生命について 4
2024年8月11日 寺岡克哉
第3部 大生命
13章 大生命の定義
大生命を、「地球のすべての生命を含む、地球の生態系」と定義します。
大生命は、細菌、プランクトン、昆虫、植物、動物、そして人間の、地球のすべての生
命を含みます。
だから当然ですが、あなたも私も、「大生命」に含まれています。
ところで、上で定義した「大生命」は、「一つの生命維持システム」になっており、あ
たかも「一つの生命」のように考えることが出来ます。
次の章から、そのことについて述べて行きたいと思います。
14章 大生命は一つの生命維持システム
前の13章で定義したように、「大生命」は、細菌、プランクトン、昆虫、植物、動物、
そして人間を含めた、地球のすべての生命から出来ています。
ところで、これらすべての生命は、植物と動物の間で行われる酸素と二酸化炭素の交換、
食物連鎖、共生関係など、さまざまな関係で一つにつながり、「一つの生命維持システム」
を作っています。
たとえば植物は、二酸化炭素から酸素を作ります。逆に動物は、酸素を吸って二酸化炭
素を出します。そして動物が出した二酸化炭素は、ふたたび植物に使われます。このよう
に、植物と動物はつながっています。
また「食物連鎖」では、植物が草食動物に食べられ、草食動物が肉食動物に食べられま
す。また逆に、動物のフンや死体は、虫や細菌によって分解され、植物の肥料になります。
このように食物連鎖は、すべての生命を一つに結びつけています。
また「共生関係」では、植物が昆虫に蜜をあたえ、その代わりに昆虫が植物の花粉を運
ぶことなどがあります。植物といえども、単独では生きて行けません。昆虫が存在するこ
とにより、植物は繁殖が可能になるのです。
そしてまた、陸上の生命同士だけでなく、海と陸の生命もつながっています。
たとえば陸の森林が作った酸素は海水に溶け込み、海の動物に使われます。また逆に、
海の植物が作った酸素も大気中に放出され、陸の動物に使われます。
一方、陸の動物が出した二酸化炭素や、山火事で発生した二酸化炭素は海水に溶け込み、
海の植物の光合成や、サンゴや貝の殻の原料に使われています。
このように酸素や二酸化炭素は、海と陸の生物間においても交換されているのです。
また、陸の川から海に流れ出した有機物は海の生物に使われ、陸に打ち揚げられた海の
生物や、海から川をのぼったサケなどは、陸の動物のエサになります。
このように、海と陸の生命もつながっているのです。
ここまで述べたように、地球の全ての生命が一つにつながっているのは、「地球」とい
う限られた場所と環境の中で、出来る限りたくさんの多種多様な生命を育もうとするから
です。
たとえば「食物連鎖」を考えると、その最初は植物から始まります。植物が草食動物に
食べられ、草食動物が肉食動物に食べられます。だから、地球の全ての生命を養っている
のは植物です。
植物が太陽の光を受け、光合成によって炭水化物を作り、これによって全ての生命の栄
養が支えられています。
つまり、地球の全ての生命を養うエネルギー(栄養)は、植物が受けている太陽エネル
ギーが全てなのです。その限られたエネルギーを、なるべく無駄のないように全ての生命
で分け合って生きています。だから全ての生命は、一つにつながらざるをえないのです。
植物と動物の間で行われる、酸素と二酸化炭素の交換も同様です。大気中の酸素や二酸
化炭素は無尽蔵ではありません。限られた量の酸素や二酸化炭素を、植物と動物の間で使
い回さなければならないのです。
以上のように、「地球」という限られた場所と環境の中で、全ての生命が生きて行かな
ければなりません。そのような状況なので、地球の全ての生命は、何らかの関係でつなが
らざるを得ないのです。
そのため、「大生命は一つの生命維持システム」となっているのです。
15章 大生命は一つの生命
以前に13章で定義したように、大生命とは、「地球のすべての生命を含む、地球の生
態系」でした。
そして前の14章で述べたように、大生命は「一つの生命維持システム」でした。
ところでさらに、大生命は「一つの生命」であるとさえ考えることが出来ます。つぎに、
そのことについて述べたいと思います。
しかしながら、それにしても、大生命などという「一つの生命」が、本当に存在するの
でしょうか?
この疑問については、たとえば「人間」と「細胞」の関係を見れば、納得できるのでは
ないかと思います。
たとえば人間の体は、37兆2000億個という、とてもたくさんの細胞から出来てい
ます。
しかも、ちょっと信じられないかも知れませんが、それら一つひとつの細胞は、「一個
の独立した生命」なのです。
なぜなら、生物学の培養実験で、栄養や酸素などの環境を人工的にととのえれば、細胞
は一個だけでも生きられるからです。
つまり人間などの多細胞生物は、「細胞」という独立した生命が、たくさん寄り集まっ
て出来ているのです。
しかし、「細胞は独立した生命」だと言っても、培養実験などの特別な環境でない限り、
一個の細胞だけでは絶対に生きられません。
自然環境の中では、すべての細胞が一つにつながり、「一個の人間」という一つの生命
維持システム、つまり「一つの生命」を作っているから、すべての細胞も生きられるので
す。
たとえば肺から酸素を取り込み、その酸素が血液によって全身の細胞に運ばれるから、
それぞれ個々の細胞は生きることができます。
また、口から食物を取り込み、胃で消化し、腸で栄養素を吸収し、その栄養素が血液に
よって全身の細胞に運ばれるから、それぞれ個々の細胞は生きられるのです。
一つひとつの細胞は、生命としては独立しています。しかし、「人間」という生命維持
システムに組み込まれていないと、一つの細胞だけでは絶対に生きることが出来ません。
一個の人間が、37兆2000億個の生命ではなく、一つの生命だと言えるのは、まさ
に、細胞が単独では生きられないからです。
「大生命」の場合も、それと同じように考えることが出来ます。
ひとりの人間、一匹の犬、一頭の馬、一輪の花、一本の木・・・等々。これら地球上に
棲(す)む個々の生命の全ては、大生命の細胞のようなものです。「個の生命」という細
胞がすべて集まって、一つの「大生命」を作っているのです。
個々の生命は、生命として確かに独立しています。なぜなら飼育実験で、水やエサや酸
素などの条件を整えてやれば、一個の生命だけでも、生きることが出来るからです。
しかし大自然の中では、「大生命」という生命維持システム(つまり地球の生態系)に
組み込まれていないと、一個の生命だけでは、絶対に生きることができません。
地球のすべての生命が一つにつながり、「大生命」という一つの生命維持システム、つ
まり「一つの生命」を作っているから、個々の生命も生きられるのです。つまり「個の生
命」は、まさしく「大生命の細胞」と言えるわけです。
* * * * *
ところでまた、人間の生まれる過程を見れば、大生命が「一つの生命」であることが、
さらに納得できるのではないかと思います。
たとえば人間の生まれる始まりは、「受精卵」という一つの細胞です。それが分裂して
数をふやし、脳細胞や筋肉細胞、内蔵の細胞、皮膚の細胞など、さまざまな細胞に分かれ
ていきます。そして、それらが全部そろうと、いよいよ「人間」ができ上がります。
一方、大生命の始まり(地球の生命の始まり)は、およそ40億年前に生まれた「一つ
の生命体」です。それが繁殖して数をふやし、進化をくり返して、さまざまな生きものに
分かれて行きました。そして今では、3000万種ともいわれる、地球のすべての生命に
よって、「大生命」ができ上がっているのです。
このように考えると、やはり、地球に棲む個々の生命は「大生命の細胞」であり、それ
ら全体で「一つの大生命」を作っているとしか思えません。
* * * * *
ところが私たちは、大生命を「一つの生命」として、自分の生命のように認識すること
ができません。だから大生命の存在に、疑問を感じてしまうかも知れません。
しかし例えば、人間の体を作っている個々の細胞が、「一個の人間」という「一つの生
命」の存在を認識できるでしょうか?
たぶん、細胞に考える能力があったとしても、細胞の立場からは、「人間の存在」を認
識できないと思います。なぜなら細胞が認識できるのは、その細胞自身と、あとはせいぜ
い隣の2個か3個の細胞ぐらいだからです。
遠く離れた細胞同士、たとえば髪の毛の細胞と、足の爪の細胞とでは、お互いにその存
在すら認識できないでしょう。
ゆえに細胞の立場からは、37兆2000億個もの細胞で、「一個の人間」という「一
つの生命」を作っていることなど、認識できるはずがないのです。
しかしながら、たしかに「一個の人間」という「一つの生命維持システム」、つまり「一
つの生命」は存在するのです。
大生命の場合も、これと同じです。私たち個々の生命は、大生命を、自分の生命のよう
に「一つの生命」として認識することができません。
個々の生命が認識できる世界は、同じ家族とか、同じ群れとか、あるいは食うか食われ
るかと言った、ごく近傍で直接の関係を持った生命たちの世界です。
種も、生息地も、大きく異なる生きものたち。たとえばアフリカのゾウと、北極の白熊
では、お互いにその存在すら認識できないでしょう。
だから個々の生命の立場では、3000万種ともいわれる、地球のすべての生命によっ
て「大生命」ができ上がっていることなど、認識できるはずがないのです。
しかしながら、地球のすべての生命が一つにつながって、たしかに「大生命」という、
「一つの生命」が存在しているのです。
私たち個々の生命は、大生命を「一つの生命」としては認識できません。しかしながら
「大生命」は、「地球の生態系」として確かに存在しています。酸素や食料を供給する生
命維持システムとして、「大生命」は確かに存在しているのです。
もしも「大生命」が存在しなければ、どんな生命も、この地球上で生きることが出来ま
せん。
ゆえに、この地球上で私たちすべての生命が、生きているという、絶対に否定できない
事実。まさに、その事実こそが、大生命という「一つの生命」が存在していることの、た
しかな証拠となっているのです。
16章 大生命の意志
「大生命は意志を持つ!」と、もしも言ったなら、「それは本当か?」と疑問に思う人
がいるかも知れません。
しかしながら、たとえば細菌などのような、脳を持たない単純な微生物でさえ、ある意
味で「意志」といえるものを既に持っています。
それは、細菌などが「生命として自発的に」栄養素を取り込もうとしたり、増殖をしよ
うとする意志です。私はこれを、以前に3章で「生命として生きる意志」と呼びました。
つまり「生命として生きる意志」とは、生命が自発的に生き、繁殖することにより、生
命それ自体が存在し続けようとする意志です。
ところで大生命は、地球の全ての生命で作られた「生命維持システム」です。
だから大生命は、地球の生態系のバランスを上手に取りながら、地球上にできるだけた
くさんの生命を生かそうとします。そしてこれは、地球の生命全体(大生命)が「自発的」
に行っている働きです。
ゆえに大生命は、「地球の全ての生命を生かそうとする意志」とか、あるいは「地球の
生命を存続させようとする意志」を持っていると言えます。
ところで、大生命の始まり(地球の生命の始まり)は、およそ40億年前に生まれた、
「一つの単純な生命体」です。
その単純な生命体が、増殖し、進化し、多種多様な生命に分かれて行きました。そして
現在では、3000万種とも言われる、大変に複雑で強力な、しかも安定した生態系に発
展したのです。これらは、「大生命の成長過程」と言えるものです。
ゆえに大生命は、成長して強力になろうとする自発的な働き、つまり、そのような「意
志」を持っているのです。
以上のように、生命の進化や、地球の生態系というような、大規模な時間とスケールで
生命現象を観察すると、「大生命の意志」といえるものが確かに見えて来ます。それをい
くつか具体的に挙げてみると、次のようになります。
大生命の意志は、
地球の全ての生命を維持し、育もうとします。
地球上の生命を、できるだけ数多く増やそうとします。
地球上に、出来るだけ多種多様な生命を生み出そうとします。また、そうすることによっ
て、複雑で強力な、しかも安定した生態系を作って行こうとします。
海、陸、川、湖、高山、空、寒冷地、熱帯、乾燥地、湿地など、さまざまな地球環境に
生命を適応させて、地球の生命圏をできるだけ広げようとします。
単細胞生物などの単純な生命から、軟体動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、そして
人類へと、高等で複雑な生命へ進化させようとします。
世代交代や進化を繰り返しながら、「生命」というものを永遠に存続させようとします。
(大生命は、地球に最初の生命が誕生してから、すでに40億年も存続しています。)
以上のように、地球の生命全体を維持し、育み、進化させ、発展させ、存続させようと
するのが、「大生命の意志」なのです。
17章 生命の仕事
「生命の仕事」とは、前の16章で述べた「大生命の意志」に貢献する、生命活動の全
てを言います。
大生命は、地球の全ての生命で構成された「一つの生命維持システム」です。だから大
生命は、地球の全ての生命を維持しようとします。それが「大生命の意志」でした。
たとえば、植物が光合成を行い、地球の全ての生命に酸素と栄養を供給するのは「生命
の仕事」です。
弱肉強食の生存競争を生き残り、強い子孫を生み育てて行くのも「生命の仕事」です。
そして食物連鎖も「生命の仕事」です。なぜなら「食物連鎖」がなければ、地球の全て
の生命は、生きることが出来なくなってしまうからです。生命が生命を殺して食わなけれ
ば生きられないという事実は、大変に悲しいことです。しかし「食物連鎖」は、地球の生
命全体を維持して行くための、大切な「生命の仕事」なのです。
ところで、食べられてしまう植物や動物は、ただ単に弱いから食べられてしまい、それ
で全てが終わりになるのではありません。自分が食べられることによって、他の生命を養っ
ているのです。自分の命を犠牲にして、他の生命を支えているのです。
また、自分が食べられることによって、その種族の大量発生が防止され、逆に自分の種
族を守ることにもなっています。
このように、食べられる生命がいてくれるからこそ、他の生命全体が生きられるのです。
たしかに「食物連鎖」は、生命界に大きな苦しみを与えています。それを否定すること
は出来ません。しかしながら、「食物連鎖」は地球の生命全体を生かし、育むためには絶
対に必要です。ゆえに「食物連鎖」は、大切な生命の仕事なのです。
微生物が、動物の糞や、死んだ生物の体を分解するのも生命の仕事です。
生物が色々な地球環境に挑み、進化し、多様化して、地球上に生命圏を広げて行くのも
生命の仕事です。
このように「生命の仕事」は、ありとあらゆる生物が行っているのです。
* * * * *
ここで、人間の場合についての、「生命の仕事」の例を挙げてみましょう。
たとえば結婚して家庭を持ち、子供を生み育てることは、「人類」という種を維持する
ための大切な生命の仕事です。
農業や漁業、畜産業に携(たずさ)わり、他の多くの人々のために食料を提供すること
も、生命の仕事です。これらの人々は、食料を提供することによって、他のたくさんの人々
の生命を支えているのです。
工場で働き、生活物資を生産するのは生命の仕事です。
流通業や小売業で働き、食料や生活物資をたくさんの人々に供給することは、生命の仕
事です。
医療技術や医療設備を充実させ、怪我や病気で苦しんでいる人々を助けることは、生命
の仕事です。
教育や文化、芸術の普及に貢献し、人々の心を豊かにするのは、生命の仕事です。
スポーツや芸能で、多くの人々に喜びと元気を与えるのは、生命の仕事です。
難民の救援や、戦争を回避して平和を維持する活動は、生命の仕事です。
以上のように、人類がより良く生きるための活動は、全て生命の仕事です。
そしてまた、人類だけではなく、地球の生命全体に貢献する活動も、生命の仕事です。
たとえば、地球環境や生態系を研究して、無秩序な環境破壊を未然に防ぐことは、生命
の仕事です。
自然環境や野生生物を保護し、それらを守って行くこと。あるいは絶滅しそうになって
いる動物や植物を救うことは、生命の仕事です。
このように、人類全体や生命全体に貢献する活動であれば、その全てが「生命の仕事」
なのです。
しかしながら「生命の仕事」は、とくに大それたことをしなくても良いのです。あらゆ
る生命は、「生きること」で立派に生命の仕事を果たしているからです。なぜなら大生命
の意志は、「全ての生命が生きること」を望んでいるからです。だから「生きる」という
生命活動は、大生命の意志に貢献する立派な「生命の仕事」なのです。
そして例えば、呼吸をするだけでも、それは「生命の仕事」になります。
なぜなら、呼吸で出した二酸化炭素は、必ずどこかで他の生命の役に立っているからで
す。呼吸で出した二酸化炭素は、植物の光合成に使われるか、サンゴや貝の殻の原料とし
て使われるか、地球を適度な温度に保つために使われるかして、必ず他の生命の役に立っ
ているのです。
たしかに、呼吸で出した二酸化炭素が、地球全体に及ぼす影響は、ごくごく小さなもの
です。しかし、それが他の生命に役立っていることは、絶対に否定の出来ない事実なので
す。
ところで近年は、二酸化炭素の急激な増加による地球の温暖化が問題になっています。
しかし、地球環境を変えるほどの二酸化炭素を排出しているのは、生物の呼吸によるもの
ではありません。石炭や石油やガソリンなどの、化石燃料の燃焼によるものです。だから
自動車の使用を減らしたり、冬の暖房をすこし控えるだけでも、それは立派な生命の仕事
になります。
また、毎日の食事を食べることも、生命の仕事です。
毎日の食事を食べることによって、たくさんの人々の生活が支えられているからです。
農業の人、漁業の人、畜産業の人、運輸や流通に携わる人、小売業の人、飲食店の人。そ
してさらに、その人達の子供や家族・・・ 毎日の食事を食べることによって、これらた
くさんの人々の生活を支え、生命を支えているのです。
以上のように、「生きること」は立派な生命の仕事です。ところが「生きること」には、
少なからず「苦しみ」が伴うことも確かです。しかしながら、苦しみに耐えて一生懸命に
生きることは、全ての人間にとって、さらには全ての生命にとって、まず最初にやらなけ
ればならない、最も大切な生命の仕事なのです。なぜなら地球の生命全体が、そうするこ
とによって支えられているからです。
人類を含めた全ての生命は、「力の限り、生きられるだけ精一杯に生きること」によっ
て、最も大切な「生命の仕事」を行っているのです。
つづく
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