私とは何か 4
2024年12月1日 寺岡克哉
13章 神としての私
前の12章で述べたように、神は無限の過去から存在していました。
つまり無限の過去から、さまざまな法則や作用が働き、さまざまな因果関係が続き、さ
まざまな偶然や必然が起こって、この宇宙ができ、地球ができ、生命が誕生し、それが人
類に進化し、そして現在、私の肉体や自我意識が存在しているわけです。
それら、無限の過去から働いてきた法則や作用、無限の過去から続いてきた因果関係、
無限の過去から無数に起こってきた偶然や必然。
そして、これらによって生まれた宇宙、銀河、太陽、地球、生命、人類、私の肉体や自
我意識。
それら「この世に存在する事物のすべて」が、「この世を、この様にしているもの」で
す。
だから、「無限の過去から存在してきた事物の全て」が、「神」だと言えるのです。
* * * * *
さてここで、「私」というものが、一体いつ始まったのかを考えてみましょう。
そうすると、「肉体としての私」や「自我意識としての私」は、もちろん私が生まれた
時に始まりました。ところが、2章で述べた「DNAとしての私」は40億年前に始まり、
4章で述べた「エネルギーとしての私」は138億年前に始まったと言えます。
そして、この考え方をどんどん突き進めて行くと、「私」というものが本当に始まった
のは、無限の過去だったと結論できるのです。
つまり「私」は、無限の過去から働いてきた法則や作用、無限の過去から続いてきた因
果関係、無限の過去から無数に起こってきた偶然や必然として、無限の過去から存在して
いたのです。
そして、それらにより宇宙が誕生して「エネルギーとしての私」が始まり、地球ができ、
生命が誕生して「DNAとしての私」が始まり、それが人類に進化し、そして現在、私の肉
体や自我意識が存在しているわけです。
この、無限の過去から存在する「私」とは、「私の本体」と言えるものです。
じつは私の肉体や自我意識は、「私の本体」ではなく、「私の本体の一部」だったわけ
です。
その「私の本体」とは、「無限の過去から存在してきた事物の全て」であり、じつは
「神」と同義になります。
そしてそれが、「神としての私」なのです。
* * * * *
ところで前の12章で定義したように、神とは、「この世を、この様にしているもの」
でした。
そして、ごくごく小さなものではありますが、私の肉体や自我意識も、「この世を、こ
の様にしているもの」の一つです。だから私の肉体や自我意識は、たしかに神の一部だと
言えます。
つまり、私の肉体や自我意識は、私の本体の一部であり、神の一部なのです。
このことも、「私の本体」=神、つまり「私の本体」と神が同義であることと矛盾しま
せん。
* * * * *
ところで神は、無限の未来まで永遠に存在しつづけます。
なぜなら、無限の過去から働いてきた法則や作用、無限の過去から続いてきた因果関係、
無限の過去から無数に起こってきた偶然や必然。それらによって、138億年前にビッグ
バンが起こって宇宙が誕生し、その宇宙が進化して太陽や地球や生命や人間が生まれたわ
けですが、
それら無限の過去から働いてきた法則や作用、無限の過去から続いてきた因果関係、無
限の過去から無数に起こってきた偶然や必然は、今後も無限の未来へと永遠につづいて行
くからです。
そして、無限の過去から無限の未来へと永遠に働きつづける法則や作用。無限の過去か
ら無限の未来へと永遠につづく因果関係、無限の過去から無限の未来へと無数に起こりつ
づける偶然や必然。それらが即(すなわ)ち「神」だからです。
ゆえに神は、無限の過去から無限の未来へと永遠に存在しつづけるのです。
ところでまた、上で述べたように、「私の本体」と「神」は同義でした。
だから「私の本体」、つまり「神としての私」も、無限の過去から無限の未来へと永遠
に存在しつづけると言えます。
第5部 私の全体像
14章 私の存在期間
これまで1章から、様々な「私」について述べてきましたが、この章ではそれらの「私」
がいつから始まり、いつ終わるのか、つまり様々な「私の存在期間」について、まとめて
おきたいと思います。
まず1章で述べた「肉体としての私」ですが、これは当然ながら、私が生まれたときに
始まり、私が死んだときに終わります。つまり、私の寿命(80年ぐらい)が存在期間と
なります。
つぎに2章で述べた「DNAとしての私」ですが、これは40億年前に地球で最初の生命
が誕生したときに始まり、地球の生命が滅(ほろ)んだときに終わります。しかしながら、
もしも将来、地球から宇宙に生命が進出すれば、その限りではありません。
つまり、「DNAとしての私」の存在期間は、40億年前~生命が存在する限りとなりま
す。
3章で述べた「原子としての私」は、同じく3章で言及したように、少なくても50億
年前には存在しており、少なくても10の32乗年以上は存在しつづけると考えられます。
4章で述べた「エネルギーとしての私」は、138億年前のビックバンのときに始まり、
未来永劫に存在し続けます。つまり「エネルギーとしての私」の存在期間は「永遠」です。
第2部の全体で述べた「自我意識としての私」の存在期間は、「肉体としての私」と同
じく、私の寿命(80年ぐらい)です。
11章で述べた「精神的な情報としての私」は、同章で述べたように、私が生まれる何
千年も前から存在しており、私自身からも放たれて、他の人々の精神的な情報になって行
きます。だから、「精神的な情報としての私」の存在期間は、数千年前~人類が存続する
限りとなります。
13章で述べた「神としての私」は、同章で述べたように、無限の過去から無限の未来
まで存在しつづけます。だから、「神としての私」の存在期間は「永遠」です。
以上が、さまざまな私についての存在期間になります。
15章 私の存在範囲
前の14章では、さまざまな「私」についての存在機関についてまとめましたが、ここ
では、それらの「私」が、どれぐらいの範囲に存在しているのか、つまり様々な「私の存
在範囲」について、まとめておきたいと思います。
まず1章で述べた、「肉体としての私」の存在範囲は、もちろん私の肉体のみです。
2章で述べた「DNAとしての私」の存在範囲は、地球全体です。
なぜなら同じく2章で述べたように、「DNAとしての私」は40億年前に「たった一
個のDNA」として生まれ、それが現在では3千万種を越えるともいわれるほどに、「D
NAとしての私」は進化して多種多様化しました。そして、それら「DNAとしての私」つ
まり地球の生命は、当然ながら地球全体に分布しているからです。
ゆえに、私の肉体は「DNAとしての私」のごく一部に過ぎず、「DNAとしての私」の
本体は、地球全体に広がっているのです。
3章で述べた「原子としての私」の存在範囲は、地球全体です。
なぜなら、私の肉体を構成している水素、酸素、炭素、窒素などの原子は、私の体内と
体外を絶えず入れ代わっていますが、それらの原子は地球全体に分布しているからです。
つまり「原子としての私」は、もともと地球全体に広がっており、それが一時的に私の
肉体に取り込まれ、その後また地球全体へと拡散し広がって行くわけです。
ゆえに、私の肉体は「原子としての私」のごく一部に過ぎず、「原子としての私」の本
体は、地球全体に広がっているのです。
4章で述べた「エネルギーとしての私」の存在範囲は、宇宙全体です。
なぜならビッグバンのときに発生したエネルギーは、宇宙全体に広がっているからです。
つまり「エネルギーとしての私」は、138億年前に一つの巨大なエネルギーの塊とし
て生まれ、それが急速に膨張して宇宙全体に広がって行ったわけです。
ゆえに、私の肉体は「エネルギーとしての私」のごく一部に過ぎず、「エネルギーとし
ての私」の本体は、宇宙全体に広がっているのです。
第2部の全体で述べた「自我意識としての私」の存在範囲は、私の脳内に限られます。
11章で述べた「精神的な情報としての私」の存在範囲は、地球全体です。
なぜなら、「精神的な情報としての私」は人類全体と繋がっており、そして人類は地球
全体に分布しているからです。
つまり、私の自我意識は「精神的な情報としての私」のごく一部に過ぎず、「精神的な
情報としての私」の本体は、人類全体に広がっているのです。
13章で述べた「神としての私」の存在範囲は、少なくても「この宇宙全体」で、さら
には、それ以上の可能も考えられます。
なぜなら神は、「この宇宙に存在する事物の全て」なのですが、さらには、この宇宙の
他にも、たくさんの宇宙が存在する可能性が考えられるからです。それを、マルチバース
とか多元宇宙と呼ばれています。
そうすると神とは、「マルチバースに存在する事物の全て」となり、この宇宙よりも大
きな存在となるのです。
そして一方、13章で述べたように、「神としての私」と「神」は同義でした。
だから「神としての私」の存在範囲は、少なくても「この宇宙全体」で、さらにそれ以
上の可能も考えられるわけです。
ゆえに、私の肉体や自我意識は「神としての私」のごく一部に過ぎず、「神としての私」
の本体は、この宇宙全体か、さらにそれ以上のマルチバース全体に広がっている可能性が
あるのです。
以上が、様々な私についての存在範囲になります。
16章 私の全体像
さて、前の14章と15章で述べたことを、一目で分かるように表にまとめたのが、以
下になります。
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~としての私 存在期間 存在範囲
肉体 80年ぐらい 人体
DNA 40億年前~生命が存続する限り 地球全体
原子 50億年前~10の32乗年以上 地球全体
エネルギー 138億年前~無限の未来 宇宙全体
自我意識 80年ぐらい 脳内
精神的情報 数千年前~人類が存続する限り 地球全体
神 無限の過去~無限の未来 宇宙全体~マルチバース全体
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以上が、さまざまな観点から捉えた「私」というものの全体像であり、本書の結論にな
ります。
終わり
あとがき
本書では、さまざまな観点から捉えた「私」について書きました。
本書の全体を通して述べたことですが、
たしかに「肉体としての私」や「自我意識としての私」は、私が死ねば消滅してしまい
ます。
が、しかし、
「精神的な情報としての私」は、人類が存続する限り存在しつづけ、
「原子としての私」は、少なくても10の32乗年は存在しつづけ、
「エネルギーとしての私」や「神としての私」は、永遠に存在しつづけます。
このように、死ねば消滅してしまう「肉体としての私」や「自我意識としての私」だけ
でなく
上のような「私が死んでも存在しつづける私」を知ることは、人生を幸福に生きる上で
有意義であると私は思っています。
実際、私は60歳を過ぎて、いつ死んでもおかしくない年齢になってきました。
しかし、「私が死んでも存在しつづける私」が確かに存在することに思いを馳(は)せ
ると、死に対する恐怖が薄(うす)れて、何だかワクワクした幸せな気持ちになれるので
す。
とくに、「神としての私」に思いを馳せると、「私は無限の過去から存在しており、無
限の未来まで永遠に存在しつづける」ということが再認識できて、心の底から安心し、と
ても幸福な気持ちになれます。
私は、一人でも多くの人に「私が死んでも存在しつづける私」を知ってもらい、1日1
日と近づいて来る「自分の死」に対して、あまり気に病まないでほしいと、心から願って
いる次第です。
2024年12月1日 寺岡克哉
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