愛と赦しの弱点
2025年2月23日 寺岡克哉
キリスト教は、「愛と赦(ゆる)し」を、とても重んじる宗教です。それは、新約聖書
の以下の記述などに表れています。
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あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あな
たがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇(のぼ)らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降
(ふ)らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報(むく)いがあろうか。
徴税人(ちょうぜいにん)でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶(あいさつ)したところで、どんな優れたことをしたことになろ
うか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりな
さい。 新約聖書(新共同訳) マタイによる福音書 5章43~48節
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。悪人に手向(てむ)かってはならない。
だれかがあなたの右の頬(ほお)を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが、1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
新約聖書(新共同訳) マタイによる福音書 5章38~42節
そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を
犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
新約聖書(新共同訳) マタイによる福音書 18章21~22節
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上のようにキリスト教は、敵や悪人にたいする寛容(かんよう)の精神を、とても強く
説いています。そしてそれは、ものすごく崇高(すうこう)な理念であり、人間の心の在
り方として最高の理想であると思います。
しかし一方、それは、ふつうの人間には不可能なまでの「お人よし」を強いるものであ
るとも言えるでしょう。
そのため、
これでは敵や悪人の、やりたい放題になってしまうではないか!
敵や悪人を赦せば、また敵対行動や悪事を働くではないか!
愛と赦しの教えを守る正しい人たちは、みんな殺されるままに殺されて、絶滅してしま
うではないか!
と、このように批判したくなるのも当然だと思います。そしてこれが、「愛と赦しの弱
点」であると、私は思うわけです。
ところが、
キリストが説いた「愛と赦し」の教えは、2000年以上にもわたって大切に守り伝え
られてきました。
つまり、キリスト教を信仰する人々が殺されまくって絶滅し、「愛と赦し」の教えが歴
史から消滅するということは、まったく起こらなかったわけです。
だから、やはり「愛と赦し」というのは、人類にとって必要であり大切なことなのは間
違いありません。
ところで歴史を見ると、
キリスト教圏において、昔も現在でも戦争が絶えません。
また、宗派争いや宗教戦争、異端審問、魔女狩りなど、キリストの「愛と赦しの教え」
に真っ向から反する行為を、当の教会そのものが行ってきた事実も確かにあります。
だから、「愛と赦し」の教えを完全に実行するのは、キリス教を信仰する者にとっても、
なかなか難しいことなのでしょう。
そしてもしも、キリスト教を信仰する者すべてが、「愛と赦し」の教えを完全に実行し
たならば、敵や悪人に皆殺しにされて、キリスト教は消滅していたことでしょう。
ゆえに、
キリストが説いた「愛と赦し」の教えは、完全に実行するものではなく、各人が心の片
すみに置くことで、憎しみと復讐(ふくしゅう)の連鎖や拡大を抑制すること。
それこそがキリストの本意であり、人類の存続と繁栄にとって、ものすごく重要なこと
なのだと私は考える次第です。
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