神とは、この世界そのもの 2
2025年2月16日 寺岡克哉
前回のエッセイを書き終わった後、もしかしたら私と似たような考え方が存在している
かも知れないと思い、ちょっとインターネットで調べてみました。
そうしたら、「汎神論(はんしんろん)」というキーワードを見つけました。
このキーワードで調べてみると、まず「汎神論」というのは、「すべての存在の総体」
としての「この世界」と、「神」が、同一であると考えるみたいです。
ここで、「すべての存在の総体」というのは、「宇宙全体」とか、もしもマルチバース
が存在すれば「マルチバース全体」と考えて良いと思います。
この意味で「汎神論」は、私が前回で定義し直した「神とは、この世界そのもの」とい
うのと、まったく同じだと言えるでしょう。
そして「汎神論」は、神を擬人化した、いわゆる人格神を認めません。
また、「この世界」は「この世界の外にある神」によって創造されたとするのが有神論
ですが、汎神論は「この世界」と「この世界の外」という区別を否定します。
なぜなら汎神論は、あくまでも「この世界そのものが神」なのであり、この世界を超越
した、この世界の外に存在するような神を、想定しないからです。
そして汎神論は、この世界に存在する個々のもの全てが、この世界そのものである神の、
一部であると考えます。
以上を見ると、汎神論は私が考えている神と、ほとんど一緒のように思えます。
* * * * *
しかしながら汎神論にも、その他いろいろな立場や見解があるみたいです。
たとえば極端な例として、
「この世界と神は同一である」という考えのうち、「神」の方に100パーセントの重
点を置いて、「神」のみが実在しており、「この世界」は神の流出や表現や展開、つまり
「神の現れ」に過ぎないと考えてしまうと、「実在するのは神だけで、この世界は実在し
ない」というような「無世界論」になってしまいます。
しかし私は、「この世界は実在する」と考えており、そのように実感し、そのように心
の底から確信しています。なぜなら「この世界」には、たしかに見ることも触ることもで
きる無数の事物が存在するからです。ゆえに私は、「無世界論」を認めることはできませ
ん。
また、逆の極端な例として、
「この世界と神は同一である」という考えのうち、「この世界」の方に100パーセン
トの重点を置いて、「この世界」のみが実在しており、神は「この世界の総和」にすぎな
いと考えてしまうと、無神論や唯物論になってしまうのです。
しかし私は、前回で述べたように、無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の
数の宇宙を含み、無限の階層構造を持つものとしての「神」が、存在するのだと考えてい
ます。ゆえに私は、「無神論」を認めることができません。
また「この世界」には、意思や意識、意志、生命、情報などの、「物質ではないもの」
も確かに存在しています。ゆえに私は、「唯物論」も認めることができないのです。
* * * * *
ところでまた、上で述べたように汎神論は、「この世界に存在する個々のもの全てが、
神の一部である」と考えます。そして私も、この考え方には賛成します。
ところが汎神論の中には、その考え方が極端に変形して、「この世界に存在する個々の
もの全てが神である」という考え方があるみたいです。
しかし私は、「この世界に存在する個々のもの全てが神である」とは、考えていません。
なぜなら、たとえば「単なる物質が神である」とか、また例えば「私自身が神である」
などとは、絶対に考えられないからです。単なる物質は、とうぜん神ではありませんし、
もちろん私も、決して神ではありません。
私は、ある特定の物体(神像、仏像、ご神体など)や、ある特定の生物(鳥、熊、古い
樹木など)や、ある特定の人物(釈迦やキリストなど)を神格化することに反対するもの
です。
たしかに、神像や仏像、古い樹木、釈迦やキリストなどに「神聖さ」を感じ、それらを
神として崇(あが)めたくなる気持ちはすごく分かります。が、しかし私は、それらが
「神そのもの」であるとは考えていないのです。
しかし、そうすると、「この世界に存在する個々のもの」が神でないならば、なぜ、そ
れらを寄せ集めた「この世界全体」が神になり得るのか? という疑問が生じます。
この疑問にたいして私は、「この世界に存在する個々のもの」と「神」の関係が、「物
質」と「生命」のような関係になっていると考えています。
つまり、さまざまな物質がたくさん集まり、それらが複雑に関係し合うことによって、
「生命」が形成されています。が、しかし、それぞれ個々の物質には、とうぜん生命など
存在しません。
それと同じように、個々の物質や私自身は神ではありませんが、私自身を含めた様々な
生命や物質がたくさん集まり、それらが複雑に関係し合うことによって、「神」を創(つ
く)っているのです。
このように、個々の要素がたくさん集まり複雑に関係し合うことによって、個々の要素
には存在しなかった新たな性質が生まれる現象を、「創発」といいます。
つまり、「この世界に存在する個々のもの」には神が存在しませんが、それらが集まり
複雑に関係し合うことによって創発が起こり、神が創成されるわけです。
たとえば地球全体のさまざまな要素がたくさん集まり複雑に関係し合うと、生命の発生
や進化、生態系の形成、人類の誕生などを司(つかさど)る、「神に近いもの」が創発さ
れます。
さらには宇宙全体のさまざまな要素がたくさん集まり複雑に関係し合うと、ビッグバン
による物質の生成、恒星や惑星や銀河の形成、生命の誕生と進化などを司る、「さらに神
に近いもの」が創発されます。
そしてさらに、マルチバース全体のさまざまな要素がたくさん集まり複雑に関係し合う
と、ビッグバン以前の状態からビッグバンを発生させたり、無数に存在する宇宙の集合体
を司る、まだ人類には知ることができない「さらにもっと神に近いもの」が創発されてい
るのでしょう。
このように、対象とする要素の範囲が広くなればなるほど、より神に近いものが創発さ
れると私は考えています。
そして前回で述べたように、無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の数の宇
宙を含み、無限の階層構造を持つ「この世界全体」の要素を対象としたときに創発される
神が、私の考えている神なのです。
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