受けとる愛         2004年6月13日 寺岡克哉


 私はこれまで、「求める愛」や「与える愛」というのはずいぶん考えて来ましたが、
「受けとる愛」というのには、あまり注意を払って来なかったように思います。
 しかし最近、「相手の愛を拒絶しないで素直に受けとる」というのも、「愛」の大切な
要素であることに改めて気がつきました。

 たとえば親や友人やパートナーから、親愛の情を寄せられたり、親しく話しかけら
れたり、心配してもらったり、手助けをしてもらったとき。
 そのようなときに、「ありがた迷惑だ!」とか「ウザッタイやつ!」などと思わずに、
素直な感謝の気持ちをもってその好意を受けとること。
 つまり、自分に向けられた愛を拒絶せずに受け取ってあげるという
「受けとる愛」も、「愛」の一つだと思うのです。

 (ただし恋愛や性愛などの「男女の愛」の場合は、誤解を招いてトラブルになる恐れ
があるので注意が必要です。「男女の愛」の場合は、生涯を供にするつもりのない
相手に対しては、無責任にその愛を受け取らずにきちんと断り、友人や隣人として
つき合うのが責任ある態度といえましょう。)

                * * * * *

 しかしながら、「愛を素直に感謝して受けとる」といっても、なかなかそれが出来な
い場合が多々あります。
 たとえば、自分の心が素直になれなかったり、他人や世間を信用できなかったり、
そのようなことが「愛を受けとること」を拒絶させてしまうのです。
 このような「愛を拒絶する原因」としては、主に次のようなものが考えられるかと思
います。

 まず第一に考えられるのは、「自己否定」に陥って自分の心が素直になれない場合
です。
 たとえば私の場合では、自分が自己否定に取りつかれている時に、他人から優しく
されたり親切にされると、
 「私は、人から愛されるべき人間ではない!」
 「私なんか、人から愛される資格などない!」
 「私に優しくしたり親切にする人間は、心の底では私をバカにして笑っているの
だ!」
というような、「ひねくれた思い」が生じてしまうのです。
 ところでこれは、上に挙げたような「具体的な言語」として、そのように思う訳では
ありません。しかし、他人から優しくされたり親切にされると、なぜか心の奥底が不
愉快になり、「ムッ」としたり「ウザッタイ!」と感じてしまうのです。
 そして、相手をにらみつけたり、理由にならない文句をぶつけたりして、相手が不
愉快になって怒りだすと、なぜか私の心が「ホッ」と安心するのです。
 それは、「やはり私は愛されない人間なのだ!」という自分の確信が、相手の態度
によって証明され、それで何となく安心するのだと思います。
 このように、自分が自己否定に取りつかれていると、「愛されること」を拒絶してし
まうのです。

 つぎに、「愛を受けとること」を拒絶する第二の原因として、「他人や世間を信用で
きない!」というのが考えられると思います。
 詐欺、悪徳商法、商品の偽装、商品の欠陥隠し、個人情報の流出、不正、談合、
汚職・・・。
 マスコミ報道を見ると、どんな手を使ってでも人を騙そうとする人間が、毎日のよう
現れてきます。
 このような状況では、「へたに他人や世間を信用すると、自分がひどい目に合う
ぞ!」と思ってしまい、親切そうに近づいてくる人間を警戒してしまうのも当然です。
 「他人など、絶対に信用できない!」
 「他人を信用すれば、すぐに騙される!」
 こんなことが世間の常識になっているようでは、他人がいくら親愛の情を示しても、
それが信用できなくて拒絶してしまうのも無理はありません。
 他人や世間がまったく信用できない!・・・。 これが、現代人をたいへんな孤独に
陥れている最大の原因のように思います。

 そして三番目に考えられる原因としては、「自分は強い人間だ!」という思い込み
による、「高慢」や「傲慢」があります。
 「他人からの愛などいらない!」
 「人の情けは受けない!」
 「他人の助けなんか必要ない!」
 「そんなものが必要なのは、そいつが弱い人間だからだ!」
 「私は強い人間だ! だから私は、愛を与えるべき人間であり、愛をうけとる人間
ではないのだ!」
 と、いうような高慢や傲慢が、他人からの愛を拒絶させてしまうのです。

               * * * * *

 ところで、以上のことを私について振り返ってみると、

 一番目の「自己否定」は、ずいぶん直ってきたと自分では思っています。

 二番目の「他人が信用できない!」というのは、私は疑り深い性格なので克服する
のがなかなか大変です。しかも、毎日のマスコミ報道がそれに追い打ちをかけて来
ます。
 しかし、誰でも彼でも全ての人間を疑うことはやめ、「信用するべき人間は信用す
るべきなのだ!」と、いつも自分に言い聞かせるようにしています。

 三番目の「高慢」や「傲慢」は、いまの私の一番の課題だと思っています。
 私は、他人に「自分の弱さ」を見られるのがとても嫌いな人間なのです。そのため
に随分と強がったり、ひねくれた言動をしてしまうこともあります。
 しかしその反面、高慢や傲慢は「自分の弱さの現われ」のような気もしています。
「素直さ」や「謙虚さ」を表に出すことは、実はとても「強い心」が必要なのではないか
と、最近は感じるようになりました。
 これから精進を続け、少しずつでも「高慢」や「傲慢」を直し、「素直さ」や「謙虚さ」
を身につけて行きたいと思っています。



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