「人間の心」と「社会」 2004年5月9日 寺岡克哉
私は、どんなに素晴らしい社会制度を作ったとしても、その社会に住む「人間の心」
が悪ければ、絶対に社会は良くならないと思っています。
ところがその逆に、「人間の心」さえ良くなれば、たとえ社会制度に多少の不備が
あったとしても、平和で住みよい社会になると思うのです。
たとえばその例として、「資本主義」と「社会主義」の場合を考えてみましょう。
私は、社会制度としては「資本主義」よりも「社会主義」の方が、優れた制度だと
思います。(異論のある人も、いるかも知れませんが。)
しかしながら、社会主義は中央集権の色合いが強く、政権上層部の腐敗を招き
やすかったのです。そのために、色々と効率の悪いことや不都合なことが起こり、
たとえばソ連の場合は崩壊してしまいました。
これは日本で言えば、官僚や大企業のトップの汚職や収賄と、似たようなものだ
と思います。それがソ連の場合は、国家規模で横行したのでしょう。
ソ連を崩壊させた本質的な原因は、社会制度が悪かったのではなく、政権上層部
の「人間の心」が悪くなったからだと、私は思うのです。
もしも「人間の心」がもっと良くなれば、社会主義は資本主義よりも優れた制度だ
と、今でも私は思います。社会主義を上手に運営するには、「人間の心」がまだまだ
未熟なのだと思います。
つぎに、「民主主義」と「独裁政治」の場合についても考えてみましょう。
これはほとんどの人が、独裁政治よりも民主主義の方が良い制度だと言うでしょ
う。それは、人類の歴史によっても証明されています。
しかしながら、民主主義よりも良い独裁政治というのも、人類の歴史には存在して
いるのです。
そのような例は数少ないのですが、人望と人徳のある独裁者が善政をおこなえば、
たしかに平和で住みよい社会が一時的に実現するのです。それは、たとえば古代
ローマ帝国の五賢帝時代や、中国の歴史にもたびたび出現しています。
逆に、いくら民主主義であっても、民衆の心が悪ければ衆愚政治になってしまいま
す。そして悪徳や不正、犯罪などが横行してしまうのです。
このように、社会が良いのか悪いのかと、社会制度の良し悪しとは、必ずしも一致
するわけではないのです。
その理由は、社会を作る本質が「制度」などではなく、「人間の心」だからだと私は
思っています。
ところで・・・ 「人間の心」が悪くなって治安が悪くなると、その治安を回復するた
めに、警察組織や軍隊組織を強化するという方法がとられがちです。治安を早期に
回復するには、それがいちばん手っ取り早い方法だからです。
たしかに、治安や平和を守るためには、これらの組織も多少は必要です。これらを
すべて無くしてしまったら、世界はメチャクチャになってしまうでしょう。残念ながら、
それが今の人類の実情です。
だから治安が悪くなると、すぐにそちらの方向に走ってしまいがちになるのは、現
段階の人類としては仕方のないところかも知れません。
しかしながら、これにも大きな落とし穴があるのです。
治安維持のための組織を強化しても、治安を守る側の「人間の心」が悪ければ、
組織権力の横行による弱いものいじめや、虐待が起こるのは目に見えているから
です。
全体的に「人間の心」が悪くなっているのに、権力組織だけがまともに機能する訳
がないのです。なぜなら、権力組織を構成しているのも「人間」だからです。だから
「人間の心」が全体として悪くなれば、権力組織も悪くなるのが当たり前なのです。
つまり「人間の心」が悪くなれば、どんな社会制度を作っても、どんな組織を
作っても、だめなのです。「人間の心」を良くして行かなければ、良い社会の
実現は絶対にありえないのです。
社会不安をなくし、平和で住みよい社会を実現するためには、少しずつでも「人間
の心」を良くして行くしか、根本的な解決方法は存在しないように思います。
しかしながら、一体どのようにしたら、「人間の心」が良くなるのでしょうか?
これは、非常にむずかしい問題です。
しかし私は、まず「良い心の重要性」を人々に理解してもらうことから始めるより、
ほかに方法がないように思います。
それで、今回のエッセイを含めてあちらこちらで、「良い心の重要性」を繰り返し
お話しているわけです。
ところで、
「良い心が大切なのは分かっている!」
「そんなことは、いまさら言われなくても当たり前だ!」
と、多くの人から言われてしまいそうです。が、しかし本当にそうでしょうか?
もちろん、私のエッセイを読み続けてくれるような人は、「人間の心」がいちばん
大切なことを重々承知していると思います。
しかしたとえば、本来は「お金」などよりも「良い心」の方が大切なはずですが、一体
どれぐらいの人間が、そのことを本当に理解しているでしょうか?
いつも世間を騒がせている、詐欺まがいの悪徳商法や、企業や官庁などの「組織
ぐるみの不正」などを見ていると、はなはだ疑問を感じてしまいます。
他の国ではどうか分かりませんが、戦後から現在までの日本に限って言えば、
「世の中は金だ! 金がすべてだ!」
「なんとしてでも、金をつかんだ者が勝ちなのだ!」
「良い心が大切などと言っても、所詮は理想論にすぎない!」
というような、ほとんど「宗教」にも近いような「金に対する絶大な信仰」が、
「人間の心」を荒廃させて来たように私には思えます。
「人の心より金だ!」という価値観から、
「金よりも人の心でしょう!」という価値観へ。
日本の場合について言えば、これが「人間の心」を良くして行くための第一歩の
ように思います。
そして、企業や官庁の内部告発による不正の発覚や、さまざまな助け合いのボラ
ンティア活動などを見ると、その第一歩はすでみ歩み出しているように私は思える
のです。
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