生命について 5
                               2024年8月18日 寺岡克哉


18章 生命の仕事は波及拡大し、肉体が死んでも消滅しない
 前の17章で述べた「生命の仕事」は、波及拡大し、肉体が死んでも消滅しません。

 ところで「生命の仕事」とは、「大生命の意志」に貢献する、全ての生命活動のことで
した。
 そして「大生命の意志」とは、以前に16章で述べたように、地球の生命全体を維持し、
育み、進化させ、発展させ、存続させようとする意志でした。
 だから、人類を含めた全ての生命にとって、「力の限り、生きられるだけ精一杯に生き
ること」が、最も大切な「生命の仕事」でした。

 一般に、あらゆる生物が行う、あらゆる生命の仕事は、波及拡大して行きます。
 そして、この「波及拡大する生命の仕事」は、その生物の肉体が死んでも、絶対に消滅
しません。さらにそれだけでなく、「波及拡大する生命の仕事」は、「種の絶滅」によっ
てさえ消滅しないのです。

 たとえば、「子孫を残す」という生命の仕事は、子々孫々と受け継がれて波及拡大しま
す。そして、その「波及拡大する生命の仕事」は、その生物の肉体が死んでも消滅しない
だけでなく、その種が絶滅しても途切れることはありません。
 たとえば私たち人類の祖先である、猿人、原人、旧人などは、種としては既に絶滅して
しまいました。しかしながら、「子孫を残す」という生命の仕事は波及拡大し、現在の私
たちまで確かに続いているのです。
 さらに時代を遡(さかのぼ)れば、4億年前の魚類、6億年前の軟体動物、40億年前
の最初の生命体・・・。これら全てが、私たち人類の祖先です。彼らは、種としては既に
絶滅しています。しかし「子孫を残す」という生命の仕事は波及拡大し、たしかに現在の
私たちに連綿とつながっているのです。

 そして「波及拡大する生命の仕事」は、時間が経てば経つほど、さらに波及拡大し、そ
の影響力がどんどん大きくなって行きます。

 たとえば、
 400万年前に木から降りたサルの「生命の仕事」は、現在では全人類の繁栄として波
及拡大しました。
 4億年前に陸に上がった魚の「生命の仕事」は、現在では全ての陸上動物の繁栄として
波及拡大しました。
 30億年前に光合成に成功した生物の「生命の仕事」は、現在では植物全体の繁栄とし
て波及拡大しました。そして植物は、全ての動物に酸素と食料を供給し、地球の生態系の
根幹を担うようになりました。
 そして、40億年前に初めて自己複製(自己増殖)に成功した、地球で最初の生命体の
「生命の仕事」は、現在では3000万種ともいわれる、地球の生命全体の繁栄として波
及拡大したのです。

 このように「波及拡大する生命の仕事」は、肉体が死んでも、さらには種族が絶滅して
も、消滅することはなく、時間が経てば経つほどさらに波及拡大し、その影響力がどんど
ん大きくなって行くのです。


19章 波及拡大する生命の仕事は「生命」である
 以前に17章で述べたように、「生命の仕事」とは、大生命の意志に貢献する、「生命
活動」の全てのことでした。

 そして前の18章で述べたように、「生命の仕事」は、時間が経てば経つほど、波及拡
大して行くのでした。

 ところで、この「波及拡大する生命の仕事」は、「生命の仕事」が波及拡大して行った
ものなので、もちろん「生命の仕事」です。

 そして上で述べたように、「生命の仕事」は、(大生命の意志に貢献する)「生命活動」
のことなので、「波及拡大する生命の仕事」も(生命の仕事だから)「生命活動」です。

 そしてさらに、「波及拡大する生命の仕事」が生命活動ならば、それは生命活動をしてい
るのであり、「生命」であると言えるのです。

 ゆえに、「波及拡大する生命の仕事」は「生命」なのです。

            * * * * *

 ところで18章で述べたように、肉体が死んでも、種族が絶滅しても、「波及拡大する
生命の仕事」は消滅しません。
 そして上で述べたように、「波及拡大する生命の仕事」は「生命」でした。
 だから、「波及拡大する生命の仕事」は、肉体が死んでも、種族が絶滅しても、生き続
ける「生命」なのです。

 また、17章で述べたように、人類を含めた全ての生命にとって、「力の限り、生きら
れるだけ精一杯に生きること」が、最も大切な「生命の仕事」でした。
 だから、あなたや私が精一杯に生きることは、あなたや私の「生命の仕事」です。そし
てそれは波及拡大し、その「波及拡大する生命の仕事」は、あなたや私の「生命」です。
 ゆえに、あなたや私の生命は、あなたや私の肉体が死んでも、さらには人類が絶滅して
も生き続け、その影響力はどんどん大きくなって行くのです。


20章 大生命の樹
 私は、「生命」というものの全体像を、一本の「大きな樹(き)」で表現できるのでは
ないかと考えています。それを私は、「大生命の樹」と呼びたいと思います。

 ところで地球の生命は、およそ40億年前に、一つの単純な生命体として誕生しました。
それが繁殖して数をふやし、さまざまな生きものに進化し、地球全体に広がって行きまし
た。
 細菌、プランクトン、植物、動物、そして人類・・・これら全ての生命は、地球で最初
に生まれた「一つの生命体」から枝分かれしたものです。そして現在、それらの生命は、
3000万種とも言われるほど多種多様になりました。それらのすべてを表現するものが、
「大生命の樹」です。

 つまり、「大生命の樹」の樹齢は40億年。
 大きさは、とりあえず地球と同じぐらい。(生物が地球全体に広がっているので。)
 根元のいちばん太い一本の幹(みき)が、「地球で最初に生まれた一つの生命体」です。
大生命の樹は、その幹からどんどん枝分かれして伸びていき、先端の方にある「生物種の
枝」は、3000万本にもなっています。

 その3000万本のうちの一本が、「人類の枝」です。
 「人類の枝」の年齢は、およそ20万年。(現在の人類とおなじ種である、ホモ・サピ
エンスが現れたのは、およそ20万年前だと言われているので。)
 一本の「人類の枝」は、さらに「細かい枝」に分かれて伸びており、その先端の数はお
よそ81億本です。(2024年の世界人口が、およそ81億人なので。)
 そして「人類の枝」も、地球の全体に伸びています。(人類は、地球全体に分布してい
るからです。しかし、ごく少数の枝は、地球を離れて月まで伸びています。)

             * * * * *

 ところで、ここまで述べてきたのは、「生物体」の数や分布についてです。
 つまり、大生命の樹のうちの、「肉体の枝」といえるものについてです。そしてそれは、
人間以外の生物でも伸ばしている枝です。たとえば「肉体の枝」は、動物や植物、さらに
はプランクトンや細菌でさえも伸ばしています。

 ところが人類だけは、それまで存在しなかった「まったく新しい枝」を伸ばし始めまし
た。それは、思考の枝、認識の枝、意識の枝などの、「精神の枝」です。
 「生命」という概念には、生物体(肉体)だけでなく、「生命活動」も含まれます。だ
から人類の精神活動も、これは明らかに生命活動の一つであり、生命の一部と考えること
ができます。だから「精神の枝」も、「大生命の樹の枝」であると言えるのです。

 ところで、この「精神の枝」は、空間や時間をこえて伸びています。
 なぜなら、思考や認識などの「人類の精神活動の対象」は、宇宙の果てまでも広がり、
過去にも未来にも及んでいるからです。
 たとえば、天文学や宇宙物理学の研究により、「精神の枝」は140億光年先の宇宙の
彼方(かなた)まで広がっています。また同様の研究により、「精神の枝」は、この宇宙
がビッグバンによって誕生した当初、つまり今から140億年前の過去まで伸びています。

 また例えば、人間の精神活動は、自分の将来や、人類の未来を予測し、来るべき問題や
トラブルを解決するためにも向けられています。だから「精神の枝」は過去だけでなく、
未来にも伸びているのです。

 ところで、このような「精神の枝」の数は、いったい何本あるのでしょう?
 それは、地球のすべての人間の、すべての思考、すべての認識、すべての感情、すべて
の判断、すべての興味、すべての願望・・・。つまり、すべての人間の、すべての「意識
の数」を意味します。
 たとえば、たった一人の人間でさえ、見るもの、聞くもの、考えること、思うこと、感
じることは、数秒ごとに新しく生じて膨大な数になります。だから「精神の枝の数」は、
ちょっと想像できないぐらいの、ものすごく大きな数になります。

 以上、ここまで述べたことをまとめると、
 およそ40億年前に芽生えた「大生命の樹」は、枝分かれしながら伸びていき、地球全
体に枝を張りました。そして現在、「生物種の枝」は3000万本にもなっています。
 その中の一本である「人類の枝」は、約20万年前に枝分かれして生えました。しかし
突如として、その枝は空間や時間をこえて伸びはじめたのです。そして「精神の枝」は、
宇宙の果てまでも、過去にも未来にも伸びて行きました。その枝の数は、想像を絶するほ
ど大きな数です。

 それが「大生命の樹」の全体像、つまり「生命」というものの全体像なのだと、私は考
えています。


21章 大生命と大生命の樹
 以前に述べた「大生命」と、前の章で述べた「大生命の樹」は、一体どこが違うという
のでしょう?
 それは、「大生命の樹」は「大生命」に比べて、「生命」というものの概念が、時間的
にも、空間的にも、精神的にも、拡張されているところです。

             * * * * *

 まず「大生命」の概念は、「多細胞生物」のイメージに、たいへん近いものです。
 一個の細菌、一個のプランクトン、一匹の昆虫、一匹の動物、一人の人間など、それら
個々の生命はすべて、大生命の「細胞」のようなものでした。もちろん、あなたも私も、
大生命の細胞の一つです。そして、それらすべての細胞によって、大生命という「一つの
生命」を作っているのでした。

 ところで私は、この「大生命」に対して、それは常に「現在の生命である!」というイ
メージを持っています。というのは、ある一個の多細胞生物を見たとき、それは常に「現
在の生命」だからです。
 たとえば今この瞬間に、多細胞生物としての「私」を見たとしましょう。そうすると、
それは常に「現在の私」です。なぜなら、「過去の私」と「現在の私」は、決して同時に
存在することが出来ないからです。「過去の私」は、常にその瞬間ごとに消え去って行き
ます。
 これと同じように、多細胞生物のようにイメージする「大生命」は、つねに「現在の生
命」なのです。

 一方、「大生命の樹」という概念は、「一本の大きな樹」というイメージです。
 すべての個々の生命は、大生命の樹の「枝」です。もちろん私も、その枝の一つです。
 しかも私は、この「大生命の樹」に対して、「40億年前の生命も、現在の生命も、同
時に存在している!」というイメージを持っているのです。

 たとえば大生命の樹の、根元のいちばん太い「幹」は、40億年前に誕生した地球で最
初の生命体です。
 その幹から、
 「無脊椎動物」の枝が分かれたのは6億年前。
 「魚類」の枝が分かれたのは4億年前。
 「両生類」の枝が分かれたのは3億年前。
 「爬虫類」の枝が分かれたのは2億年前。
 「哺乳類」の枝が分かれたのは6500万年前。 
 「人類」の枝が分かれたのは600万年前。
 そして、現在とおなじ人類である「ホモサピエンス」の枝が分かれたのは、今から20
万年前です。

 このように大生命の樹は、樹齢が40億年の「一本の樹」として、生命の歴史全体を一
目で見渡すことが出来るのです。これは、40億年前から連綿とつながり、多種多様に分
化して行った生命進化の歴史を、同時刻的にビジュアル化(視覚化)したものだと思って
ください。

 「大生命の樹」という概念は、何億年も前の生命が、現在の生命と同じように存在して
います。そして「現在の生命」は、「過去の生命」と根元の方でしっかりつながっている
のです。
 だから大生命の樹の「枝」としての「私」も、40億年前の樹の根元(地球で最初の生
命体)と、しっかりつながっています。
 このように、「大生命の樹」という概念は、「大生命」の概念に比べて、「時間的な概
念」が拡張されているのです。

              * * * * *

 ところで「大生命の樹」はまた、「精神の枝」というものを持っています。これも、
「大生命」には存在しない概念でした。「大生命の樹」は、人間の精神活動が到達してい
る全ての世界に、「枝」を張っているのです。
 「空間的」には、素粒子や原子などの極微の世界から、140億光年先の宇宙の果てま
で。
 「時間的」には、この宇宙がビッグバンによって誕生した140億年前から、現在、そ
して未来にまで。
 そのように空間や時間を越えて、大生命の樹の「枝」は伸びているのです。

 つまり「大生命の樹」というのは、「すべての人間の精神活動」をも含んだ生命概念な
のです。

             * * * * *

 以上のように「大生命の樹」は、「生命」というものの概念が、「現在」という限定さ
れた時間の中にも、「地球」という限定された空間の中にも、もはや閉じ込められていま
せん。
 「大生命」から「大生命の樹」に概念が拡張されたことで、「生命」というものが、時
間的にも空間的にも広く開放されたのです!

 そのことに私は、とても広々とした開放感と、すがすがしい心地よさを感じます。


22章 私の生命の本体
 「大生命の樹」について考えを巡らすと、「私の生命」は、大生命の樹の小さな枝にす
ぎず、「大生命の樹の全体」が、じつは「私の生命の本体」であることが見えてきます。

 つまり「私の生命の本体」は、40億年前に芽生えた、大生命の樹の根元(地球で最初
の生命体)から始まっており、40億年もの長い間、ずっと存在し続けていたのです。そ
れは以前に9章で述べたように、「私の生命の始まり」が40億年前だったことに相当し
ます。

 そしてまた「大生命の樹」は、「精神の枝」というものを持っています。
 だから「大生命の樹」という生命概念においては、過去から現在までの、すべての人間
の精神をも、「私の生命の本体」として捉えることができます。
 たとえば釈迦やキリストの精神も、ニュートンやアインシュタインの精神も、そして他
のすべての人々の精神も、「自分の生命の本体」として考えることが出来るのです。
 なぜなら「私の精神の枝」は、それら人類の精神の枝のすべてと、必ずどこかでつながっ
ているからです。それは以前に10章から12章で述べた、「人類の集合意識」や「自我
意識の波及効果」に相当します。

 いま上で述べたように、
 「私の生命(私の枝)」は、地球で最初の生命が誕生して以降の全ての生命と、大生命
の樹の根元で、しっかりと一つにつながっています。
 そして「私の精神(私の精神の枝)」も、すべての人々の精神と、大生命の樹の(精神
の)枝同士として、必ずどこかで一つにつながっているのです。

 その、一つにつながった「生命の樹の全体」が、「私の生命の本体」なのです。
 だから私が死んでも、「私の生命の本体」は決して滅びません。
 そして「私の枝」は、私が死んでも、以前に18章で述べた「生命の仕事の波及効果」
として、さらに伸び続けて行きます。

 そして、この話は私だけでなく、皆さんにとっても、まったく同様に言えることなので
す。



 つづく



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