私とは何か 2
                              2024年11月17日 寺岡克哉


第2部 自我意識としての私

5章 自我意識とは
 私は、「私である」と、一体どのようにして認識するのでしょう?
 (ある事物を「認識する」とは、その事物を知ったり理解したりすることです。)

 それについて考えて行くと、「私は私である」と認識できるのは、結局、私に「自我意
識」というものが存在するからだと分かります。

           * * * * *

 ところで、この「自我意識」とは、一体どんな意識なのでしょう?

 たしかに、自分に自我意識が存在することは、ごく当たり前に自覚できます。しかし、
いざそれを説明しようとすると、けっこう難しいのではないでしょうか。

 そんな「自我意識」を、すこし具体的に説明してみると以下のようになります。

●自我意識とは、「自分が生きていること」や、「自分が存在していること」を認識する
 意識です。
●自我意識とは、自分と外界を区別し、「自分は一人しか存在しない!」と言う、「自己
 の独自性」を認識する意識です。
●自我意識とは、今日の自分も、昨日の自分も、1週間前の自分も、1年前の自分も、10
 年前の自分も、つねに同じ自分であるという、「自己の同一性」を認識する意識です。
●自我意識とは、自分の欲求や希望、目標などを自らの意思で実現させようとする、「能
 動的な思考や行動」を生じさせる意識です。

 当然ですが、この自我意識が働いている間は、一時も休むことなく、「私は私である」
と認識し続けます。自我意識が存在している間は、「私は私である」という認識を、一時
たりとも止めることができません。
 自我意識によって、考えたり、思ったり、悩んだり、喜んだり、楽しんだり、愛したり、
怒ったり、憎んだり、悲しんだり、苦しんだり、見たり、聞いたり、味わったり、匂った
り、話したり、触ったり、歩いたり、走ったり、その他さまざまな行動をするから、「私
は私である」と認識できるのです。

 以上のように、自我意識によって「私は私である」と認識する「私」、つまり「自我意
識としての私」は、私が「私」を認識するための、最も根本的な「私」であると言えます。

 ちなみに、「我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉がありますが、ここでの場合に
当てはめると、「我に自我意識あり、ゆえに我あり」と言うことが、出来るのではないで
しょうか。


6章 私の自我意識は唯一無二
 当然ですが、私の自我意識は、私だけにしか存在しません。
 なぜなら、もしも私の自我意識が、私とは別の人間にも存在すれば、私は常に自分の体
が二つ以上存在するように感じるはずだからです。

 たとえば、いま日本に住んでいる私本人の他に、もしもアメリカに住んでいる人間に私
の自我意識が存在すれば、私は日本の景色とアメリカの景色を、同時に見ることが出来る
はずです。
 さらには、そのアメリカに住んでいる人間の、さまざまな思考や認識が、同時に私にも
分かるはずです。

 しかし、そんなことは絶対にありません。

 ゆえに、私の「自我意識」が私だけにしか存在しないのは、自明の事実であると結論で
きます。


7章 私の自我意識が存在するのは大きな謎
 なぜ、私の自我意識は、私に存在するのでしょう?
 なぜ、この時代に、この場所で、この家族の下に生まれた人間に、私の「自我意識」が
存在するのでしょう?

 この地球には、2024年の時点で81億もの人間がいます。それなのに、なぜ私の自
我意識は81億の中の一人を選び、この私に存在するのでしょう?
 難民の子どもに生まれ、すぐに餓死する人間に、私の自我意識が存在してもおかしくは
ありませんでした。
 妊娠中絶や流産で、自我意識を持ち得る前に死んでもおかしくはありませんでした。
 あるいは、お金持ちや上流階級の家庭に生まれた人間に、私の自我意識が存在してもお
かしくはありませんでした。
 また、百年前、千年前、一万年前の人間に、私の自我意識が存在してもおかしくはなかっ
たのです。

 しかしなぜ、今のこの私に、私の自我意識が存在するのでしょう?
 これが、どうにも理解できない大きな謎です。

             * * * * *

 ところで私が生まれるとき、父親の何億もの精子の内、一つ隣の別の精子が受精すれば、
私の自我意識は存在しませんでした。だから、違う日に行われた交接によって受精しても、
私の自我意識は存在できなかったのです。それは、兄弟の場合を考えれば明白です。

 さらには、もしも私が一卵性の双生児(同じ受精卵から生まれた双子で、全く同じDN
Aを持つ)であっても、私の双子の兄弟には、私の「自我意識」は存在しません。彼に存
在するのは、彼の「自我意識」です。

 だから、もしも私と全く同じDNAを持つ「クローン人間」を作ることができても、そ
のクローン人間には、私の「自我意識」は存在しません。彼に存在するのは、彼の「自我
意識」なのです。

 以上のように、私の両親が存在しても、さらにはその両親から、私とまったく同じDN
Aを持つ子供が生まれたとしても、その子供に私の自我意識が存在する保証は、まったく
無かったわけです。

 それなのに私には、私の自我意識が存在しています。
 これは、ほんとうに大きな謎であるとしか考えられません。


8章 私の自我意識が存在するまでのプロセス
 今ここに、私の自我意識が存在するためには、無限の時間と、無数のプロセス(過程)
が、絶対に必要不可欠でした。

 たとえば・・・ 
 およそ138億年前に、ビッグバン(宇宙の始まりの大爆発)によって、この宇宙が誕
生しなければ、私の自我意識は存在しませんでした。
 ビッグバンの莫大なエネルギーから、水素やヘリウムなどの原子、つまり物質が作られ
なければ、私の自我意識は存在しませんでした。
 それらの原子が集まって、恒星がつくられなければ、私の自我意識は存在しませんでし
た。
 恒星の中心部で核融合が起こり、水素やヘリウムから、酸素、炭素、窒素、カルシウム、
イオウ、リン、鉄などの様々な原子が作られなければ、私の自我意識は存在しませんでし
た。
 宇宙に漂(ただよ)う膨大な星間物質が集まって、さまざまな恒星や銀河、太陽系、そ
して地球が作られなければ、私の自我意識は存在しませんでした。
 地球に空(大気)や大地や海が作られなければ、私の自我意識は存在しませんでした。
 地球の海の中で、さまざまな原子が結合して分子や高分子が作られなければ、私の自我
意識は存在しませんでした。
 高分子が組み合わさって、地球に生命が誕生しなければ、私の自我意識は存在しません
でした。
 生命が進化して、単細胞生物から多細胞生物、無脊椎動物、脊椎動物、魚類、両生類、
爬虫類、哺乳類、サルの仲間、そしてヒトが誕生しなければ、私の自我意識は存在しませ
んでした。
 アジアの片隅に、日本という国が作られなければ、私の自我意識は存在しませんでした。
 その日本に、私の両親が生まれなければ、私の自我意識は存在しませんでした。
 その両親が偶然に出会い、結婚しなければ、私の自我意識は存在しませんでした。
 その両親が、偶然に私を作らなければ、私の自我意識は存在しませんでした。(前の7
章で述べたように、私の両親がたとえ何人もの子供を作ったとしても、私の自我意識が存
在する保証はありませんでした。)

 ところで、ビッグバンが起こる以前にも、さまざまな未知のプロセスが、無限の過去か
ら無数に続いてきたはずです。その結果として、138億年前にビッグバンが起こり、こ
の宇宙が誕生したわけです。

 ゆえに、私の自我意識が存在するためには、無限の時間と、無数のプロセスが絶対に必
要だったのであり、それらの、どれ1つが欠けても、私の自我意識は存在しなかったわけ
です。


 つづく



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