怒りの必要性と危険性
                                2025年3月2日 寺岡克哉


 キリスト教では、「怒り」や「憎しみ」や「復讐心」を、固(かた)く戒(いまし)め
ています。それは例えば、新約聖書の以下の記述に見られます。

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 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁(さば)き受
ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも
裁きを受ける。」   新約聖書(新共同訳) マタイによる福音書 5章21~22節

 あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。
 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
           新約聖書(新共同訳) マタイによる福音書 5章43~48節

 あなたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。
 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向(てむ)かってはならない。
 だれかがあなたの右の頬(ほお)を打つなら、左の頬をも向けなさい。
 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
 だれかが、1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。
 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
           新約聖書(新共同訳) マタイによる福音書 5章38~42節
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 また仏教では、とくに「怒り」にたいして固く戒めています。
 それは、ダンマパダ(真理のことば)や、ウダーナヴァルガ(感興のことば)という仏
教経典に、以下のように記述されています。

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 怒りを捨てよ。慢心(まんしん)を除き去れ。      ダンマパダ17章221節

 走る車をおさえるようにむらむらと起こる怒りをおさえる人--かれをわれは「御者
(ぎょしゃ)」とよぶ。他の人はただ手綱(たづな)を手にしているだけである。( ”御
者” と呼ぶにはふさわしくない。)            ダンマパダ17章222節

 怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち
合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。
                            ダンマパダ17章223節

 真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しい中から与えよ。これら三つの事によって
(死後には天の)神々のもとに至り得るであろう。     ダンマパダ17章224節

 怒りが起こったならば、それを捨て去れ。情欲が起こったならば、それを防げ。
                           ウダーナヴァルガ20章2節

 怒りを滅ぼして安らかに臥(ふ)す。怒りを滅ぼして悩まない。毒の根であり、甘未を
害(そこな)うものである怒りを滅ぼすことを、聖者らは賞讃(しょうさん)する。
                           ウダーナヴァルガ20章3節

 怒りたけった人は、善いことでも悪いことだと言い立てるが、のちに怒りがおさまった
ときには、火に触れたように苦しむ。          ウダーナヴァルガ20章4節

 かれは、恥じることもなく、怒りたける。怒りに襲われた者には、たよりとするべきい
かなる帰趣(よるべ)もこの世に存在しない。      ウダーナヴァルガ20章5節

 或(あ)る人にとって力は力であっても、怒ったならば、その力は力でなくなる。怒っ
て徳行の無い人には道の実践ということが無い。     ウダーナヴァルガ20章6節
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 以上のように、仏教やキリスト教では、2000年以上も前から「怒り」を戒めてきま
した。

 ところが、それから2000年以上経ってもなお、「怒り」は人類から消え去ることが
ありませんでした。それは何故(なぜ)かというと、「怒り」は人類が生存するために必
要だからです。
 たとえば自分を守るため、家族や仲間を守るため、国を守るため・・・そのためには、
敵と戦わなければなりません。そして敵と戦って勝つためには、強い「怒り」の感情が必
要となります。

 つまり「怒り」というのは、いざ戦うときに、肉体のパワーを引き出すための感情なの
です。
 もしも「怒り」を絶対に持たない人間集団があったとすれば、そのような集団は、怒り
をむき出しに戦いを挑(いど)んでくる敵集団に駆逐(くちく)されてしまうでしょう。

 ここに、「怒りの必要性」が示されています。

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 しかしながら、「怒り」というのは望ましくない感情です。
 なぜなら「怒り」は、心身のエネルギーをすごく消耗させ、心身に負担をかける不自然
な状態だからです。そして「怒り」を長く続ければ「苦しみ」になり、心臓や脳や血管な
どに悪影響を与えるからです。
 「怒り」は、「いざ戦わなければならない!」という、非常時や緊急時に対応するため
の感情であり、平和になったら早急(さっきゅう)に解消するべき感情なのです。

 ところで、武器が発達していなかった昔の時代は、戦うために身体を酷使する必要があ
り、「怒りのパワー」がすごく必要でした。
 しかし現代では、銃などの武器が発達したため、「ちょっとした怒り」で人を殺傷して
しまう事件が後を絶ちません。

 その最たるものが「核兵器」であり、いまや「怒り」によって、人類全体が滅亡してし
まう恐れさえ現実的になっています。

 ここに、「怒りの危険性」が示されているのです。

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 以上、「怒り」の必要性と危険性を示してきましたが、

 昔の時代と違って現代では、怒りによって戦うことよりも、怒りを抑えて平和になるこ
との方が、人類の存続にとってものすごく重要になっています。

 ゆえに「怒ってはならない」という教えは、いまや人類存続の根底をなす、とても大切
な教えとなっているのです。



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