天罰について         2004年5月23日 寺岡克哉


 私は、天罰(あるいは仏罰)というものが、現実に存在すると考えています。
 じつは私は、「天罰を恐れている人間」なのです。
 平気で悪いことをする人間は、天罰を恐れていないとしか私には思えないのです。

 今回は、私の考えている「天罰」というものについて、いろいろと例を挙げてお話
してみたいと思います。これを読んでもらえば、きっと皆さんにも天罰が現実に
存在すること
を、納得して頂けるのではないかと思います。

 ところで「天罰」には、実にいろいろな種類があります。
 たとえば、「神」や「仏」の存在を認めないことによって生じる、人間存在の絶対的
な孤独(つまり、神仏から切り離されて生きることの孤独)。そして、「神の愛」や
「仏の慈悲」を感じられないことによる、生きることへの根源的な不安。(これらは、
「神仏不在の罰」とでも言うのでしょうか。)
 または、「生きること」や「存在すること」そのものが、「苦しみ」であるということ。
(これは、「一切皆苦」とか「原罪」とでも言うのでしょうか。)
 あるいは、自分が「良心」を持つがために、自責の念によって起こる苦しみ。(これ
は、「良心による罰」とでも言うのでしょうか。)
 まず第一に、これらのようなものが「天罰」のいちばん典型的な例だと思います。

 つぎに、「悪い原因」を作れば、必ず「悪い結果」が生じるという天罰について、お話
したいと思います。
 これは、因果応報の罰というか、因果関係によって生じる罰です。自然法則にも
近いような、必然的な因果関係によって生じる天罰です。
 (ところで細かいことを言えば、これは「因果応報」という仏教思想に根ざした罰な
ので、「天罰」というよりは「仏罰」という方が正しいのかも知れません。しかしここで
は、あまり細かいことは気にしないで「天罰」と言うことにします。)

 例えば、
 企業や官庁、あるいは政治家の、不正や収賄が発覚して公けになること。
 不倫や援助交際などによって、家庭が崩壊したり、職場を追われること。
 避妊をしない性行為による望まない妊娠。
 自動車のスピードの出しすぎや、危険な運転によって起こる交通事故。
 食べすぎや飲みすぎによる、肥満や糖尿病、心臓疾患。
 タバコの吸いすぎによる、ガンや高血圧。

 これらは、そのような原因を積み重ねて行けば、いつかは必然的に生じる結果な
のです。
 たしかに、一回や二回の過ちでは天罰を受けずに済むかも知れません。しかしそ
れこそが「神のご加護」というべきものです。それにたかをくくって悪事をエスカレー
トさせれば、ほぼ間違いなく悪い結末がやってきて、必ず天罰を受けるのです。

 ところで、自分にまったく過失がないのに、天罰を受ける場合があります。
 例えば、
 いじめや虐待を受けている被害者。
 犯罪の被害者。
 テロや戦争の被害者。
 交通事故の被害者。
 公害や環境汚染による被害者。

 このように、自分一人だけが正しく生きていさえすれば、「天罰」を免れる訳
ではないのです!

 社会的な良識、ルール、平和、安全、環境などを皆で守って行かなければ、何も
悪いことをしていない人々が天罰を受けてしまうのです。
 それが天罰のたいへん恐ろしいところであり、理不尽なところでもあります。
 このように、「人間の過失」が原因で起こっている天罰であるにも拘らず、自分一
人の力ではどうしようも出来ないものが、私の恐れている天罰なのです。
 そしてこれが、皆も天罰を恐れなければならない理由であり、良識ある平和な社会
を皆で作っていかなければならない所以なのです。

 また、自然災害による天罰というのもあります。
 たとえば、地震、津波、台風、洪水、噴火などによる自然災害・・・。
 これらは、人間の力ではどうしようも出来ないことです。
 昔の人々は、このようなものを「天罰」として一番恐れていたのだと思います。しか
し私は、この類いの天罰はあまり恐ろしくありません。たしかに、自然災害そのもの
は私も恐ろしいのですが、しかし「天罰」としては恐ろしくないのです。
 それは、人間の側に過失がある訳ではないからです。昔の人々は、このようなもの
までも「人間に過失があったからだ!」と思い込み、神に赦しを請うために「祈とう」
などを行ったのでしょう。しかし私は、そのようなことはナンセンスだと思っています。
 私は、人間に過失のない自然災害は、天罰の部類に入らないと考えています。

 しかしながら、
 二酸化炭素の増加によって地球が温暖化し、異常気象が発生して、豪雨による
洪水が起こったり、日照りによる干ばつが起こること。
 また、無計画な自然開発や、大規模な森林の伐採などにより、自然環境を壊滅
的に破壊してしまうこと。それによって、地球の砂漠化を進めたり、多くの野生動物
を絶滅に追いやること。
 またあるいは、魚の取りすぎによって水産資源を枯渇させてしまうこと。
 そしてそれらにより、ついに地球の生態系のバランスが壊れて、地球の生命全体
に悪影響を及ぼしてしまうこと。

 これは、とても恐ろしい「天罰」です。
 これは人類の過失によって起こるだけでなく、それを回復するのに、下手を
すれば何百年も、さらには何千年もかかってしまうかも知れないからです。
 このようなものこそが、人類が最も恐れなければならない「天罰」だと私は思
います。




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