私とは何か 1
                              2024年11月10日 寺岡克哉


 今回から、「私とは何か」という本の原稿を紹介して行きます。



 題名 私とは何か

 目次


   はじめに

 第1部 肉体、DNA、原子、エネルギーとしての私
   1章 肉体としての私
   2章 DNAとしての私
   3章 原子としての私
   4章 エネルギーとしての私

 第2部 自我意識としての私
   5章 自我意識とは
   6章 私の自我意識は唯一無二
   7章 私の自我意識が存在するのは大きな謎
   8章 私の自我意識が存在するまでのプロセス
   9章 私の自我意識は二度と生じない
  10章 自我意識のパラドックス

 第3部 精神的な情報としての私
  11章 精神的な情報としての私

 第4部 神としての私
  12章 神の定義
  13章 神としての私

 第5部 私の全体像
  14章 私の存在期間
  15章 私の存在範囲
  16章 私の全体像

   あとがき



 はじめに
 「私とは何か?」という疑問は、誰でも一生に一度ぐらいは、持ったことがあるのでは
ないでしょうか。

 自分も機会があるごとに、「私とは何か?」について、色々と考えていたように思いま
す。そして、いろいろな観点から、「私」というものを見つめてきました。

 それを、このたび小論としてまとめておきたいと思いましたが、それが本書になります。

 ところで、本書で言う「私」というのは、筆者個人を指した「私」ではありません。つ
まり本書は、自伝的に「筆者個人がどんな人間なのか」について書いたものではありませ
ん。

 そうではなく、本書が対象にしているのは、誰にでも当てはまる「私」です。だから、
とうぜん皆さんも対象になっている話なので、それに留意して読んで頂ければ幸いです。



 第1部 肉体、DNA、原子、エネルギーとしての私

1章 肉体としての私
 「肉体としての私」とは、意識を除いた「肉体」だけに概念を限定した私です。

 たとえば具体的には、
 頭や胴体、手、足、目、鼻、口、耳、皮膚、髪、爪などから構成される私です。
 また、体の内部にある、脳、骨、筋肉、血管、心臓、肺、胃、腸、その他の内臓などか
ら構成される私でもあります。
 さらにまた、肉体を微視的な観点から見ると、数多くの小さな「細胞」から構成される
私であるとも言えます。

 ところで、「私の肉体は生きている!」と言えるのは、私の肉体が「代謝(たいしゃ)」
というものを行っているからです。
 この「代謝」とは、生命の維持や活動に必要なエネルギーを食物から得たり、成長に必
要な有機物質を食物から合成する(つまり食べて育つ)ための、体の中で起こるさまざま
な化学反応のことを言います。

 つまり「肉体としての私」とは、「代謝を行う私」だとも言えるのです。

            * * * * *

 ところで「私」は、もちろん肉体だけで出来ているわけではありません。なぜなら私に
は、肉体の他にも精神という要素が存在するからです。

 しかしながら、「肉体としての私」は精神とは違い、誰の目にも見えるものであり、ま
た触れることもできます。
 だから「肉体としての私」は、「他者に認識される私」として、いちばん根本的な役割
を担(にな)っていると言えるでしょう。


2章 DNAとしての私
 「DNAとしての私」とは、DNA(遺伝子)の観点から捉(とら)えた「私」です。
 つまり簡単に言ってしまえば、「私とはDNAである!」というように、「私」をDN
Aとして捉えるものです。

 ところで、「DNAとしての私」は40億年前から存在していました。
 なぜなら「DNAとしての私」は、40億年前に、地球で最初に生まれた一つの生命体
のDNAとして誕生したからです。そしてそれが、現在の私のDNAまで一度も途切れる
ことなく(つまり死ぬことなく)、「増殖」と「進化」を続けてきたからです。

 ところでまた、過去にも現在にも未来にも、この地球上に存在するすべての生命が、
「DNAとしての私」であると言えます。
 なぜなら、過去にも現在にも未来にも、この地球上に存在するすべての生命のDNAは、
40億年前に生まれた一つのDNAから、一度も途切れることなく「増殖」と「進化」を
続けて来たものであり、これからも続けて行くものだからです
 つまり「DNAとしての私」は、最初は一つのDNAでしたが、それが地球上のすべて
のDNAへと増殖し進化し発展をしたわけです。

 これは、かなり荒唐無稽(こうとうむけい)な考え方だと言えるでしょう。が、しかし、
「DNA」という観点から「私」を捉えれば、確かにこのような考え方が可能になるので
す。

              * * * * *

 いま上で述べたように、すべての時代に存在する、すべてのDNAはみな、地球で最初
に生まれた「DNAとしての私」と「同じ私」です。
 たしかに、地球で生まれた最初のDNAと、すべての時代のすべてのDNAとでは、そ
の数も種類もまったく桁違いです。
 しかしこれは、精子と卵子が結合した直後の「一個の受精卵だった私」と、「現在の私」
との関係と、まったく同じように考えられるのです。

 たとえば受精卵のときに「たった一個の細胞だった私」は、現在では37兆2000億
個ほどの細胞に増えています。そして脳細胞や筋肉細胞、骨の細胞、内蔵の細胞、皮膚の
細胞など、多種多様な細胞に分化しています。

 しかしながら、「受精卵の私」と「現在の私」は、やはり「同じ私」なのです。

 これと同様に、地球で最初に生まれた「DNAとしての私」と、すべての時代に存在す
るすべての「DNAとしての私」は、やはり「同じDNAとしての私」だと言えるのです。

 「DNAとしての私」は、40億年前に「たった一個のDNA」として生まれました。
 それが今では、数えきれないほどにその数が増え、3千万種を越えるともいわれるほど
に、「DNAとしての私」は多種多様化したのです。
(厳密には、同じ生物種であっても、生物個体が違えばDNAの異なる部分が存在します
ので、DNAの種類数はもっと増えます。)

 それらすべてが、「DNAとしての私」なのです。

 そして「DNAとしての私」は、この世に「生物」というものが存在する限り、存在し
続けます。だから少なくとも、あと数億年は存在し続けると思います。

            * * * * *

 以上をまとめると、
 「DNAとしての私」は、40億年前から存在し続けてきました。
 そして過去も現在も未来も、すべての時代に存在するすべての生物のDNAが、「DN
Aとしての私」です。
 だから「DNAとしての私」は、この世に生物が存在するかぎり存在し、少なくともあ
と数億年は存在すると思われます。

 「DNAとしての私」とは、そのようなものになります。


3章 原子としての私
 私の肉体・・・たとえば頭や胴体、手、足、目、鼻、口、耳、皮膚、髪、爪、あるいは
脳、骨、筋肉、血管、心臓、肺、胃、腸、その他の内臓など、さらにはそれらを構成する
「細胞」は、結局のところ「原子」から出来ています。
 つまり「原子としての私」とは、「私とは原子である!」というように、「私」を原子
の集(あつ)まりとして捉えたものです。

 この「原子としての私」は主に、水素原子、酸素原子、炭素原子、窒素原子などから作
られています。原子の個数で見れば、99パーセント以上がこれら4種類の原子で占めら
れています。その他には微量の、カルシウム原子、イオウ原子、リン原子などがあります。

              * * * * *

 ところで!
 私の体を作っている、それらの原子は、1年も経てばすべて入れ替わっているそうです。

 なぜなら生物は、新しい物質を体内に取り込み、古い物質を捨て去るからです。これも、
以前に1章で述べた「代謝(たいしゃ)」の一つです。

 たとえば私たちは、髪や爪が伸びれば切り、古くなった皮膚は垢(あか)として風呂で
洗い落とします。このように体の組織は、つねに新しいものに作り替えられているのです。
 そしてこれは、体の全体にもいえることで、私の体を作っている原子は、1年も経てば
同じ種類のべつの原子にすべて置き換わっているそうです。

 もちろん体の内部の組織は、爪や垢などのように「古くなった組織そのもの」が外に捨
てられる訳ではありません。しかし原子のレベルでは、体の内部でつねに交換が起こって
いるのです。

 つまり「原子としての私」は、1年も経てば「まったく新しい私」になってしまうので
す。

              * * * * *

 ところで「原子としての私」は、「地球全体に広がっている私」として捉えることがで
きます。

 なぜなら例えば、私の体を作っている「炭素原子」に着目して考えてみましょう。
 「私の炭素原子」は、まず初めに大気中の二酸化炭素として存在していました。それが
植物に取り込まれて炭水化物となり、私の口に入ります。あるいは、植物を食べて育った
動物の肉としても、炭素原子は私の口に入ります。

 そして私に取り込まれた「新しい炭素原子」は、それまで体の中にあった「古い炭素原
子」と交換されます。さらにその「古い炭素原子」が、最終的には二酸化炭素になり、呼
吸によって再び大気中に放出されるのです。
 あるいは私の「古い炭素原子」は、糞や垢などの有機物として排出され、他の微生物な
どに取り込まれて行きます。

 このように「私の炭素原子」は、地球のあらゆる場所に存在していたものが、一時的に
私の肉体を通り抜け、ふたたび地球のあらゆる場所に広がっていくわけです。

 そして、それら全ての原子が、「原子としての私」なのです。

 ちょっと不思議な感じがしますが、「私の本質は原子である!」という考え方を、どこ
までも貫(つらぬ)けば、必然的にこのような結論になるのです。
 なぜなら、私の体内にあろうと、私の体外にあろうと、同じ一つの原子は、まったく同
じ原子だからです。
 つまり、たとえば一つの炭素原子の立場から見れば、その炭素原子がたまたま私の体内
にあろうと、たまたま私の体外にあろうと、その炭素原子はまったく同じ炭素原子です。
 ゆえに、私の本質を「原子」として捉えれば、その「原子」としての私の本質は、体内
にあるときでも、体外にあるときでも、まったく同じ「原子としての私」なのです。

            * * * * *

 ところで「原子としての私」は、一体いつから存在したのでしょう?

 それは、現在の太陽系が誕生する前、少なくても50億年より以前には存在していたと
考えられます。
 というのは、水素原子やヘリウム原子などの「軽い原子」は、ビッグバン初期の138
億年ほど前から存在していました。が、しかし、酸素原子や炭素原子や窒素原子などの
「重い原子」は、それから後に作られたからです。

 それらの「重い原子」は、軽い原子が恒星の内部で核融合して作られました。つまり、
はじめ宇宙に存在していた水素原子やヘリウム原子が、一ヶ所に集まって恒星をつくり、
その星の内部で、酸素原子や炭素原子や窒素原子が作られたのです。

 恒星の中でも、とくに「重い星」は寿命が短くて、寿命が尽きると大爆発をします。そ
して、その星の残がいが再び集まり、新しい恒星をつくります。
 その新しく生まれた恒星が「重い星」ならば、寿命が尽きると再び大爆発をします。し
かし、ちょうど太陽と同じぐらいの重さならば、100億年という長い寿命を持ちます。

 このようにして、現在の太陽系(つまり地球)に存在する原子は、少なくても1世代か、
あるいはそれ以上の世代の恒星を経て作られたはずです。そうしなければ、酸素原子や炭
素原始や窒素原子が、いまの地球に存在するはずがないからです。
 だから「原子としての私」は、少なくても、今の太陽系が誕生する以前(50億年より
も以前)には存在していたと考えられるのです。

 一方「原子としての私」は、太陽が燃えつきても、地球が蒸発してしまっても、それで
も存在し続けます。
 なぜなら原子の寿命(陽子の寿命)は、10の32乗年(1000000000000
00000000000000000000年)以上だと考えられているからです。ゆえ
に「原子としての私」の寿命も、それと同様に考えられます。

 つまり「原子としての私」は、少なくても50億年前には存在し、少なくても10の3
2乗年以上は存在しつづける私だと言えるのです。


4章 エネルギーとしての私
 これは、「私」というものを、「エネルギー」として捉えたものです。

 たとえば私の体は、「原子」という「物質」から出来ていますが、そもそも「物質」と
は「エネルギー」なのです。

 ところで昔の時代は、物質とエネルギーが「まったく別のもの」と考えられていました。
 しかし20世紀になると、「物質もエネルギーの一種」であることがアインシュタイン
の相対性理論によって予言され、その後、物質とエネルギーは変換可能であることが、多
くの実例によって示されました。
 たとえば、(嫌な例ですが)原子爆弾や水素爆弾、あるいは原子力発電は、物質をエネ
ルギーに変換している実例です。そして、じつは太陽も、物質をエネルギーに変換して輝
いています。

 このように、「物質」とは「エネルギー」なのです。

 もう少し詳しく言うと、物質とは「エネルギーの一形態」なのです。たとえばエネルギー
は、運動、熱、光、電気、重力、物質など、いろいろな形態をとりますが、その中の一つ
として、「物質」という形態が存在するわけです。

 そして私の肉体も、とうぜん物質から出来ていますので、結局「私とはエネルギーであ
る」と言うことができるのです。

             * * * * *

 ところで「エネルギーとしての私」は、138億年前のビッグバン(巨大なエネルギー
の大爆発)によって、この宇宙と共に誕生しました。
 というのは、ビッグバンのときに発生したエネルギーも、私の肉体を作っている物質の
エネルギーも、エネルギーとしては「全く同じもの」だからです。
 たしかに、私の体を作っている「物質」は、ビッグバンの後から作られたものです。し
かし、その物質を作っている「エネルギー」は、ビッグバンが始まったときから存在して
いたのです。

 そして「エネルギーとしての私」は、これからも永遠に存在を続けます。
 なぜならエネルギーは、熱や光、あるいは物質などと言うように色々と形態を変えるだ
けで、「エネルギーそのもの」は永遠に消滅しないからです。これを「エネルギー保存則」
といいます。

 だから私の肉体が、もしも原子や素粒子に分解されても、さらには熱や光となって物質
としては消滅してしまっても、「エネルギーとしての私」は絶対に消滅しません。
 つまり「エネルギーとしての私」は、138億年前から存在し、今後も永遠に存在する
「私」なのです。

             * * * * *

 ところでビッグバンは、直径1ミリよりもずっと小さな一点から、大爆発が始まりまし
た。つまり、今の私の肉体よりもずっと小さな空間の一点に、宇宙全体のエネルギーが凝
縮していたのです。
 そのとき、「エネルギーとしての私」は、宇宙全体と「まったく同じ一つのもの」でし
た。

 そして現在、宇宙は少なくても138億光年の大きさに広がっていますが、それは、
「エネルギーとしての私」が138億光年以上の大きさに広がったとも考えられます。
 なぜなら、私の肉体を作っているエネルギーも、宇宙の遠くに存在するエネルギーも、
エネルギーとして見れば「まったく同じもの」だからです。

 つまり「エネルギーとしての私」とは、この宇宙全体に広がっている「私」であり、宇
宙に存在するエネルギーのすべてが、「エネルギーとしての私」なのです!


つづく


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