心の食べ物         2004年6月6日 寺岡克哉


 私は以前から、人間には「心の食べ物」というものが必要なのではないかと、
ずっと考えていました。

 私がエッセイを書き続けているのも、出来るだけたくさんの人々に、「心の食べ物」
を提供したいという思いからです。

 ところで・・・
 物質的に豊かになり、まだ使えるテレビ、冷蔵庫、パソコン、衣服、生活物資など
が、平気でゴミとして捨てられる現代社会・・・。
 飽食の時代といわれ、食べ物が平気で捨てられ、肥満の人が多く、みんながダイ
エットに精をだす現代社会・・・。
 それほどまでに食料や生活物資にあふれ、「自分の生命を維持するため」には、
何の支障もない現代社会・・・。

 それなのに、生きることを辛く感じる人が多いのは、現代人の「心が飢えている」
からだと私は思うのです。
 そして現代人の心が飢えているのは、「心の食べ物」が欠乏しているからだと、
私は考えています。
 人間は、「食べ物」が欠乏すれば体力を失って「餓死」するのと同じように、「心の
食べ物」が欠乏すれば生きる意欲を失って「心が餓死」し、自ら死を選んで本当に
死んでしまうのだと私は思います。

 しかしながら、
 「心の飢え」とは、いったい何なのでしょうか?
 そして「心の食べ物」とは、いったい何なのでしょうか?

 私は、それを次のように考えています。
 「心の飢え」とは、人間同士の心のつながりや、地球の生命や大自然との心の
つながり、あるいは神や仏との心のつながりを喪失したことによる、「人間個人の
絶対的な孤独」
と言えるようなものではないかと考えています。
 だから「心の飢え」を解消するためには、人間同士の心のつながりや、地球の生
命や大自然との心のつながり、あるいは神や仏との心のつながりを回復する必要
があります。
 「心の食べ物」とは、人間個人を孤独から救ってくれる、何かの存在との「信頼あ
る心のつながり」や「一体感」、つまり「愛し愛される関係」のことなのです。
 「心が飢えている」とは、じつは「愛に飢えている」ことなのです。

 ところで、物質的に恵まれていない貧しい国々でも、心豊かに暮らしている人々は
たくさんいます。それは、人と人との心が通い合っているからです。
 貧しい人々の間で心の通い合うことが多いのは、「お互いに助け合わなければ
生きていけない状況」
になっているからだと思います。
 隣人が困っているのに助けなければ、今度は自分が困ったときに誰も助けてくれ
ないのです。そしてそれが、本当に自分自身の「死活問題」となるのです。
 だから常に、周りの人々との「信頼ある心のつながり」や、運命共同体としての
「一体感」を保つ必要があるのです。

 逆に、物質的に豊かな国であればあるほど、人々の心が貧しく、荒(すさ)んでいる
ようなことはないでしょうか?
 それはたぶん、「お金さえあれば、他人の手助けなど全く必要ないから」だと思
います。他人の助けがまったく必要なければ、他人との「信頼ある心のつながり」や
「一体感」も保つ必要がありません。
 そのような生活環境では、他人との人間関係はただ邪魔でうるさく、鬱陶しいだけ
でしょう。しかしそれが「心の飢え」を助長し、人々の心を荒ませているのです。

 ところでまた、たとえば人里離れた山奥にたった一人で暮らしても、木々や草花、
虫や鳥、動物たち、あるいは大自然と心が通い合っていれば、孤独を感じることは
ありません。
 しかし、大都会で大勢の人間に囲まれて暮らしても、ほかの誰一人とも心の通い
合うことがなければ、たいへんな孤独に苦しめられるのではないでしょうか?

 このように、人間は「何らかの心のつながり」を持たなければ、「心の飢え」つまり
「孤独」に苛まれてしまうのです。

                   * * * * *

 「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

                      (新約聖書 ヨハネによる福音書 6章35節)

 このキリストの言葉も、「心の食べ物」のことを言っているように、私には思えてな
りません。
 キリストは、自分のことを「命のパン」、つまり「命の食べ物」だと言っています。こ
れは、私の考えている「心の食べ物」という概念と、非常に良く一致しているように
思うのです。

 キリストの教えを信じること。
 キリストと自分との、信頼ある心のつながり。
 キリストと自分との、愛し愛される関係。
 これらはまさに、バラバラに切り離された人間個人を絶対的な孤独から救う、「心
の食べ物」そのものだと私は思います。

 そしてそれはキリストだけに限らず、神と自分との心のつながりや、仏と自分との
心のつながりも、まったく同様に言えることだと思います。



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