書き残したいこと 5
                               2025年6月15日 寺岡克哉


5章 死とは、永遠であるが一瞬である
 「死とは、永遠であるが一瞬である」と、私は確信しています。
 なぜなら、死後には一切の認識が存在しないからです。そして、死後に認識が存在しな
いのは、死とは「自分の自我意識が存在しない状態」だからです。

 このように、「自分の自我意識が存在しない状態」という意味において、死とは「生ま
れる前と全く同じ状態」であると言えます。だから、死後の状態(つまり認識が存在しな
い状態、自我意識が存在しない状態)を考えるには、生まれる前のことを考えてみれば良
いのです。

 生まれる前の状態・・・ それは、「時間」というものを感じることが出来ない状態で
す。
 たとえば私が生まれる前には、何億年という時間がたしかに存在していました。しかし
私は、そのような長い時間を、1秒にも感じることが出来なかったのです。

 それと同じように、私の死後に何億年という時間が経っても、私はそれを1秒にも感じ
られないと思います。死んでしまったら何億年どころか、何十億年、何百億年、それこそ
「永遠の時間」でさえ、1秒にも感じることが出来ないのです。

 ゆえに死とは、永遠であるが一瞬であるのです。

              * * * * *

 ところで、死の実感(つまり自我意識が無いという実感)を体験する状態として、たと
えば熟睡(じゅくすい)の状態、全身麻酔が効いている状態、心肺停止の状態などが挙げ
られます。

 まず、すべての人が経験する「熟睡」の状態は、実感として「死」と全く同じ状態だと
いえます。なぜなら夢を見ない熟睡の状態、つまり寝落ちして時間が飛んだ場合には、時
間を一瞬にも感じられないからです。
 たとえば、もしも私が熟睡中に爆弾で吹き飛ばされるか何かして、即死させられたとし
ましょう。が、しかし、私の実感としては、やはり何の変化も感じることが出来ないと思
います。だから「死の状態」と「熟睡の状態」は、実感として全く同じ状態なのです。ゆ
えに私たちは、じつは毎日のように死を体験していると言えるでしょう。
 これにより、「死とは、永遠であるが一瞬である」ということに確信をもつことができ
ます。

 また、手術をするときに「全身麻酔」が効いている状態も、(自我意識が無いという)
実感として「死」と全く同じ状態だといえます。なぜなら全身麻酔が効いているときは、
時間を一瞬にも感じられないからです。だから、もしも全身麻酔が効いている状態のとき
に、私の頭をピストルで撃ち抜かれて即死させられたとしても、やはり私は何の変化も感
じることが出来ないでしょう。
 ところで私は、以前に心臓の手術をしたことがあるのですが、そのときに麻酔で意識を
失う瞬間を「自覚」できるかどうか、ものすごく興味がありました。それで、いざ麻酔薬
が私の体に注入されるとき、絶対に目を瞑(つぶ)らないように意識を強く集中させて、
手術室の天井(てんじょう)にある照明を凝視(ぎょうし)していました。
 そのようにして待ち構(かま)えていると、「(麻酔の)薬が右手から入るので、すこし
痺(しび)れますよ」という、担当医の声がしました。すると私は、手術室の照明を見つ
めながら、たしかに右手が痛くなるのを感じました。
 すると次の瞬間! とつぜん担当医の顔が目に入り、「寺岡さん、起きていますか!」
という声が聞こえたのです。手術は5時間ぐらいかかったのですが、しかしその間、私は
1秒どころか、ほんとうに一瞬の時間も感じることが出来ませんでした。
 この体験によって、「死とは、永遠であるが一瞬である」ということに、私はさらに確
信を深めたのです。

 ところで、現代では医療技術が進んでおり、「心肺停止の状態」から意識を取りもどし
た人が数多くいます。
 これは、私が以前に父から聞いた話ですが、父の友人が心肺停止の状態になり、病院の
集中治療室で意識を取りもどしたそうです。その、父の友人の話によると、自宅でとつぜ
ん意識が朦朧(もうろう)となり、家族に助けを求めようとしましたが、呼吸が出来なく
なって声を出すことができず、気がついたら集中治療室のベッドで寝ていたそうです。
 もしも心肺停止のまま、家族の人が気づかずに、救急車で病院へ運ぶのが遅れたら、そ
のまま確実に死んでいたことでしょう。
 私は、この話を以前から聞いていたのもあって、「死とは、永遠であるが一瞬である」
ということに、さらにもっと確信を深めたのでした。

              * * * * *

 以上、生まれる前の状態、熟睡の状態、全身麻酔が効いている状態、そして心肺停止の
状態から考えて、死とは永遠の時間を1秒にも感じられない状態、つまり「死とは、永遠
であるが一瞬である」というのは、絶対に間違いないと私は確信しています。


 つづく



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