忘れられないこと 8
                               2025年4月27日 寺岡克哉


21章 児童虐待
 この章では、私にとって忘れることができない「児童虐待死事件」について取り上げま
す。

 2018年3月・・・ 
 5歳の女の子が、両親から十分な食事を与えられなかった上に、父親から暴行を受けて
殺されました。
 2018年の1月下旬ごろから、栄養失調に陥(おちい)らせた上で、暴行を加えて虐
待し、病院に連れて行くなどの措置(そち)をとらず、3月2日に敗血症で死亡させたの
です。
 事件が起こるまでの経緯をみると、女の子への虐待は2016年8月ごろから、1年半
以上にわたり行なわれていたようです。
 5歳児の平均体重は、およそ20キログラムだと言われていますが、殺された女の子は、
死亡時に体重が12キログラムしかありませんでした。

 犯人である父親は、女の子(実子ではない)に対して、日常的に顔を殴(なぐ)るなど
の暴行を加えていたほか、午前4時に起きて、ひらがなを書く練習をするように命じてい
ました。
 そのため、殺された女の子は、まだ5歳なのに、ひらがなで文章を書くことができたの
ですが、以下は、警視庁が証拠品として押収したノートに、女の子が書き残していたもの
です。

 ----------------------
  パパとママにいわれなくても
  しっかりと じぶんから
  きょうよりかあしたは
  もっとできるようにするから
  もうおねがい ゆるして
  ゆるしてください おねがいします
  もうほんとうにおなじことはしません
  ゆるしてきのうぜんぜんできなかったこと
  これまでまいにちやってきたことをなおす
  これまでどんだけあほみたいにあそんだか
  あそぶってあほみたいだから やめるから
  もうぜったいぜったいやらないからね
  ぜったいやくそくします
 ----------------------

 この、殺された女の子の「心の叫び」を、保存していた新聞の切り抜きから、今ここに
書き直していても、大きな衝撃に私の体は震(ふる)え、ひや汗が出てきます・・・ 

 「もうおねがい ゆるして」
 「ゆるしてください おねがいします」
 5歳の女の子が、こんなに必死になって懇願(こんがん)していたのに、虐待に虐待を
重ね、苦しみを与え続けたあげくに、殺してしまうなんて・・・ 
 ほんとうに、人間の所業(しょぎょう)であるとは思えず、とても赦すことができませ
ん。

              * * * * *

 このような児童虐待にたいして、私の思っていることを包み隠さず率直に申し上げると、
「子供を虐待して殺した人間」を、私は赦すことができません。

「子供を虐待して殺した人間」は、絞首刑(こうしゅけい)に処(しょ)したとしても手
ぬるく、半年から1年ぐらいかけて徐々に食事を減らして餓死させるか、あるいは半年か
ら1年ぐらいの間、毎日のように半殺しになるほどの暴行を加えてから、最後に治療を
施(ほどこ)さずに死なせる。
 それぐらいの罰を与えても、当然だと私は思ってしまいます。もちろん、そんな罰を与
えることは、社会的にも法律的にも許されませんが・・・

 なぜ、私がそのように思うのかと言えば、虐待された子供たちは、上で述べたような仕
打ちを受けたあげくに殺されているからです。
 「子供を虐待して殺した人間」は、殺された子供と同じ苦しみを受けて当然だと、私は
思ってしまうわけです。

 例えば・・・ 
 もしも読者の皆さんの子供が、何者かによって誘拐され、監禁されて、半年~1年ぐら
いかけて虐待され、じわじわと苦しめながら殺されたとしたら、その犯人を逮捕して絞首
刑に処したぐらいでは、決して赦すことが出来ないのではないでしょうか。

 やはり私は、子供を虐待して殺す人間など、絶対に赦すことは出来ません。


22章 韓国人の印象
 私が、名古屋大学の院生だったころ・・・ 
 私の所属していた研究室では、アメリカ、イタリア、ドイツ、ベルギー、ロシア、トル
コなど、さまざまな国々と共同研究をしていましたが、韓国の大学とも共同研究をやって
いたので、数ヵ月~1年ぐらいの期間で入れ代わり立ち代わり、常時2人~3人ぐらいの
韓国人留学生が滞在していました。
 そのため、研究室のコンパのときなどに、韓国の人たちと酒を飲みながら、忌憚(きた
ん)のない話をする機会が少なからずありました。そんなときの会話で、今でも記憶に残っ
ている印象深い話を、以下に紹介してみたいと思います。

 ところで、私が韓国の人たちに自己紹介をするときは、世界地図と定規(じょうぎ)を
持ってきます。そして、名古屋から札幌までの直線距離を定規で測り、それと同じ距離を、
名古屋からソウルに向けて延(の)ばします。そうすると、ソウルを超え、さらには38
度線も越えて、北朝鮮領に入ってしまうのです。
 それを地図上で見せてから、「私の実家は、あなた方の実家よりも遠くにあります」と
自己紹介をすると、韓国の人たちは少し驚いた様子を見せますが、その後は簡単に親しく
なれます。それで、研究とは関係のない色々な話も、けっこう聞くことが出来たわけです。

 まず、私が韓国の人たちから言われたことで印象に残っているのは、「怒らないでくだ
さいよ」と前置きして彼らが話したのですが、私は韓国人にとても良く似ているのだそう
です。もしも韓国の街中(まちなか)で私が歩いていれば、すれ違う人はみんな、私のこ
とを韓国人だとしか思わないそうです。
 もしかしたら、私が韓国人に似ていたので、けっこう何でも良く話してくれたのかも知
れません。

 つぎに、ちょっと「面白いな」と思って私の記憶に残っている話ですが、「日本の ”焼
きそば” が美味しく感じるようになったら、そろそろ韓国に帰らなければならない」と、
日本に滞在している韓国人たちの間では言われているそうです。
 つまり、韓国から日本に来て最初のうちは、日本の「焼きそば」をたべると、「なんだ
この変な味は!」と感じるのだそうです。
 しかし、日本に数ヶ月から半年ぐらい滞在すると、変な味だった「焼きそば」が、もの
すごく美味しく感じるように、なるのだそうです。
 それは、どうやら、「焼きそば」をよく食べることで舌(した)が焼きそばの味に慣れ
たからではなく、さまざまな日本の食事を食べることで、舌の感覚が日本人に近くなるか
らみたいです。
 そのため、頻繁(ひんぱん)に「焼きそば」を食べている訳ではないのに、たまに「焼
きそば」を食べてみると、いつの間にか、ものすごく美味しく感じるように、なっている
のだそうです。
 それで、「故郷(韓国)の味を忘れてしまわないように、焼きそばが美味しく感じるよ
うになったら、そろそろ韓国に帰らなければならない」と、日本に滞在している韓国人た
ちの間では言われているみたいです。
 私は料理が好きな方で、一時期はラーメン店に勤めて「調理師見習い」をやっていたほ
どですから、このような「味の話」が、けっこう印象に残っているのかも知れません。

 ところで韓国人留学生の中には、すでに結婚していて、奥さんや子供と一緒に日本へ来
ている人もいました。
 その人の子供は、当時まだ小さくて、日本の幼稚園に通わせていたのですが、「子供が
韓国語よりも日本語をよく話す」と、お父さんは少し寂(さみ)しそうな感じでした。
 もちろん家の中では、韓国語で会話をするように心がけているそうですが、幼稚園の友
達がみんな日本語を話すので、韓国語よりも日本語の方を、どんどん覚えてしまうみたい
です。その子が、お父さんと一緒に研究室に来たことがあるのですが、4~5才ぐらいの、
とてもかわいい女の子でした。

 ところで韓国では、いわゆる「上下関係」がとても厳(きび)しく、自分より目上の者
にたいして逆らうことができないそうです。
 韓国人留学生から聞いた話によると、韓国の大学や研究室では、たとえば教授がタバコ
を吸っていると、准教授以下の教官や、大学院生たちは、同じ部屋でタバコを吸ってはい
けないそうです。
 また例えば、博士課程の大学院生がタバコを吸っていたら、修士課程の大学院生や学部
学生は、同じ部屋でタバコを吸ってはいけないそうです。
 このような上下関係が厳しく成り立っていて、もし目下の者がタバコを吸いたくなった
ら、別の部屋で吸わなければならないそうです。

 ところで、韓国は「徴兵(ちょうへい)制」をとっているため、韓国人の男子は満18
才になると、およそ2年間の「兵役(へいえき)」が課せられます(1990年代当時)。
 18才といえば、高校3年生~大学1年生ぐらいの年頃ですが、私がいた研究室に配属
されてくる韓国人留学生は「大学院生」だったので、特別な理由がないかぎり、みんな
「兵役」を経験している人たちでした。
 日本人である私が「徴兵制」とか「兵役」とか聞くと、訓練が厳しくて、上官が威張
(いば)っており、自由のない集団生活を強(し)いられるような、何だか戦時中の日本
軍を連想させるような「辛くて重苦しい感じ」がしてしまいます。
 ところが、実際に「兵役」を経験してきた韓国人留学生たちの話を聞いてみると、何だ
か私が想像していたよりも、「楽しくて明るい感じ」がしてしまうのでした。
 ある韓国人留学生は、(私が平和主義者だと思われているらしく)「寺岡さんは、あま
り良いこととは感じないと思いますが」と前置きしてから、「射撃訓練で小銃の実弾を打
つと、スカッとしてストレス解消になる」と言っていました。
 しかしながら私は、この話を聞いて、ほとんどの韓国人男性が「本物の兵器を扱うこと
ができる」という事実を知り、韓国という国を侮(あなど)ってはならないと強く思った
のでした。

 私が韓国人留学生から聞いた話で、最後に紹介したいのは、
 「日本人は、物腰(ものごし)が柔らかくて協調的であり、良い人が多い」と、いうも
のです。
 韓国人留学生たちに言わせると、「韓国人の方が、日本人よりも我が強くて、自己主張
が激しい」ので、韓国人同士よりも日本人の方が付き合いやすいそうです。
 そう言えば確かに、韓国人同士が韓国語で議論しているところを、傍(はた)から見て
いると、まるで喧嘩(けんか)でもしているかのような感じでした。

 以上ここまで、
 私と韓国人との「個人的な付き合い」から感じた、今でも忘れられない印象について述
べてみました。
 しかしながら、ここで紹介した韓国人留学生たちとの会話は、1990年代に行われた
ものなので、いま現在における韓国人たちの考え方や感じ方とは、すこし違うかも知れま
せん。
 しかし、そうではありますが、インターネットにおける韓国批判の書き込みから受ける
韓国人の印象と、以前に私が韓国人と実際に会話したことで受けた印象とでは、やはり、
大きく異なっているのは否定できません。


23章 水虫薬に睡眠導入剤が混入
 2020年の12月に、忘れることができない、ものすごく大変な事件が起こりました。
 その大事件とは、爪(つめ)の水虫を治すための薬、いわゆる「飲む水虫薬」に、「睡
眠導入剤」の成分が多量に混入していたのです。この水虫薬を飲んだ人の中には、車の運
転中に意識を失って交通事故を起こしたケースさえありました。

 以下、この事件の経緯(けいい)について、すこし詳しく紹介したいと思います。

              * * * * *

 福井県は2020年12月4日。
 同県あわら市にある製薬会社の「小林化工」が、爪水虫など皮膚病の治療に使う経口抗
真菌剤である「イトラコナゾール錠50」にたいし、およそ10万錠分を自主回収すると
発表しました。
 薬の製造過程で、通常の服用量を超えた睡眠導入剤の成分が混入してしまい、岐阜、大
阪、佐賀の3府県で計12人に、意識消失や強い倦怠(けんたい)感などの副作用が確認
されたからです。
 ちなみに小林化工によると、イトラコナゾール錠というのは、細菌が感染して爪が白く
濁(にご)る、「爪水虫」とも呼ばれる「爪白癬(つめはくせん)」などの治療薬だといい
ます。

 小林化工は12月7日。
 イトラコナゾール錠の3種について、自主回収すると発表しました。その理由は、厚生
労働省の承認を得ていない工程で製造されたことが、判明したからだといいます。
 この薬を巡(めぐ)っては、一部のロット(生産・出荷の最小単位)で、睡眠導入剤の
成分が混入し、12月4日から既に自主回収していましたが、その規模がさらに拡大した
形です。
 新たな回収対象は、イトラコナゾール錠50、同100、同200で、使用期限が20
20年12月~23年10月の製品です。これらの薬は、医療用の医薬品であり、全国の
医療機関などに流通していました。

 福井県によると、12月10日。
 イトラコナゾール錠50は、全国39の都道府県に流通しており、小林化工が実際に処
方された患者は31都道府県の364人であることを特定し、医療機関や薬局を通じて、
患者全員に服用中止を求める連絡を終えたと言うことです。
 また、「意識を失う」などの副作用の報告は、12月10日正午の時点で128件にも
上っており、その中には、車の運転中に意識を失って交通事故の起きたケースが14件あ
りました。

 小林化工は、12月12日。
 イトラコナゾール錠50について、含有成分を確認する最終の品質試験で異変を検出し
ながら、「厳密なチェックが出来ていなかった」ことを明らかにしました。異物が混入し
ている可能性を示すデータが出ていたにもかかわらず、薬を出荷していたといいます。
 また小林化工によると、イトラコナゾール錠50を作る過程で、機械への付着などで目
減りする原料をつぎ足す際に、イトラコナゾール錠の主成分と、睡眠導入剤の成分である
「リルマザホン塩酸塩水和物」の容器を、取り違(ちが)えて混入したということです。
 混入した量は、1錠当たり、睡眠導入剤で通常使用する最大投与量の2.5倍にも及び
ます。従って、イトラコナゾール錠50の、1回の最大使用量として4錠を飲んだ場合、
睡眠導入剤の成分は、最大投与量の10倍にも及ぶのです。
 さらに小林化工によると、睡眠導入剤の混入があったイトラコナゾール錠50を服用し
た患者で、意識消失や記憶喪失、ふらつきなど健康被害の報告は、12月12日の午前0
時までで延(の)べ134人となりました。
 また、車などの運転中の事故は15件で、救急搬送や入院した人は33人に上っていま
す。

 12月16日。
 小林化工と福井県が、報道陣の取材にたいして明らかにしたところ、小林化工は「全2
89製品の出荷を停止した」ことがわかりました。すべての製品にたいし、製造時におけ
る記録をチェックして、品質を確認するとしています。出荷の停止は12月14日から行
われていますが、再開のめどは立っていません。

 また小林化工は、同12月16日。
 12月15日の時点で、健康被害を訴えた患者が同日中に8人増えて、154人になっ
たと発表しました。その内の35人が、入院または救急搬送されたといいます。
 ちなみに、この問題をめぐっては、薬を飲んだ患者の副作用の報告が、12月15日の
午前0時までに146件寄せられており、このうち車の運転中に意識を失うなどして事故
が起きたケースが19件に上っているほか、首都圏に住む70代の女性が死亡しており、
警察も事実関係を確認するとして、12月14日から会社側に任意での聴き取りを始めて
います。

 さらに12月22日の時点では、
 「イトラコナゾール錠50」を病院で処方された人が、31都道府県の364人にも及
び、服用者のうち2人が死亡しています。
 また、意識消失や記憶喪失、ふらつきなどの健康被害の報告が158人となっており、
車などを運転中の事故は21件、救急搬送や入院は35人に上っています。

              * * * * *

 とても信じられないような、ものすごく大変なことが起こりました!
 「水虫薬」を飲んだつもりで、「睡眠導入剤」を最大投与量の2.5倍から、最悪では
10倍も摂取(せっしゅ)してしまうのです。これでは、車の運転中に意識を失って、事
故を起こしてしまうのも無理はありません。
 これはまるで、薬と称(しょう)して「毒」を製造し、出荷したようなものです。小林
化工という製薬会社は、これほどまでに酷(ひど)い過失をやらかしたのです!

 しかしなぜ、こんなに大変なことが起こってしまったのでしょう?
 このような重大過失が起こった原因ですが、小林化工などによると、睡眠導入剤の混入
は、加工途中に「目減りした原料をつぎ足す作業」で発生したといいます。
 「イトラコナゾール錠50」の工程は、原料の計量や乾燥、粒子の均一化など、数日に
わたりますが、有効成分であるイトラコナゾールは、機械に付着するなどして目減(めべ)
りします。そのため、「原料のつぎ足し作業」を行うのですが、この作業は、チェック役
と二人一組で行う規程で、原料を取りだす際や計量する際には、二人による指さし確認が
必要となっていました。が、しかし、当時は一人で作業を行っていたと言います。

 ちなみに、本来投入するイトラコナゾールは、高さ1メートル程度のドラム缶のような
厚紙の容器に入っているのに対して、取り違えた睡眠導入剤の成分であるリルマザホン塩
酸塩水和物は、高さ15センチほどの菓子箱のような金属缶です。
 小林化工は、「ラベルもロット番号も違う。一般的に取り違えるレベルではない」とし
ていますが、この取り違えが起こったのは、2020年の6月~7月の製造で、担当者の
記憶もはっきりしないといいます。
 その上、製品の作業記録には、本来なら投入されるはずがない睡眠導入剤の成分を示す
番号が記載されていたほか、最終的な品質検査でも、異物混入を示すデータが検出されて
いました。が、しかしながら、それらすべてが「見過ごされて」しまったのです。

 ところで、そもそも「原料のつぎ足し作業」というのは、「厚生労働省が承認した製造
手順」では、認められていないといいます。つまり「イトラコナゾール錠50」は、厚生
労働省が認めていない方法で作られていたわけです。

 製薬会社で長く新薬などの研究開発に携わった、村上茂・福井県立大学教授は、「加工
途中で有効成分の量が減ることはあるとしても、あらかじめ多めに投入すれば済むこと。
コスト抑制のため、有効成分をぎりぎりの量にして後でつぎ足していたのかもしれないが、
本来はやらない行為。工程が増えれば、その分エラーは起きやすくなる」と、話していま
す。

 また村上教授は、最終関門である成分分析の検査でも、睡眠導入剤の混入が見落とされ
たことについて、「情報の引き継ぎなど、現場のコミュニケーションができていたのか疑
問だ。間違いは起こり得ることであり、最終チェックを厳密にやるべきだ」と述べて、異
物混入を示すデータが検出されていたのに、最終検査をすり抜けたことを問題視していま
す。

              * * * * *

 以上を見てきて、私は思ったのですが、
 そもそも「薬」というのは、人の命に係(かか)わるものなので、細心の注意を行い、
厳重な管理の下で製造しなければならないのは、まったく当然のことで言うまでもありま
せん。それなのに小林化工という会社は、こんなにも酷(ひど)く、杜撰(ずさん)な仕
事をしていたのです。

 後に行われた調査委員会のヒアリングに対して、多くの従業員が「小林化工では、上位
者の指示は絶対で、下からの問題提起が許されない風潮があった」と述べています。
 つまり製品の作業記録には、本来なら投入されるはずがない睡眠導入剤の成分を示す番
号が記載されていたほか、最終的な品質検査でも異物混入を示すデータが検出されていた
にもかかわらず、おそらく会社の上層部がそれを握(にぎ)りつぶしていたのでしょう。

 こんな会社など、もはや存続する資格がありません。
 そうしたら予想どおり、小林化工は2023年4月1日を以(もっ)て、医薬品の製造
販売を廃止しました。当然の結果です。


 つづく



      目次へ        トップページへ