書き残したいこと 1
                               2025年5月18日 寺岡克哉


 今回から、「書き残したいこと」という本の原稿を紹介して行きます。



 題名 書き残したいこと

 目次

  はじめに
 1章 神とは、この世界そのもの
 2章 神は、あなたや私を認め、受け入れ、愛してくれる
 3章 自我意識が存在するのは人生で最大の奇跡
 4章 愛すれば幸福!
 5章 死とは、永遠であるが一瞬である
 6章 死後の世界は存在しない
 7章 生まれ変わりは存在しない
 8章 永遠の生命
  あとがき



 はじめに

 本書の題名を、「書き残したいこと」としました。

 その内容は、これまで私が考えてきたことの中でも特に重要であり、私の思想のエッセ
ンスといえるものです。

 ちなみに、全体として文章の量は少ないですが、ほんとうに書き残したいと思ったこと
を、ぎゅっとコンパクトにまとめてみました。



1章 神とは、この世界そのもの

 「神とは、この世界そのものである」と、私は神を定義しました。

 ただしここで、「この世界」とは、
 人間や人類社会、生命、生態系、地球、そして太陽系や銀河系を含めた「宇宙全体」の
ことだけではありません。
 たとえば、ビッグバン(この宇宙の始まりである大爆発)が起こる前の世界が存在した
ならば、それも「この世界」とします。
 また、この宇宙全体をも内部に含んでしまうような、「この宇宙よりもさらに大きな世
界」が存在するならば、それも「この世界」とします。
 さらにまた、この宇宙の他にたくさんの宇宙が存在するという「マルチバース」と呼ば
れる考え方がありますが、この世界がマルチバースであるならば、それら存在する全ての
宇宙を含めた「マルチバース全体」も、「この世界」とします。
 とにかく、ビッグバン以前の世界も、この宇宙を内部に含む巨大な世界も、マルチバー
スも、それらが存在するならば「この世界」とします。

 ところでビッグバンは、およそ140億年前に起こったとされていますが、もしもそう
であれば、140億年よりも以前の世界、つまり「ビッグバンを生じさせた世界」という
のが、論理的に必ず存在しなければなりません。
 また、140億年前に誕生した「この宇宙」は、現在でも膨張(ぼうちょう)を続けて
いますが、その膨張し続ける宇宙の外延部(がいえんぶ)よりも、さらに外側の世界。つ
まり、この宇宙全体でさえも、その一部として内部に含んでしまうような、さらに巨大な
世界。言うなれば「この宇宙の入れ物」が、論理的に必ず存在しなければなりません。
 そしてまた、マルチバースが存在する可能性は、理論物理学によって指摘されています。
つまりマルチバースは、理論的に存在する可能性があるわけです。
 ゆえに、ビッグバン以前の世界や、この宇宙を内部に含む巨大な世界は、論理的に存在
しなければならず、また、マルチバースが存在する可能性も理論的に否定できないのです。

 以上を踏(ふ)まえて、さらに考察を進めて行くと、
 おそらく「この世界」というのは、無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の
数の宇宙を含み、無限の階層構造を持っていても、まったく不思議ではないと思われます。
 たとえば、この世界全体から見ると、この宇宙全体など、1つの素粒子ていどの存在か
も知れません。つまり、この宇宙全体が1つの素粒子みたいなものだとすれば、そのよう
な宇宙が複数集まって超巨大な原子を作り、さらにそれが無数に集まって、超巨大な星や
銀河そして生命を作っているかも知れないのです。
 また逆に、1つの素粒子の内部には、この宇宙全体に匹敵(ひってき)するような世界
が広がっているかも知れません。たとえば、たった1つの陽子の中に、数えきれないほど
の超微小な銀河や星や生命が含まれているかも知れないのです。

 そのような、無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の数の宇宙を含み、無限
の階層構造を持つものが、私の考えている「この世界」です。

その上で、「神とは、この世界そのものである」と定義したわけです。

              * * * * *

 さて、この「神」の振(ふ)る舞(ま)い、つまり「この世界」の振る舞いを、すこし
具体的に挙げてみると、たとえば以下のようになるでしょう。

 ・・・神は、おそらく無数の宇宙が存在する広大無辺な空間に、無限の過去から存在し
て、さまざまな自然法則や、さまざまな因果関係や、さまざまな偶然や必然を司(つかさ
ど)っていました。
 そして神は、およそ140億年前にビッグバンを発生させ、私たちが存在する「この宇
宙」を作ったのです。
 そして神は、ビッグバンの莫大(ばくだい)なエネルギーから、電子や陽子、中性子な
どの素粒子を作りました。
 そして神は、それらの素粒子から、水素やヘリウムなどの原子、つまり「物質」を作り
ました。
 そして神は、それらの原子を集めて恒星(こうせい)を作りました。
 そして神は、水素やヘリウムを原料にして、恒星の中心部で核融合を起こさせ、炭素や
酸素、鉄などの様々な原子を作りました。
 そして神は、宇宙に漂(ただよ)う膨大(ぼうだい)な星間物質を集めて、さまざまな
恒星や銀河、太陽系、そして地球を作りました。
 そして神は、地球に空(大気)や大地や海を作りました。
 そして神は、地球の海の中で、原子を結合させて、さまざまな分子や高分子を作りまし
た。
 そして神は、それらの高分子を複雑に組み合わせて、地球に生命を誕生させました。
 そして神は、生命を進化させ、単細胞生物から多細胞生物、無脊椎(むせきつい)動物、
脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、サルの仲間、そして人間を誕生させました。
 そして神は、私たち人間に、自我意識や思考能力や感情を持たせました。
 そして神は、私たち人間に、村や町、都市、国家、国際社会を作らせました。
 そして神は、私たち人間に、政治や経済、宗教、その他さまざまな社会活動を行わせま
した。
 そして神は、私たち人間に、学問や教育、医術、芸術、工芸、スポーツ、芸能、その他
さまざまな文化活動を行わせました。
 ・・・・・・等々、「神の振る舞い」を具体的に挙げれば、まだまだ限がありません。

 以上のように神は、無限の広さをもつ空間において、無限の過去から現在まで起こった
事象のすべてを司っているのです。

              * * * * *

 しかし、以上のように「神の振る舞い」を述べると、じつは神とは、この世界を超越し
て存在する絶対者であり、その超越絶対者が、この世界の外から、この世界を司っている
(つまり支配している)という印象を持たれかねません。

 しかし神が、この世界の外に存在する超越絶対者であるとは考えられないのです。
 なぜなら、あくまでも「この世界」は、この世界自らの法則や因果関係、この世界自ら
の偶然や必然によって、営(いとな)まれているからです。
 つまり「この世界」を司っているのは、あくまでも「この世界自身」であり、この世界
が、この世界を超越した絶対者によって、この世界の外から支配される訳がないのです。

 なぜ、そう言えるのかといえば、あくまでも実際に存在するのは「この世界」だからで
す。ゆえに、神が「この世界そのもの」だとすれば、「この世界」は間違いなく実在する
ので、神が存在することは議論の余地なく自明です。つまり、「この世界そのもの」とす
る神は、信仰の有無に関係なく厳然と存在するのです。

 ところが一方、神が「この世界の外に存在する超越絶対者」だとすると、そんな神が本
当に存在するのか証明するのは不可能です。だから、そのような神は、ムリヤリに信じさ
せる(つまり信仰を強要する)しかありません。そして信仰の強要は、あまりにも非科学
的で非合理的であり、そんな所業(しょぎょう)を私は認めることができないのです。

 そしてまた、そのような超越絶対者が、この世界の外に存在するとすれば、
「その超越絶対者を生んだのは何なのか?」とか、
「その超越絶対者を司っているのは何なのか?」とか、
「その超越絶対者が存在する “この世界の外” とは何なのか?」という、
説明の不可能な疑問がどうしても生じてしまいます。

 そしてそもそも、「この世界の外」から「この世界」を司ることは絶対に不可能です。
 なぜなら、「この世界の外」というのが、「この世界」から完全に隔絶された「完全別
世界」であるならば、そのような完全別世界からは、いかなる作用も影響も「この世界」
に対して及ぼせるわけがないからです。
 そしてもしも、「この世界の外」から「この世界」を司ることが出来るというならば、
つまり「この世界の外」から「この世界」に対して何らかの作用や影響を及ぼせるという
のならば、それはもはや完全別世界ではなく、その作用や影響を通して観測の可能な「こ
の世界の内」なのであり、決して「この世界の外」ではないのです。

 以上の理由から、神が、この世界の外に存在する超越絶対者であるとは考えられません。

              * * * * *

 ところで、私が定義した「神とは、この世界そのものである」というのと似たものに、
「汎神論(はんしんろん)」というのがあります。

 この「汎神論」では、「すべての存在の総体」としての「この世界」と、「神」が、同一
であると考えます。
 ただしここで、「すべての存在の総体」というのは、「宇宙全体」とか、もしもマルチ
バースが存在すれば「マルチバース全体」と考えて良いと思います。
 この意味で「汎神論」は、私が定義した神と、まったく同じだと言えるでしょう。

 そして「汎神論」は、神を擬人化した、いわゆる人格神を認めません。

 また、「この世界」は「この世界の外にある神」によって創造されたとするのが有神論
ですが、汎神論は「この世界」と「この世界の外」という区別を否定します。
 なぜなら汎神論は、あくまでも「この世界そのものが神」なのであり、この世界を超越
した、この世界の外に存在するような神を否定するからです。

 そして汎神論は、この世界に存在する個々のもの全てが、この世界そのものである神の、
一部であると考えます。

 以上を見ると汎神論は、私が定義した神と、ほとんど同じであるように思えます。

              * * * * *

 しかしながら汎神論にも、さまざまな立場や見解があるみたいです。

 たとえば極端な例として、
 「この世界と神は同一である」という考えのうち、「神」の方に100パーセントの重点
を置いて、「神」のみが実在しており、「この世界」は神の流出や表現や展開、つまり「神
の現れ」に過ぎないと考えてしまうと、「実在するのは神だけで、この世界は実在してい
ない」というような「無世界論」になってしまいます。

 しかし私は、「この世界は実在する」と考えており、そのように実感し、そのように心
の底から確信しています。なぜなら「この世界」には、見ることも聞くことも触ることも
感じることもできる事物が、無数に存在するからです。ゆえに、無世界論を認めることは
できません。


 また、逆の極端な例として、
 「この世界と神は同一である」という考えのうち、「この世界」の方に100パーセン
トの重点を置いて、「この世界」のみが実在しており、神はこの世界の総和にすぎないと
考えてしまうと、無神論や唯物論になってしまうのです。

 しかし私は、上で述べたように、無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の数
の宇宙を含み、無限の階層構造をもつ「この世界そのもの」としての「神」が、たしかに
存在するのだと考えています。その理由については後述しますが、とにかく私には無神論
を認めることはできません。
 また「この世界」には、意思や意識、意志、生命、情報などの、「物質ではないもの」
が確かに存在しています。ゆえに私は、唯物論も認めることができません。

              * * * * *

 ところで上で述べたように、汎神論は「この世界に存在する個々のもの全てが、神の
一部である」と考えます。そして私も、この考え方には賛成します。

 ところが汎神論の中には、その考え方が極端に変形して、「この世界に存在する個々の
もの全てが神である」という考え方があるみたいです。

 しかし私には、「この世界に存在する個々のもの全てが神である」とは考えられません。
 なぜなら、たとえば「単なる物質が神である」とか、また例えば「私自身が神である」
などとは、絶対に考えられないからです。単なる物質は、とうぜん神ではありませんし、
もちろん私も、決して神ではありません。
 私は、ある特定の物体(神像、仏像、ご神体など)や、ある特定の生物(鳥、熊、古い
樹木など)や、ある特定の人物(釈迦やキリストなど)を神格化することに反対するもの
です。
 たしかに、神像や仏像、古い樹木、釈迦やキリストなどに「神聖さ」を感じ、それらを
神として崇(あが)めたくなる気持ちはすごく分かります。が、しかし私は、それらが
「神そのもの」であるとは考えられないのです。

 ところが、そうすると、「この世界に存在する個々のもの」が神でないならば、なぜ、
それらを寄せ集めた「この世界全体」が神になり得るのか? という疑問が生じてしまい
ます。

 が、しかし、この疑問にたいして私は、「この世界に存在する個々のもの」と「神」の
関係が、たとえば「物質」と「生命」のような関係になっていると考えています。
 つまり、さまざまな物質がたくさん集まり、それらが複雑に関係し合うことによって、
「生命」が形成されます。ところが、それぞれ個々の物質には、とうぜん生命など存在し
ません。
 それと同じように、個々の物質や私自身は神ではありませんが、私自身を含めた様々な
生命や物質がたくさん集まり、それらが複雑に関係し合うことによって、「神」が創(つ
く)られるのです。

 このように、個々の要素がたくさん集まり複雑に関係し合うことによって、個々の要素
には存在しなかった「新たな性質」が生まれる現象を、「創発(そうはつ)」といいます。
 この「創発」の実例として、上で述べた「物質」と「生命」の関係がそうですが、「脳
細胞」と「意識」の関係もそうです。つまり個々の脳細胞には意識など存在しませんが、
それらがたくさん集まり複雑に関係し合うと、「意識」が生まれるわけです。

 ゆえに「創発」という現象は、たしかに実在します。

 そして上に挙げた実例と同様に、「この世界に存在する個々のもの」には神が存在しま
せんが、それらが集まり複雑に関係し合うことによって創発が起こり、神が創成されるわ
けです。
 具体的に例えば、地球全体のさまざまな要素がたくさん集まり複雑に関係し合うと、生
命の誕生や進化、生態系の形成、人類の出現などを司(つかさど)る、「神に近いもの」
が創発されます。
 さらには、宇宙全体のさまざまな要素がたくさん集まり複雑に関係し合うと、ビッグバ
ンによる物質の生成、恒星や惑星や銀河の形成、太陽系の形成と地球の誕生、そして生命
の誕生と進化などを司る、「さらに神に近いもの」が創発されます。
 そしてさらに、マルチバース全体のさまざまな要素がたくさん集まり複雑に関係し合う
と、ビッグバン以前の状態からビッグバンを発生させたり、無数に存在する宇宙の集合体
を司る、「さらにもっと神に近いもの」が創発されているのでしょう。

 このように、対象とする要素の範囲が広くなればなるほど、より神に近いものが創発さ
れるのです。
 そして上で述べたように、無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の数の宇宙
を含み、無限の階層構造を持つ、「この世界全体」のすべての要素を対象としたときに創
発される神が、私の定義した神なのです。
 ただし実際には、ビッグバン以前の状態やマルチバースを観測する手段を持たない現在
の人類にとって、「この宇宙全体の要素」によって創発された「神に近いもの」を、「実
質的な神」と考えて問題ないと思います。


 つづく



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