愛する人が死んだ時は、ものすごく大きな苦しみに見舞われてしまいます。その理不尽
さと居たたまれなさに、気が狂いそうになっても不思議ではありません。そのような時に、
「死んだあの人は、今は天国で幸せに暮らしている」と、心の底から思うことが出来れば、
正常な精神状態を保つことが出来るでしょう。
たとえば、自分の子供や家族や友人が、訳の分からない理由でひどい目に合わされて殺
された時の、やるせなさと理不尽さには、本当に想像を絶するものがあります。
そのような時に、「死んだあの人は、天国で優しい人達に囲まれて、幸福で安らかに暮
らしている」と、心の底から思うことが出来れば、悲しみや、やるせなさなどの苦しみが、
多少は緩和されると思うのです。そして、悲しみから早く立ち直れる可能性も出てくるこ
とでしょう。
また逆に、凶悪な殺人犯などに対しては、たとえ死刑にならなかったとしても、「死ん
でから後、永遠に地獄で苦しみを受ける!」と、心の底から思えば、犯人に対するやり場
の無い怒りや憎しみが、少しは緩和されると思うのです。
「悪い人間は、死んでから後、永遠に地獄で責め苦を受ける!」
「悪人は、例え死んでも(例え死刑になっても)、罪を免(まぬが)れることは絶対にで
きない!」
と、このように思うことにより、犯人に対する怒りや憎悪によって生じる苦しみが、多
少は和らぐと思うのです。(大変に強い怒りや憎悪は、それが生じるだけで、ものすごく
大きな苦しみとなります。)
愛する人を殺された者の苦しみは、本当に理不尽です。自分に何の過失もないのに苦し
められるのです。そして殺された当の本人よりもずっと長い年月を、苦しみに耐え続けて
行かなければならないのです。
たとえ犯人が捕まって死刑になったとしても、殺された人は戻って来ません。このよう
な絶対に解決不能な苦しみを、何とか和らげようと考え出した苦肉の策が、天国や地獄の
概念だと思うのです。
この世には、論理的、理性的、合理的には絶対に解決の不可能な、苦しみ、矛盾、理不
尽、やるせなさが、どうしても存在します。
だから現代においても、そのような、やり場の無い理不尽さに対して自分の心を整理し、
心の安定を保つために、天国や地獄の概念が必要な人々がいるのだと思います。
天国や地獄の概念は、過度の怒りや憎しみや悲しみを軽減し、平和に暮らすための「人
類の智恵」なのだろうと思います。
そしてまた、愛と善と真理の理想郷(天国)に、いつしか自分も行けるのだという希望
が、この世での矛盾に満ちた苦しみを乗り越え、正しく懸命に生きるための原動力として
働くのだと思います。(しかし、自殺をして手っ取り早く天国へ行こうとするのを防止す
るために、キリスト教やイスラム教では、古来より自殺を堅く禁止していたのかも知れま
せん。)
以上のような理由から、東洋でも西洋でも世界中で、天国や地獄の概念が形成され、現
代でもそれを信じる人々が多くいるのだと思うのです。
* * * * *
いま上で述べたように、たしかに天国や地獄の概念は、ものすごく役に立っています。
ところが!
それを悪用して、天国や地獄の概念を、金儲けや戦争の道具にする輩(やから)が、昔
も今も後を絶たないのです。
たとえば、「このままでは、あなたは地獄に落ちるぞ!」などと脅してから、それを救
うためと称(しょう)して、高額の布施や献金を要求したり、怪しげな商品を高額で売り
つけるようなトラブルが後を絶ちません。
また、「自爆テロを遂行(すいこう)して死ぬと、天国に行ける」などと唆(そそのか)
して、テロを煽(あお)り立てている悪質な過激派組織も、残念ながら世界の各所に存在
しています。
このように天国や地獄を悪用した、組織ぐるみでやっている、ものすごく悪質な詐欺
(さぎ)に対しては、ここで強く非難しておきます。そしてこれが、「死後の世界は存在
しない!」と私が主張する大きな理由でもあるのです。
* * * * *
ところで前の5章で述べたように、生まれる前の状態、熟睡の状態、全身麻酔が効いて
いる状態、心肺停止の状態という、「実在する現象」から理性的・論理的に考えれば、死
とは永遠の時間を一瞬にも感じられない状態、つまり死とは永遠であるが一瞬であり、従っ
て「死後の世界は存在しない」という結論に、どうしても至ってしまいます。
もはや、「死後の世界は存在しない」という結論にたいし、実在する証拠を示して合理
的に否定することは不可能となりました。
このような「認識の進歩」により、天国や地獄などの「死後の世界」という幻想から、
すでに人類は脱却しつつある段階に入っています。
これからの人類は、かつて否定していた地動説や進化論を認めてきたように、「死後の
世界は存在しない」という現実も、認めるようになって行くのだろうと思います。
そしてそれが、人類における進歩の正しい方向であると、私は確信しているのです。
つづく
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