神とは、この世界そのもの 1
2025年2月9日 寺岡克哉
これまで本サイトでは、過去に書いたエッセイをまとめて、書籍の原稿にしたものを紹
介してきました。
が、しかしそろそろ、いくつか新しく書きたいことが出てきたので、今回から従来通り
のエッセイを書くことにします。
* * * * *
さて、私は以前に、「神とは、この世を、この様にしているものである」と定義しまし
た。
ここで、「この世」とは、人間や人類社会、生命、生態系、地球、そして太陽系や銀河
系を含めた「宇宙全体」のことをいいました。
そして、「この世を、 “この様に” しているもの」というのには、以下の三つの意味が
含まれていました。
●この世を、この様な「存在」にしているもの。
●この世を、この様な「状態」にしているもの。
●この世を、この様な「状況」にしているもの。
つまり神とは、人間や人類社会、生命、生態系、地球、太陽系や銀河系を含めた宇宙全
体を、この様に存在させ、この様な状態にし、この様な状況にしているものです。
この神を、もうすこし具体的に表現してみると、たとえば・・・
神とは、およそ140億年前に、ビッグバン(宇宙の始まりの大爆発)によって、この
宇宙を誕生させたものです。
神とは、ビッグバンの莫大なエネルギーから、電子や陽子、中性子などの素粒子を作り
出したものです。
神とは、それらの素粒子から、水素やヘリウムなどの原子、つまり物質を作り出したも
のです。
神とは、それらの原子を集めて恒星を作ったものです。
神とは、恒星の中心部で核融合を起こさせ、水素やヘリウムを原料にして、炭素や酸素、
鉄などの様々な原子を作ったものです。
神とは、宇宙に漂(ただよ)う膨大な星間物質を集めて、さまざまな恒星や銀河、太陽
系、そして地球を作ったものです。
神とは、地球に空(大気)や大地や海を作ったものです。
神とは、地球の海の中で、原子を結合させて分子や高分子を作ったものです。
神とは、高分子を組み合わせて、地球に生命を誕生させたものです。
神とは、生命を進化させ、単細胞生物から多細胞生物、無脊椎動物、脊椎(せきつい)
動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、サルの仲間、そしてヒトを誕生させたものです。
神とは、細菌や植物や動物など、すべての生物によって、地球の生態系を作り出したも
のです。
神とは、私たち人間に、自我意識や思考能力や感情を持たせたものです。
神とは、私たち人間に、村や町、都市、国家、国際社会を作らせたものです。
神とは、私たち人間に、政治や経済、宗教、その他さまざまな社会活動を行わせるもの
です。
神とは、私たち人間に、学問や教育、医術、芸術、工芸、スポーツ、芸能、その他さま
ざまな文化活動を行わせるものです。
神とは、様々な自然法則や、様々な因果関係や、様々な偶然や必然を司(つかさど)る
ものです。
・・・・・・等々、具体例を上げれば、まだまだ限がありません。
ところで、ビッグバンが起こる以前にも、何かの因果関係が、無限の過去から連綿(れ
んめん)と続いて来たはずです。その結果として、140億年前にビッグバンが起こり、
この宇宙が誕生して、「この世が、この様になった」わけです。
だから神は、無限の過去から現在まで起こった事象の、すべてを司っています。
* * * * *
以上が、私が以前に定義した「神」です。
しかしながら上で述べた神の定義だと、神とは、この世界を超越して存在する絶対者で
あり、その絶対者が、この世界の外からこの世界を司っている(つまり支配している)の
だと、誤解されかねません。
しかし私は、神が、この世界を超越した絶対者であるとは考えていないのです。
なぜなら、あくまでも「この世界」は、この世界自らの法則や因果関係、この世界自ら
の偶然や必然によって、営(いとな)まれていると私は考えるからです。
つまり「この世界」を司っているのは、あくまでも「この世界自身」であり、この世界
を超越した絶対者によって支配されている訳がないと、私は考えるからです。
なぜ、そう考えるのかと言えば、あくまでも実際に存在するのは、「この世界」だから
です。
ゆえに、この世界を超越した絶対者を想定するのは、あまりにも恣意的(しいてき)に
過ぎると感じるのです。
そしてまた、そのような絶対者を想定すれば、「その絶対者を生んだのは何ものか?」
という疑問が、どうしても生じてしまうでしょう。
* * * * *
そこで、上で述べたことを明確にするために、
「神とは、この世を、この様にしているものである」という定義から、
「神とは、この世界そのものである」と、定義し直したいと思います。
ただしここで、「この世界」とは、
人間や人類社会、生命、生態系、地球、そして太陽系や銀河系を含めた「宇宙全体」の
ことだけではありません。
たとえば、ビッグバンが起こる前の世界が存在するならば、それも「この世界」としま
す。
また、この宇宙全体をその内部に含むような、さらに大きな世界が存在するならば、そ
れも「この世界」とします。
さらに、この宇宙の他にたくさんの宇宙が存在するという「マルチバース」と呼ばれる
考え方がありますが、この世界がマルチバースであるならば、それら存在する全ての宇宙
を含めた「マルチバース全体」も、「この世界」とします。
とにかく、ビッグバン以前の世界も、この宇宙を内部に含む巨大な世界も、マルチバー
スも、それらが存在するならば「この世界」とします。
* * * * *
ところで、およそ140億年前にビッグバンが起こったのなら、ビッグバンが起こる以
前の世界というのが、必ず存在するはずです。
また、140億年前に誕生した「この宇宙」は、現在でも膨張を続けていますが、その
膨張し続ける宇宙の外延部(がいえんぶ)よりも、さらに外側の世界。つまり、この宇宙
全体でさえも、その一部として内部に含んでしまうような、さらに巨大な世界。言うなれ
ば「この宇宙の入れ物」が、必ず存在するはずです。
そしてまた、マルチバースが存在する可能性は、理論物理学によって指摘されています。
つまりマルチバースは、理論的に存在する可能性があるわけです。
* * * * *
以上を踏まえて、論理的に考えて行くと、
「この世界」というのは、無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の数の宇宙
を含み、無限の階層構造を持っていても、まったく不思議ではないと私は思っています。
たとえば、この世界全体から見ると、この宇宙全体など、1つの素粒子ていどの存在か
も知れません。
つまり、この宇宙全体が1つの超巨大な素粒子だとすれば、それが複数集まって超巨大
な原子を作り、さらにそれが多数集まって、超巨大な星や生命を作っているかも知れない
のです。
また逆に、1つの素粒子の内部には、この宇宙全体に匹敵するような世界が広がってい
るかも知れません。
たとえば、たった1つの陽子の中に、数えきれないほどの超微小な銀河や星や生命が含
まれているかも知れないのです。
そのような、無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の数の宇宙を含み、無限
の階層構造を持つものが、私が考えている「この世界」です。
その上で、「神とは、この世界そのものである」と、私は定義し直した次第です。
目次へ トップページへ