忘れられないこと 2
                               2025年3月16日 寺岡克哉


3章 地球温暖化懐疑論
 前章で述べたIPCC第4次報告書が発表されても、それ以前から「地球温暖化懐疑論」と
いうものを主張しつづけ、温暖化対策の足を引っ張る人々がたくさんいました。

 それは例えば、
 本当に地球は温暖化しているのか?
 本当に、人類の排出する二酸化炭素が、地球温暖化の原因なのか?
という疑問を、声高に主張する人たちでした。

 2006年~2007年頃にかけて、じつは私にも、何人かの人から地球温暖化にたい
する「懐疑的な質問」が来たことがありました。
 そしてそれは、地球温暖化懐疑論者たちが世間に吹聴(ふいちょう)している論調と、
そっくり同じようなものでした。だから地球温暖化に懐疑的な人々にとって、それは結構
有名な話だったのでしょう。

 以下、地球温暖化懐疑論者たちの主張について、ちょっと紹介したいと思います。

              * * * * *

 まず第一に懐疑論者たちは、「地球は本当に温暖化しているのか?」という疑問を主張
しました。

 たとえば、
 都市部の「ヒートアイランド」(たくさんの建物やアスファルトのせいで、熱がこもる
現象)を見ているだけではないのか?
 気温が上昇していない地域もあるではないか!
 海上の気温は、詳しく測定されていないではないか!
 本当に、地球全体として温暖化しているのか?
と、いうような疑問です。

 たぶんそれを受けて、IPCC第4次報告書では開口一番に、
 「気温や海水温の上昇、雪氷の融解の増加や海面上昇などから気候の温暖化は明白」
と、明言したのでしょう。

 たとえば過去100年間で、海水面は10~25センチ上昇してきましたが、その原因
の4分の3、つまり7.5センチ~18.8センチは、海水が暖(あたた)かくなって膨
張したからです。これは、海水全体が暖められたこと、つまり地球全体が温暖化している
ことの疑いえない証拠です。
なぜなら海水は、陸地よりも暖まり難(にく)いので、地球全体のおよそ70%を占める
海が暖まったということは、地球全体が暖まっていることに他(ほか)ならないからです。

 また、もしもヒートアイランドが起こっているだけで、地球全体が温暖化していないの
なら、アルプスやヒマラヤの山岳氷河の縮小、南極や北極の海氷の縮小、シベリアやアラ
スカの永久凍土の融解なども、まったく説明ができません。

 ゆえに、地球全体が温暖化していることは絶対に間違いないのです。

             * * * * *

 地球が温暖化している事実が否定できなくなると、つぎに懐疑論者たちは、
 たしかに地球は温暖化しているようだが、それが人類の出す温暖化ガス(主に二酸化炭
素)で起こっているのか?
 太陽活動などの、なにか別の自然現象で、地球が温暖化しているのではないのか?
と、いうような疑問を主張するようになりました。

 おそらく、IPCC第4次報告書はそれを受けて、
 「20世紀の半ば以降に観測された平均気温上昇の大部分が、人為的な温室効果ガスの
増加によって引き起こされた可能性がかなり高い」と、明言したのでしょう。
 この「可能性がかなり高い」というのは、90パーセント以上の可能性を意味し、ほぼ
「科学的に明確にされた!」と言えます。
 もちろん、太陽の活動などは十分に考慮されていました。しかしそれでも、これほど大
きな気温の上昇が説明できないから、人為的な原因だと結論されたのです。

              * * * * *

 ところで、地球温暖化懐疑論が社会にはびこったのは、「今まで通りに、石油やガソリ
ンなどの化石燃料を使い放題にしたい!」という強い願望が、その根底に潜(ひそ)んで
いたからでしょう。
 しかしそんな理由により、温暖化対策の足を引っ張って遅らせたことは、未来の世代に
たいして、とても不誠実で無責任な態度であると言わざるを得ません。

 それで私は、地球温暖化懐疑論のことが、今でも忘れることが出来ないでいるのです。


4章 秋葉原の通り魔事件
 2008年6月8日の、昼の12時半ごろ・・・
 東京の秋葉原で、凄惨(せいさん)な通り魔事件が起こりました。7人の方が亡くなり、
10人の方が負傷したのです。
 この犯人に対して、とても大きな憤(いきどお)りを感じるとともに、事件に巻き込ま
れた方々の無念を思うと、今でも忘れることができません・・・

             * * * * *

 ところで、この犯人は事件を起こす前、インターネットの掲示板に、いろいろと自分の
心情を書き込んでいました。(以下、犯人の書き込み文は、北海道新聞2008年6月
10日付朝刊によります。)

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 俺もみんなに馬鹿にされているから車でひけばいいのか
 みんな俺をさけている
 勝ち組はみんな死んでしまえ
 高校出てから8年、負けっぱなしの人生

 日に日に人が減っている気がする
 大規模なリストラだし当たり前か
 作業場に行ったらツナギが無かった 辞めろってか わかったよ
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 この書き込み文を見ると、犯人はとても強い「劣等感」に苦しんでいたようです。

 格差社会・・・
 正規雇用と非正規雇用・・・
 勝ち組、負け組・・・
 リストラの恐怖・・・

 たしかに、高度経済成長期やバブル経済のころに比べると、その後の日本は、「劣等感
が爆発しやすい世の中」になっています。だから私は、いつかこのような事件が起こって
も不思議ではないと感じていました。そんな時に、この事件が起こったので、とても印象
深いものとなったのです。

             * * * * *

 つぎに、以下の書き込み文を見ると、この犯人の親は教育熱心で、ずいぶんと犯人に
「勉強」をさせていたようです。この犯人は、中学のときは成績優秀で、高校は進学校に
入学しています。

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 親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてた
から勉強は完璧
 親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ
 俺が書いた作文とかは全部親の検閲(けんえつ)が入ってたっけ
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 しかしながら、高校に入ってからは勉強の成績が低調だったようです。そしてその頃か
ら、親との関係が悪くなり、家庭内暴力を起こしていたという報道もあります。

 上の書き込み文を見ると、親の虚栄心(きょえいしん)によって子供に押し付けた「完
璧主義」が、子供(犯人)に「劣等感」を植え付けさせ、それを助長させていたのが容易
に想像できます。

             * * * * *

 ここまで見てきたように、犯人の持っていた強い劣等感が、事件を引き起こした背景に
あったと思います。が、しかし、もちろん犯人の「身勝手(みがって)さ」というのが、
事件が起こった最大の原因でしょう。
 それを表わしているのが以下の書き込み文ですが、これは犯行の直前に書かれたもので
す。

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 もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる
 中止はしない、したくない
 秋葉原で人を殺します
 時間です
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 私は、この書き込み文を見たとき、ゾッとして身の毛がよだちました。
 そして、この犯人には、「悪に対する根源的な恐怖」というのが全く欠落しているのだ
と、思わざるを得ませんでした。

 つまり、「殺人なんか、とても恐ろしくて出来ない!」という、心の底から湧(わ)き
上がってくる恐怖。
 そして、いざ殺人を本当に実行しようとすると、体がふるえて動けなくなるような、つ
まり体の自由が利(き)かなくなるほどの、ものすごく強力な心理的ストッパー。

 「ふつうの人間」であれば、上のような恐怖と心理的ストッパーが働いて、いくら自分
の境遇が悪かったとしても、殺人など(体が言うことを聞かなくて)なかなか出来るもの
ではないのです。
 そのような、いわゆる「人の心」というものが、この犯人には全く欠落しているように
思えてなりません。

             * * * * *

 この犯人は、親の虚栄心と完璧主義による劣等感に苦しめられ、しかも十分な情操教育
(人の心の育成)がされていませんでした。この意味では、犯人は親の犠牲(ぎせい)に
なったとも言えるでしょう。

 しかし、それだからと言って、無差別な殺傷事件を起こして良いわけがありません。裁
判を経(へ)たのち、法律で決められた刑罰を受けるのは当然です。
 この事件の犯人は、2015年に死刑判決が確定し、2022年に東京拘置所(こうち
しょ)で死刑が執行(しっこう)されました。


5章 ある物理学者
 2008年7月10日に、戸塚洋二(とつかようじ)さんという物理学者が癌(がん)
のために亡くなられました。享(きょう)年66歳(満年齢)でした。
 じつは、私が以前に大学院生だったとき、この方と会ったことがあります。そして、少
しだけですが個人的に会話もさせて頂きました。

 戸塚さんは、小柴昌俊(こしばまさとし:1926年生~2020年没 2002年に
ノーベル物理学賞受賞)さんの愛弟子(まなでし)で、「スーパーカミオカンデ」という
実験プロジェクトを指揮した人です。
 この実験によって、「ニュートリノ」という素粒子に、質量(重さ)があることを証明
しました。その功績により、戸塚さんはノーベル賞の最有力候補と言われていました。

 実はそれまで、ニュートリノの質量はゼロだと考えられていて、それが素粒子を研究す
る科学者たちの常識でした。だから「スーパーカミオカンデ実験」による結果は、素粒子
の常識をくつがえす(素粒子の標準理論に修正を迫る)ほどの、歴史的な成果となったの
です。

 戸塚さんは、ノーベル賞こそ受賞されていませんでしたが、仁科記念賞、紫綬褒章(し
じゅほうしょう)、文化勲章など、とてもたくさんの賞を受けられています。
 そして2007年には、アメリカ版のノーベル賞ともいわれる、ベンジャミン・フラン
クリン・メダルを授与されました。

              * * * * *

 ところで、以前に私が所属していた研究室でも、メインの研究プロジェクトはニュート
リノの質量を観測することでした。つまり戸塚さんが指揮していたスーパーカミオカンデ
とは、実験の方法が違うものの、研究の目的はまったく同じだったわけです。
 そのような関係から、かつて私が所属していた研究室で、戸塚さんを講師として招き、
集中講義をしてもらったことがありました。

 そのとき私は、下っぱの大学院生に過ぎませんでしたが、講義の休憩(きゅうけい)時
間にお茶を差し上げたついでに、ちょっとだけ戸塚さんと会話をすることが出来ました。
 私が戸塚さんに、いちばん聞きたかったのは、じつは小柴さんのことでした。その当時、
研究室のボスと言えば、だいたい戸塚さんと同じぐらいの世代で、小柴さんはボスのボス
に当たる世代なのです。

 だから私たちの世代にとっては、研究室のボスから小柴さんの武勇伝をよく聞かされる
ものの、実際には会ったことがない「伝説的な人物」となっていました。それで私は、そ
の当時はまだノーベル賞を受賞されていませんでしたが、小柴さんのことにすごく興味が
あったわけです。

 「小柴先生って、どんな方ですか?」と、私は戸塚さんに質問しました。
 「そうだね。非常に柔軟な思考の持ち主というか、まるで少年のような頭脳を持ってい
る方です」というのが、戸塚さんから頂いた回答でした。
 「本当に、少年のような心と頭を持っている方なのですよ」と、戸塚さんはくり返して
言いました。それが今でも私の印象に残っています。

 それからしばらくして、私は研究室を去ることになり、さらにそれから4年後、小柴さ
んがノーベル賞を受賞されました。
 戸塚さんも色々な賞を受け、もう私なんか、おいそれとは近づけないような、とても偉
い先生になられたのです。

              * * * * *

 ところで戸塚さんは亡くなる直前に、評論家の立花隆(たちばなたかし)さんと対談を
しており、その記事が文芸春秋の2008年8月号に載っていました。

 それを読んでみましたが、「戸塚さんは ”根っからの科学者” なのだなあ」と言うのが、
率直に感じたことです。
 なぜなら、CT画像(立体的に撮影したレントゲン写真)のデータを自分で分析して、
腫瘍(しゅよう)が大きくなっていく時間変化を測定したり、腫瘍マーカー(血液中に含
まれる癌に特有の物質)の値をグラフにしたりと、自分の体が癌に侵(おか)されていく
様子を、克明に分析なさっていたからです。

 対談記事のなかで立花さんが、「ご自分の腫瘍マーカーや腫瘍のサイズを数値化されて、
いま、自分はどうゆう状態にあると判断されていますか?」と、質問したのに対し、
 戸塚さんは、「もう最終段階に入りました。今年になって、全身に転移が見つかってい
ます。腫瘍マーカーも、正常値が5のところが、先日計(はか)ったら、残念ながら30
00でした。癌が暴走しているんです。」と、冷静に答えていたのにはすごく驚きました。

 このように「自分の死」を目の前にして、自分自身の状態を客観視するなど、やはり
「戸塚さんは ”根っからの科学者” なのだなあ」と、私は思わずにいられませんでした。

              * * * * *

 ところで、戸塚さんが亡くなって9年後の2017年に、私の父が「ステージ4の肺癌」
と診断され、抗癌剤治療を行うことになりました。「ステージ4」というのは、かなり重
症な癌で、手術が不可能であり、5年以内に死亡する確率が95%ぐらいと言われていま
す。

 父が抗癌剤治療を始めた当初は、腫瘍マーカー値が6ぐらいに抑えられていました。し
かし、だんだんと抗癌剤が効(き)かなくなり、2年後にはマーカー値が15、3年後に
は70、4年後には300と、徐々に腫瘍マーカー値が上がって行きました。

 そんな状況の中で私は、戸塚さんがマーカー値3000まで生きておられたことを何回
も思い出し、それによって自分自身を安心させ、父にも戸塚さんの話をして勇気づけてい
ました。
 けっきょく父は、2021年に肺癌ではなく「急性肺炎」で亡くなったのですが、それ
までの間、文芸春秋に載っていた戸塚さんの腫瘍マーカーのデータには、私も父もすごく
勇気づけられたのです。

 戸塚さんには、本人が亡くなった後でさえ、大変お世話になったという感じがしており、
私にとって忘れられない人となりました。


 つづく



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