心の宝物 1
                               2024年12月8日 寺岡克哉


 今回から、「心の宝物」という本の原稿を紹介して行きます。



 題名 心の宝物

 目次


  はじめに
  1章 トルストイの人生論
  2章 素粒子帝国主義の崩壊
  3章 水車小屋の男
  4章 創発
  5章 教育は楽しむ能力の訓練
  6章 好きこそ物の上手なれ
  7章 「人の心」の形成
  8章 キリストの死
  9章 失恋
 10章 生命の絶対価値
 11章 呼吸
 12章 「弱い」ということ
 13章 「食」について
 14章 銀河鉄道999
 15章 愛すれば幸福
 16章 慈悲
 17章 隣人愛
 18章 最高の愛
 19章 よく人を愛し、よく人を憎む
 20章 過ぎたるは及ばざるがごとし
 21章 地球は青いに違いない
 22章 上善は水のごとし
 23章 真理
 24章 神を悟る
 25章 存在
 26章 般若心経
 27章 丸山東壁
 28章 自我意識
 29章 人生における最大の誤解
 30章 人生の完成
 31章 死は苦でない!
 32章 肉体の死で終わらない生命
 33章 永遠の生命
  あとがき



 はじめに

 本書の題名になっている「心の宝物」とは、私が宝物のように大切にしている、古今東
西の言論や思想、そして私なりに発見した物事に対する見方や考え方(つまり大げさに言
えば私の思想)、そしてまた、私の貴重な人生体験などのことです。

 それらは、私の「心の拠(よ)り所」であり、また、私の「人生の指針」でもあります。

 「心の宝物」は、私の人生にとても大きな影響を与えており、「私の人生を、いま在る
ようにしたもの」と言っても過言ではありません。それは正(まさ)しく、私の「心の財
産」と言えるものです。

 ちなみに私は、金銭的な財産など皆無です。しかし「心の財産」ならば、少しは持って
いるつもりです。その「心の財産」、つまり「心の宝物」を、一人でも多くの人と分かち
合いたいと思い、本書を書いた次第です。



1章 トルストイの人生論
 まず私が、いちばん最初に「心の宝物」として挙げたいのは、トルストイの「人生論」
(原卓也・訳 新潮文庫)という本です。なぜなら、この本こそが、私の人生にたいして、
いちばん大きな影響を与えたからです。

 たとえば私の、物事(ものごと)にたいする捉(とら)え方や感じ方、あるいは考え方
など・・・ つまり、私の人生観や世界観あるいは生命観などは、この本の影響によると
ころが非常に大きかったのです。

 そしてまた、この本に出会ったことで、私の人生が大きく変わりもしました。つまり、
トルストイの「人生論」が、私の生き方を大きく変えたと言っても、まったく過言ではな
いのです。
 たとえば、この本を読んだことは、かつて私が科学者になる道を断念した一つの理由に
なりましたし、現在の私が愛や生命に関する思索(しさく)を行っているのも、この本に
出会ったことが最大の理由です。
 もしも私が、トルストイの「人生論」を読むことが無かったら、拙書「生命の肯定」を
出版することは絶対に無かっただろうし、本サイトで執筆活動を続けることも、絶対に無
かったでしょう。

 それほどまでに、トルストイの「人生論」は、私に大きな影響を与えたのです。

 ところで、この本は、私が持っていた「生命」というものの概念を、大きく塗り替えま
した。
 つまり、トルストイの「人生論」に出会う前の私は、「生命」といえば生まれたときに
始まり、病気や怪我や老化などで死ねば終わってしまう、いわゆる「肉体的な生命」(ト
ルストイによれば「動物的生存」)のみに、生命の概念が閉じていました。
 しかしトルストイは、「人間の生命」は他の動物と異なり、「肉体的な生命(動物的生
存)」だけでなく、「精神的な生命」(トルストイによれば「理性的な意識」)というの
が存在し、その「精神的な生命(理性的な意識)」は、肉体が死んでも消滅しないことを
説いたのです。

 肉体が死んでも消滅しない生命・・・ この生命概念は、私の人生観や世界観に、もの
すごく大きな衝撃を与えました。そして私は、すっかりトルストイに取り憑(つ)かれて
しまったのです。

 トルストイの「人生論」は、私にとって、ほんとうに「心の宝物」です。
 この本を私は、これまでに30回以上は読んでおり、これほど惚(ほ)れ込んだ本は他
にありません。私が今まで読んだ本の中で、一番のお勧(すす)めを挙げるとすれば、や
はり、トルストイの「人生論」を推(お)します。


2章 素粒子帝国主義の崩壊
 かつて私は、大学の研究室に在籍して、「素粒子」に関わる研究をしていました。
 「素粒子」というのは、すべての物質を構成する、いちばん小さな粒子のことです。
 たとえば「私の体」は、たくさんの「細胞」からできていますが、それらの「細胞」は、
さらに小さな「分子」からできています。
 そして「分子」は、さらに小さな「原子」からできており、「原子」は「原子核」と
「電子」から、さらに「原子核」は「陽子」と「中性子」から出来ています。
 昔は、これら陽子や中性子そして電子を「素粒子」と呼んでいましたが、現代では、そ
の内の陽子と中性子が、さらに小さな「クォーク」という粒子から出来ていることが分かっ
ています。つまり現代では、「クォーク」と「電子」が、「素粒子」と呼ばれる最小の粒
子とされているのです。

             * * * * *

 さて、ここで、
 すべての物質が「素粒子」から出来ているのであれば、素粒子のことを詳しく研究すれ
ば陽子や中性子のことが分かり、陽子や中性子のことが分かれば原子核のことが分かり、
原子核のことが分かれば、原子や分子のことが分かるはずです。
 そして原子や分子のことが分かれば、細胞のことが分かり、細胞のことが分かれば、私
たち人間のこと(脳の構造や機能、心の問題なども含めて)が分かるはずです。
 そして人間のことが分かれば、民族や国家、政治や経済、スポーツや芸術(絵画、音楽、
文学など)、あるいは道徳や宗教、犯罪やテロ、戦争などのことも分かるはずです。
 あるいは素粒子のことが分かれば、人間だけでなく他の生命や生態系。さらには地球、
太陽系、銀河系、そして宇宙全体のことさえも、「素粒子」を研究すれば分かるはずです。

 つまり、「素粒子を研究すれば、この世の全てが分かる!」
 これが、かつて私が素粒子に関わる研究をしていた最大の理由です。

            * * * * *

 ところが!
 あるとき指導教官の教授から、「君はどうして素粒子の研究者を目指しているのか?」
という質問を受けたことがありました。
 そのとき私は、上のような話をして、「素粒子の研究をすれば、この世の全てが分かる
からです」と答えました。
 そうすると教授は、「そのような考え方を ”素粒子帝国主義” と言うのだが、それは完
全に間違っている。たとえば、いくら陽子や中性子のことを詳しく研究しても、それで理
解できるのは、せいぜいヘリウム原子核(陽子2個、中性子2個の原子核)ぐらいまでだ。
それよりも陽子や中性子が増えれば、原子核物理学に独自の考え方(原子核のモデル)を
導入しなければ、原子核のことは理解できない。」と、いうようなことを話された覚(お
ぼ)えがあるのです。

 つまり、いくら陽子や中性子のことを詳しく研究しても、その研究成果だけで理解でき
るのは、ごくごく簡単な構造の原子核だけで、たとえば生物に多く使われている炭素の原
子核(陽子6個と中性子6個)のことなどは、もう分からないというのです。
 従って、いくら素粒子のことを研究しても、高分子であるタンパク質や、いわんや細胞
のことなど、分かる訳がないのです。

 当然ですが、人間や、政治、経済、国家、その他もろもろのことなども、いくら素粒子
の研究をしたところで、分かる訳がありません。

 私は、この話を教授から聞いて納得し、「素粒子帝国主義の崩壊」とも言えるような体
験をしたのでした。

              * * * * *

 ところで・・・ 
 もともと私は、「人間の幸福」とか「人としての心の在り方」などに対して、けっこう
大きな問題意識を持っていました。

 ところが「素粒子帝国主義の崩壊」によって、いくら素粒子の研究をやっても、幸福や
心の問題に取り組むのには役に立たないと、心の底から思い知ったわけです。
 そして私は、「素粒子帝国主義の崩壊」という理由もあって、研究室を去ることを決意
し、いま現在、本サイトに文章を書くような人間になっているわけです。
 (ちなみに、研究室を去った一番大きな理由は、研究者になるための能力と努力が不足
していたからです。)

 以上のように、
 「素粒子帝国主義の崩壊」は、私に新しい生き方を決意させてくれたという意味で、
「心の宝物」となっているのです。


3章 水車小屋の男
 前章では、「いくら素粒子を研究しても、原子核のことさえ分からない」という教授の
話を聞いて納得し、「素粒子帝国主義の崩壊」を体験したことについて書きました。
 しかしながら、「素粒子のことが分かれば、この世の全てが分かる!」という考え方は、
私が中学生のころから持っていた、いわば信念のようなものでした。
 だから、その考え方を簡単に変えられるはずがなく、ただ教授の話を聞いただけで、
「素粒子帝国主義の崩壊」を受け入れた訳ではありません。
 じつは、私が愛読していたトルストイの人生論に、「水車小屋の男」についての話が書
かれているのですが、その話を前もって何回も読んでいたこともあり、「素粒子帝国主義
の崩壊」を、けっこう素直に受け入れることができたのです。

             * * * * *

 その「水車小屋の男」の話は、トルストイの人生論の序に書かれているのですが、それ
は以下のようなものです。

----------------------------------------
      人生論(トルストイ著 原卓也・訳) 序からの抜粋

 水車が唯一の生活手段であるような人間を想像してみよう。この男は、父も祖父も粉ひ
きだったので、粉を上手(じょうず)にひくには、水車をどう扱えばよいのかを、あらゆ
る部分にわたって、ききおぼえでちゃんと承知している。この男は、機械のことはわから
ぬながら、製粉が手際よく上手にゆくように、水車のあらゆる部分をできるだけ調整して
きたし、生活を立て、口を糊(のり)してきたのである。

 ところが、この男がたまたま水車の構造について考えたり、機械についてのなにやら怪
しげな解釈を耳にしたりすることがあって、水車がどうしてまわるのかを観察するように
なった。
 そして、心棒のネジからひき臼(うす)に、ひき臼から心棒に、心棒から車に、車から
水除(よ)けに、堤(つつみ)に、水にと観察をすすめ、問題はすべて堤と川にあること
をはっきり理解するにいたった。
 男はこの発見に喜んだあまり、以前のように、出てくる粉の質をくらべながら臼を下げ
たり上げたり、鍛(きた)えたり、ベルトを張ったりゆるめたりする代わりに、川を研究
するようになった。そのため、彼の水車はすっかり調子が狂ってしまった。粉ひきは、見
当はずれのことをしていると言われるようになった。彼は議論し、なおも川についての考
察をつづけた、こうして、永い間ひたすらその研究をつづけ、思考方法の誤りを指摘して
くれた人たちとむきになって大いに議論した結果、しまいには当人まで、川がすなわち水
車そのものであると確信するにいたった。

 彼の考えを誤りとするすべての論証に対して、このような粉ひきはこう答えるだろう。
どんな水車だって水がなければ粉をひけない、したがって、水車を知るには、どうやって
水を引くかを知らなければならないし、水流の力や、その力がどこからわくかを知らなけ
ればならない、したがって、水車を知るには川を知らなければならないのだ、と。

 論理的には、粉ひきのこの考察には反駁(はんばく)しえない。粉ひきの迷いをさまし
てやる唯一の方法は、どの考察においても大切なのは、考察そのものよりむしろ、その考
察の占める地位であること、つまり、みのり多い考え方をするためには、何を先に考え、
何をあとで考えるべきかをわきまえねばならぬということを教えてやることだ。また、理
性的な活動が不合理な活動と区別されるのは、もっぱら、理性的な活動は、どの考察が一
番目で、二番目、三番目、十番目はどれであるべきかといった具合に、重要さの順に応じ
ていろいろの考察を配置する点であることも、教えてやらねばならない。
 ところが、不合理な活動は、この順序を持たない考察なのである。さらに、この順序の
決定は、偶然ではなく、考察の行われる目的によるのだということも、教えてやる必要が
ある。

 すべての考察の目的がこの順序をも決定するのであり、個々の考察が理性的なものにな
るためには、それらがこの順序に従って配置されなければならない。そして、すべての考
察に共通する目的に結びつかぬ考察は、たとえどんなに論理的なものであろうと、不合理
なのである。

 粉ひきの目的は、うまく粉がひけることである。だから、彼がそれを見落とさぬかぎり、
臼や、堤や、川についての考察の、明白な順序や一貫性は、その目的が決めてくれるであ
ろう。
 考察の目的に対するこうした態度がないので、粉ひきの考察は、たとえどんなに立派で
あり論理的であろうと、それ自体、誤ったものとなるだろうし、何より、むなしいものと
なるだろう。
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 以上のような「水車小屋の男」の話を、私は前もって何回も読んでいたので、教授の話
を素直に受け入れる下地(したじ)が、すでに出来上がっていました。そのため、「素粒
子帝国主義」に執着することなく、それを捨て去ることが出来たのです。

              * * * * *

 ところで、
 上で紹介した「水車小屋の男についての話」を、短く一文でまとめると、「目的を見失っ
た考察は、いくら論理的に正しくても、無意味である!」と、いうことになります。

 そしてこれは、いろいろな物事を考察したり、人と議論をしたり、文章を書いたりする
上で、ほんとうに、ものすごく大切なことだと思います。
 しかも世の中には、話の部分部分のつながりにのみ、論理的な正しさを装(よそお)い
ながら、全体としての議論を、だんだん本来の目的から逸(そ)らせて、議論そのものを
無意味にするような話術、(たとえば、議論のための議論を延々と繰りかえして、いつま
で経っても結論が得られないようにする話術)が、横行(おうこう)しているように思え
ます。

 そのため、「水車小屋の男の話」の教訓は、それが書かれてから100年以上経った現
代において、なおさら大切になっています。当然ならが私も、この教訓を「心の宝物」と
して大切にしており、いろいろな文章を書くときに、結論を見失って文章全体が無意味な
ものにならないよう、いつも気をつけている次第です。


4章 創発
 前章で私は、「素粒子帝国主義の崩壊」を素直に受け入れることができた要因として、
トルストイの人生論に書かれていた「水車小屋の男」の話を、前もって何回も読み込んで
いたことについて述べました。

 ところで他にも、素粒子帝国主義が崩壊している根拠として、「創発(そうはつ)」と
呼ばれる現象が挙げられます。
 この「創発」というのは、後に私が知るようになった現象で、その時すでに「素粒子帝
国主義の崩壊」を受け入れていました。だから「創発」という現象の存在は、私が「素粒
子帝国主義の崩壊」を受け入れた要因になっていません。
 しかしながら「創発」は、「素粒子帝国主義の崩壊」に大きな根拠を与えるものであり、
しかも、すごく重要な現象であると私は考えていますので、紹介してみたいと思いました。

              * * * * *

 さて、「創発」についてインターネットで調べてみると、だいたい以下のように説明さ
れています。

●部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れること。
●局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測
 できないようなシステムが構成されること。
●この世界の物質や生物等は、多層の階層構造を作っているが、下層の要素とその振る舞
 いの記述をしただけでは、上層の挙動にたいする予測が困難だということ。
●下層にはもともと無かった性質が、上層において現れること。

 上の具体的な例として、たとえば以前に2章で書いた、「教授の話」が挙げられます。
 つまり、いくら「素粒子」(陽子や中性子)のことを研究しても、「原子核」のことは
理解できないという事実です。
 これは、陽子と中性子が集まって「原子核」が作られると、もはや個々の陽子や中性子
には存在しない性質、つまり原子核に特有の「新しい性質」が現れていることを証明して
います。
 それはつまり、陽子や中性子を下層の構造、それらが集まった原子核を上層の構造とす
れば、下層にはもともと無かった性質が、上層において現れているので、まさに「創発の
実例」といえるでしょう。

 また、もう一つの具体的な例として、「脳細胞」と「意識」の関係があります。
 つまり、ひとつ一つの脳細胞は、繋(つな)がり合った隣(となり)の脳細胞から、電
気信号を受けとり、繋がり合った別の隣りの脳細胞へ、電気信号を伝えるという、とても
単純な働きしかしていません。

 ところが!
 およそ1000億個とも言われる、とても数多くの脳細胞が、複雑に繋がり合って電気
信号をやりとりすると、意思や感情を持ったり、複雑な思考をしたりする、いわゆる「意
識」というものが発生するわけです。
 つまり、ひとつ一つの脳細胞を下層の構造、それらが複雑に繋がり合った脳全体を上層
の構造とすれば、下層にはもともと無かった性質(つまり意識)が、上層において現れて
いるので、やはりこれも「創発の実例」といえるでしょう。

             * * * * *

 ところで、「創発」について調べているうちに分かったのですが、むかし私が固く信じ
ていた「素粒子帝国主義」のような考え方を、「要素還元主義」と呼ぶみたいです。この
「要素還元主義」は、じつは古くから存在している伝統的な概念でした。
 そして一方、「創発」という概念は、現代科学の進歩(複雑系科学の進歩)によって、
新しく発見された概念だということです。

 私は、「要素還元主義」とは異なる、「創発」という新しい概念を知ることにより、世
界観が大きく広がりました。
 たとえば電子回路の集積体であるコンピューターも、どんどん複雑になれば「意識」を
持ち得るかもしれません。
 また例えば、インターネット技術がもっと発達して、世界中の人間の意識が複雑に繋が
り合えば、個々の人間には存在しなかった「超意識」といえるものが、具現(ぐげん)す
るかもしれません。

 このように「創発」という概念には、ものすごく夢があり、今では私の「心の宝物」と
なっているのです。


 つづく



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