書き残したいこと 2
                               2025年5月25日 寺岡克哉


2章 神は、あなたや私を受け入れ、認め、愛してくれる
 前の1章で定義したように、「神とは、この世界そのもの」です。
 ところで、神(つまり、この世界)は、あなたや私を完全に受け入れ、あなたや私の存
在を根底から認め、あなたや私を「無限の愛」で愛してくれます。

 以下、それらのことについて述べて行きたいと思います。

              * * * * *

●神は、あなたや私を完全に受け入れてくれる

 繰り返しますが、「神とは、この世界そのもの」です。
 そして前の1章で述べたように、「この世界に存在する個々のもの全て」が、神の一部
でした。
 だから、あなたや私も、「この世界に存在する個々のもの」ですから、間違いなく神の
一部です。

 ゆえに神は、あなたや私を、神の一部として完全に受け入れてくれるのです。

 だから、「自分は誰からも受け入れられない・・・」ということは絶対にありません。
 たとえ学校にも、会社にも、世間にも、家族にでさえ、自分が受け入れられなかったと
しても、神は自分を完全に受け入れてくれるのです。

              * * * * *

●神は、あなたや私を根底から認めてくれる

 神は、あなたや私の存在を、根底から認めてくれます。
 なぜなら、あなたや私が、間違いなく「この世界」に存在しているからです。
 ゆえに神は、あなたや私の存在を、根底から認めているのです。

 たとえば逆に、「神が存在を認めないもの」とは、一体どんなものでしょう?
 それは、「この世界には、絶対に存在し得ない事物」です。
 たとえば、永遠に老いない人間、永遠に死なない人間、永遠に不動な物体、永遠に不変
な物体・・・等々。これら生物学的、自然法則的に、この世界には絶対に存在し得ない事
物が、「神が存在を認めないもの」です。

 ところが、あなたや私は、たしかに「この世界」に存在しています。ゆえに神は、あな
たや私の存在を、生物学的・自然法則的に根底から認めているのです。

 また例えば、この地球に酸素や水や食料が存在するのは、すべて「神の振る舞い」によ
るものです。だから神は、あなたや私に、酸素や水や食料などを与えて、あなたや私の存
在を根底から支え、あなたや私の存在を根底から認めているのです。

 以上のように神は、あなたや私の存在を、生物学的、自然法則的、さらには地球環境的
にも、根底から認めています。
 もしも神が、あなたや私の存在を認めなかったら、あなたや私は、絶対に存在できなかっ
たでしょう。
 ゆえに、「あなたや私が存在する」という、その事実がまさに、神が、あなたや私の存
在を根底から認めている絶対的な証拠となるのです。

 だから、「自分は誰からも認められない・・・」ということは絶対にありません。
 たとえ学校にも、会社にも、世間にも、家族にでさえ、自分が認められなかったとして
も、神は自分の存在を根底から認めてくれるのです。

              * * * * *

●神は無限の愛で、あなたや私を愛してくれる

 いま上で述べたように、神は、あなたや私の存在を根底から認めてくれます。
 しかし神は、あなたや私の存在を認めるだけでなく、さらに、あなたや私の存在を積極
的に肯定してくれます。そして実は、「存在を肯定する」とは「愛する」ことです。ゆえ
に神は、あなたや私を愛しているのです。

 以下、そのことについて、もう少し詳しく説明しましょう。

 まず神は、あなたや私の存在を積極的に肯定しています。
 なぜなら神は、この世界にこの宇宙を誕生させ、この宇宙に太陽や地球を誕生させ、こ
の地球に生命を誕生させ、その生命を進化させて人類を誕生させ、そうしてやっと、あな
たや私が存在しているからです。
 神は、これほどの労力を尽くして、あなたや私を存在させているのです。これは、もは
や神が、あなたや私の存在を単に認めているだけではなく、積極的に肯定しているとしか
考えられません。

 そして、「存在を肯定する」とは「愛する」ことです。
 なぜなら、たとえば愛する人、愛する家族、愛する仲間、愛する町、愛する国、愛する
動物、愛する植物、愛する自然、愛する地球など・・・これら「愛するもの」はみな、そ
の存在を望み、その存在を願い、その「存在を肯定する」からです。
 その逆に、「存在を否定する」とは「憎む」ことです。
 なぜなら、たとえば憎い人間、憎い組織、憎い制度、憎い民族、憎い国、憎い雑草、憎
い害虫、憎い病気、憎い戦争など・・・これら「憎いもの」はみな、その消滅を望み、そ
の消滅を願い、その「存在を否定する」からです。
 このように、「存在の否定」が「憎しみ」であるのを考えれば、「存在の肯定」が「愛」
であるのが納得できるかと思います。
 ゆえに、「存在を肯定する」とは「愛する」ことなのです。

 ところで神は、あなたや私だけでなく、「この世界に存在するもの全て」を存在させて
います。
 だから神は、「この世界に存在するもの全て」が存在することを肯定しています。なぜ
なら、もしも神が「存在」という事象を否定するのなら、つまり、この世界の自然法則が
「存在」という事象を否定するのなら、この世界に、これほど無数の事物が存在するわけ
が無いからです。
 従って、この世界に無数の事物が存在するという、まさにその事実によって、神が「こ
の世界に存在するもの全て」の存在を肯定していることが証明されるのです。
 そして上で述べたように、「存在の肯定」とは「愛」でした。だから神は、「この世界
に “無数” に存在する全てのもの」を愛しています。それが「神の “無限” の愛」です。
 つまり、神は無限の愛で「この世界に存在するもの全て」を愛しているのです。そして
それは、あなたや私についても、まったく同様に言えます。

 ゆえに、神は無限の愛で、あなたや私を愛してくれるのです。

 だから、「自分は誰からも愛されない・・・」ということは絶対にありません。
 どんな人からも、たとえ家族からでさえ、自分が愛されなかったとしても、神は無限の
愛で自分を愛してくれるのです。

              * * * * *

 以上、ここまで述べてきましたように、
 神は、あなたや私を完全に受け入れ、あなたや私を根底から認め、あなたや私を「無限
の愛」で愛してくれます。
 だから神の存在を認めさえすれば、つまり「この世界が自分を存在させている」という
自明の事実を認めさえすれば、「誰も自分を受け入れてくれない・・・ 誰も自分を認め
てくれない・・・ 誰も自分を愛してくれない・・・」というような、絶望的な孤独から
救われるのです。


 つづく



      目次へ        トップページへ