忘れられないこと 10
                               2025年5月11日 寺岡克哉


27章 瀬戸内寂聴さん
 2021年11月9日。
 小説家であり、天台宗の尼僧(にそう)である瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さ
んが、心不全のため、京都市内の病院で亡くなりました。享年(きょうねん)99歳(満
年齢)でした・・・ 

 瀬戸内寂聴さんは、私がエッセイを書き続けていく上で、とても大きな影響を与えてく
れた人です。
 というのは、たしか何かの本で、寂聴さんが語っていたのを覚えているのですが、「60
歳代が、いちばん良いものを書ける」のだそうです。
 つまり50歳代では、まだ人生経験が足りず、しかし70歳代になると、体力が衰(お
とろ)えて精神の集中力も低下し、60歳代の頃のようには、良いものが書けなくなると
いうのです。
 寂聴さんが、確かそのように語っていたのを読んだことがあったので、すでに60歳代
になった私にも、「まだ伸びしろがある!」と信じながら、文章を書き続けている次第で
す。

 ところで、じつは他(ほか)にも、瀬戸内寂聴さんに関して私の個人的なエピソードが
あります。
 それは2002年に、私の拙書「生命の肯定」を出版したとき、当時の私は怖いもの知
らずだったので、畏(おそ)れ多くも、瀬戸内寂聴さんに私の拙書を郵送したのです。
 そうしたら、ご丁寧にも、お礼のハガキを送って頂いたのでした。

 以下は、そのハガキの内容です。
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 御清祥(注3)の御事とお慶び申し上げます。
 この度は御高著 『生命の肯定』 を御恵贈賜わり(注4)、
心より御礼申し上げます。
 愉しみに拝読させていただきます。
 益々の御自愛、御健筆をお祈り申し上げます。
 先はとりあえず御礼まで。
                     瀬戸内 寂聴


注3 御清祥(ごせいしょう):
 相手に対して、喜びやお祝いを述べる言葉。

注4 御恵贈賜わり(ごけいぞうたま-わり):
 非常に丁寧な言い回しで、おもに礼状などで使われます。
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 このように、無名の私にも、わざわざ礼状を出して下さるなんて、そのような瀬戸内寂
聴さんの人柄に、ものすごく感動しました。
 そして私の拙書を、瀬戸内寂聴さんに読んで頂けたかと思うと、そしてまた、私の今後
の文筆活動にたいし、寂聴さんが励(はげ)まして下さったと思うと、心の底から力が湧
いてくるのです。

 このように瀬戸内寂聴さんからは、今でも私が文章を書き続ける原動力を頂いており、
決して忘れられない人となっています。


28章 安倍・元首相の暗殺
 2022年7月8日。
 安倍晋三(あべしんぞう)元首相が、奈良市で演説中に、銃で撃たれて死亡しました。
 「元首相」とはいえ、首相クラスの政治家が暗殺されたのは、伊藤博文(注5)の暗殺
や、犬養毅(注6)の暗殺にも匹敵(ひってき)する、まさに「歴史的な大事件」だと言
えるでしょう。

 それで私も、「歴史の目撃者」の一人として、ここに一文を書き残しておきたいと思い
ました。

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注5 伊藤博文(いとうひろぶみ 1841年~1909年):
 明治時代における日本の政治家で、日本の初代首相です。
 1909年に清(現在の中国)のハルビン駅において、韓国の民族主義運動家である安
重根の狙撃(そげき)によって死亡しました。伊藤博文は、旧1000円札の肖像人物に
もなっていたので、それを使用していた世代には顔なじみです。

注6 犬養毅(いぬかいつよし 1855年~1932年):
 日本の政治家で、第29代の首相。
 1932年5月15日に、軍部の青年将校たちによって暗殺されました(5・15事件)。
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 さて、
 安倍・元首相が暗殺された経緯は、およそ以下のようでした。

 7月8日の午前11時半ごろ。
 奈良市の大和西大寺駅近くで演説をしていた安倍・元首相が、背後から男に銃で撃たれ
ました。
 安倍・元首相は、心肺停止の状態で、橿原(かしはら)市にある奈良県立医科大学附属
病院に搬送(はんそう)され、治療を受けましたが、午後5時3分に死亡が確認されまし
た。病院によりますと、傷は心臓に達する深さで、失血死だとみられました。

 警察は、現場にいた、奈良市に住む無職の山上徹也容疑者(41歳)を、殺人未遂の疑
いで、その場で逮捕しました。
 現場で押収された銃は、木の板の上に、金属の給水管のようなパイプを載せて、テープ
で巻いたような構造をしており、手製の銃だとみられています。

 ところで、安倍・元首相の暗殺は、政治的な動機で行われた訳ではありませんでした。
 宗教団体である「世界平和統一家庭連合」、つまり「旧・統一教会」との、トラブルが
原因だったと思われます。
 そのように考えられる理由として、山上容疑者は調べに対し、「母親が多額の献金をし
て破産し、家庭生活がめちゃくちゃになった。(世界平和統一家庭連合を)絶対成敗しな
いといけないと思い、トップを狙ったが接触が難しかった」と供述しており、その上で、
「安倍・元首相が(同連合と)つながりがあると思って狙(ねら)った」と、述べていた
からです。

 警察は、母親の献金の実態について事情を調べましたが、捜査関係者によりますと、死
亡した父親(母親の夫)の生命保険金や、家族が所有していた奈良市や東大阪市の3ヵ所
の不動産を売って得た金など、献金した金額は合わせて1億円近くに上っているとみられ
ました。

 ちなみに安倍・元首相は2021年の9月に、世界平和統一家庭連合の友好団体である
「天宙平和連合」のイベントに、ビデオメッセージを寄せていました。
 山上容疑者が、安倍・元首相の殺害を決意したのは、2021年の秋ごろとみられてお
り、奈良県警は、このビデオメッセージを閲覧(えつらん)したことが、事件の引き金に
なった可能性があるとみています。

 以上を見てきて、私は思うのですが、
 この暗殺事件は、「歴史的な大事件」であるにもかかわらず、政治的な動機がまったく
存在しませんでした。
 従って安倍・元首相は、自分が行った政策や外交とは何の関係もない、いわゆる「トバッ
チリ」で殺されたようなものです。

 しかしながら、この事件を通して、旧・統一教会の悪質な手口が、テレビの報道番組で
大きく取り上げられることになりました。そしてその後、献金問題や政治家とのつながり
が明るみになり、旧・統一教会は、大がかりな捜査と世論の批判を受けることになったの
です。
 この意味では、皮肉にも、山上容疑者の思いが達成されたような形になったと言えるで
しょう。

 しかし、それにしても・・・ 
 安倍氏が現役の首相のときなら、イスラム過激派に対して強硬的な姿勢をとっていたの
もあり、テロによって命を狙われる可能性も考えられました。
 しかし、首相の座を退(しりぞ)いてから、しかも「トバッチリ」で暗殺されてしまう
なんて、おそらく本人でさえ、まったく予想が出来なかったでしょう。

 人生においては、いくら社会的地位に恵まれた境遇(きょうぐう)であっても、いつ何
が起こるか分かったものではないと、つくづく思い知らされ、忘れられない事件となりま
した。


 終わり



 あとがき
 本書では、私の人生で「忘れられないこと」を、思うがままに書いてみました。

 本書を振り返ってみると、私の個人的な思い出から、歴史に残るような大災害や大事件
まで、ほんとうに私が生きている間にも、いろいろな事が起こっていたのを改めて再認識
できました。

 そしてまた、私と言う人間が、一体どんなことにインパクトを受けたのかも、再確認す
ることができました。
 「忘れられないこと」というのは、良い事ばかりでなく、どちらかと言えば、嫌な事や
悲惨な事の方が、より強く記憶に残ってしまいます。
 だから人間は誰でも、歳を取れば取るほど、嫌な思い出が蓄積されて行くのですが、そ
れだからこそ、平和や優しさを大切にしたいという思いが、ますます強くなって行くのだ
と思っています。

                         2025年5月11日 寺岡克哉



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