神の顕現 1
2024年5月12日 寺岡克哉
今回から、「神の顕現 -私が正しいと確信し、安全で信用できる本当の神-」という
本の原稿を、紹介して行きます。
本書は、これまで私が神について考察して来たことの、集大成だと思って頂いて結構で
す。
一冊の本にまとめる都合上、前に紹介した「大いなるもの(私が求める本当の神)」と、
内容が重なっている所もありますが、それについてはご容赦ください。
題名 神の顕現 -私が正しいと確信し、安全で信用できる本当の神-
目次
はじめに
第1部 理性による神の顕現
1章 神の定義
2章 神は、信仰に関係なく厳然と存在する
3章 神は「存在」を肯定する
4章 「存在の肯定」とは「愛」である
5章 神は、宇宙の全てを愛している
6章 神の意志
7章 「神に愛される」とは「存在すること」である
8章 神は、あなたや私を完全に受け入れてくれる
9章 神は、あなたや私を根底から認めてくれる
10章 神は、あなたや私を無限の愛で抱いてくれる
11章 現代社会における「心の闇」の救済
12章 神が「存在を禁止」するもの
13章 神は、科学的な事実を否定しない
14章 神は、金儲けの道具ではない
15章 神は、テロや戦争を煽り立てない
16章 神は、悪の存在を禁止しないが否定する
17章 神は、なぜ悪の存在を禁止しないのか
18章 神による「無限の愛」の例外
19章 神罰について
第2部 感性による神の顕現
20章 神の実感1
21章 神の実感2
22章 神を求めること
23章 神を愛すること
24章 「神に祈る」ということ
25章 神は愛の根源
26章 神は生命の根源
27章 神のイメージ
28章 神を感じさせるもの
29章 神は、理性と感性で認識する
第3部 神と人生
30章 神は、なぜ苦しみを与えたのか
31章 神は、なぜ死を与えたのか
32章 死は一瞬であり永遠である
33章 死後の世界は存在しない
34章 神は、自殺を禁止しないが退ける
35章 神に守られていること
36章 神に救われること1
37章 神に救われること2
38章 「神にすがる」ということ
39章 「神に願う」ということ
40章 神に感謝すること
41章 神にすべてを任せるとき
42章 自我意識と神
43章 転生は存在しない
第4部 永遠の生命
44章 「生命の意義」の定義
45章 「生命の意義」は波及拡大する
46章 「生命の意義」は、肉体が死んでも波及拡大を続ける
47章 「生命の意義」は、肉体が死んでも生き続ける
48章 「生命の意義」は生命である
49章 生命は、肉体が死んでも生き続ける
50章 永遠の生命
51章 真の幸福(結び)
あとがき
はじめに
私は本書によって、神を「顕現」します。
ちなみに「顕現(けんげん)」とは、「はっきりと現す」という意味です。つまり私は
本書によって、「神」というものを、はっきりと現すつもりです。
なぜ私が、神を顕現するのかと言えば、世の中には「偽物の神」が横行しているからで
す。
たとえば、科学的な事実を否定する神や、金儲けの道具にされる神、テロや戦争を煽(あ
お)り立てる神など、これらはみな「偽物の神」です。
私は、「本当の神」を顕現して、そんな「偽物の神」を、この世から払拭(ふっしょく)
したいのです。
ところで私は、私を完全に受け入れ、私の存在を根底から認め、私を無限の愛で抱いて
くれる存在、つまり神が、どうしても必要です。私は、神が存在しないと、孤独で不安で
たまらないのです。
しかし、それは私だけでなく、現代社会における「神の不在」によって、孤独や不安に
苦しんでいる人々は、かなり多くいると思います。その証拠に、「偽物の神」に騙(だま)
されて、霊感商法や高額献金などの被害に遭う人々が、まったく後を絶ちません。
じつは現代でも、神が必要な人々は数多くいるのです。それなのに「偽物の神」は、怪
しげな商品を高額で売りつけたり、高額な布施や献金を要求したり、テロや戦争を煽り立
てるなどして、神を「危険で信用できないもの」にしてしまいました。そして神が必要な
人々を、「本当の神」から遠ざけています。
だから私は、安全で信用できる「本当の神」を顕現し、人々が安心して神と向き合える
ようにすること。そして危険で信用できない「偽物の神」を払拭し、被害に遭う人々を無
くしたいと、強く思ったわけです。
ところで、近年になって自覚したのですが、私の人生の目的は「神の顕現」でした。
たとえば、かつて私が大学生のときに、山岳部に所属して、厳しい自然環境の中に身を
置いていたのも、大学院生のときに自然科学(物理)を研究していたのも、そして現在、
自分のホームページで文章を書き続けているのも、それらすべてに共通する動機が、「神
の顕現」だったのです。
つまり、登山によって大自然に働く「神の力」を体感し、研究によって自然界に働く
「神の摂理」を見い出し、著述によって「神を顕現」しようとしたわけです。
科学的な事実を否定せず、金儲けの道具にされず、テロや戦争を煽り立てず、盲目的な
信仰を強要せず、理性によって納得でき、安全で信用できる本当の神。そして、これまで
私の人生をかけて顕現しようとしてきた本当の神。
そのような、「私が正しいと確信し、安全で信用できる本当の神」を、本書によって顕
現すると、ここに宣言します。
なお本書では以後、「神」と言えば、「私が正しいと確信し、安全で信用できる本当の
神」を指しますので、いわゆる「宗教の神」とは別のものと考えて下さい。
第1部 理性による神の顕現
1章 神の定義
神とは、「この世を、この様にしているもの」と、定義します。
ここで、「この世」とは、人間や人類社会、生命、生態系、地球、そして太陽系や銀河
系を含めた、「宇宙全体」のことをいいます。
そして、「この世を、 “この様に” しているもの」というのには、以下の三つの意味が
含まれています。
●この世を、この様な「存在」にしているもの。
●この世を、この様な「状態」にしているもの。
●この世を、この様な「状況」にしているもの。
つまり神とは、人間や人類社会、生命、生態系、地球、太陽系や銀河系を含めた宇宙全
体を、この様に存在させ、この様な状態にし、この様な状況にしているものです。
つぎに、神について、すこし具体的に表現してみましょう。
たとえば・・・
神とは、およそ140億年前に、ビッグバン(宇宙の始まりの大爆発)によって、この
宇宙を誕生させたものです。
神とは、ビッグバンの莫大なエネルギーから、電子や陽子、中性子などの素粒子を作り
出したものです。
神とは、それらの素粒子から、水素やヘリウムなどの原子、つまり物質を作り出したも
のです。
神とは、それらの原子を集めて恒星を作ったものです。
神とは、恒星の中心部で核融合を起こさせ、水素やヘリウムから、炭素や酸素、鉄など
の様々な原子を作ったものです。
神とは、宇宙に漂う膨大な星間物質を集めて、さまざまな恒星や銀河、太陽系、そして
地球を作ったものです。
神とは、地球に空(大気)や大地や海を作ったものです。
神とは、地球の海の中で、原子を結合させて分子や高分子を作ったものです。
神とは、高分子を組み合わせて、地球に生命を誕生させたものです。
神とは、生命を進化させ、単細胞生物から多細胞生物、無脊椎動物、脊椎動物、魚類、
両生類、爬虫類、哺乳類、サルの仲間、そしてヒトを誕生させたものです。
神とは、細菌や植物や動物など、すべての生物によって、地球の生態系を作り出したも
のです。
神とは、私たち人間に、自我意識や思考能力や感情を持たせたものです。
神とは、私たち人間に、村や町、都市、国家、国際社会を作らせたものです。
神とは、私たち人間に、政治や経済、宗教、その他さまざまな社会活動を行わせるもの
です。
神とは、私たち人間に、学問や教育、医術、芸術、工芸、スポーツ、芸能、その他さま
ざまな文化活動を行わせるものです。
神とは、様々な自然法則や、様々な因果関係や、様々な偶然や必然を司るものです。
・・・・・・等々、具体例を上げれば、まだまだ限がありません。
ところで、ビッグバンが起こる以前にも、何かの因果関係が、無限の過去から連綿と続
いて来たはずです。その結果として、140億年前にビッグバンが起こり、この宇宙が誕
生して、「この世が、この様になった」わけです。
だから神は、無限の過去から現在まで起こった事象の、すべてを司っているのです。
2章 神は、信仰に関係なく厳然と存在する
前の1章で定義したように、神とは、「この世を、この様にしているもの」です。
従って、「この世が、この様になっている」からには、神は「論理的に存在しなければ
ならないもの」です。
ゆえに神は、それを信仰しても信仰しなくても、そんなことには関係なく、厳然と存在
するのです。
具体的には、たとえば・・・
この宇宙が存在するからには、ビッグバンによって「この宇宙を誕生させたもの」、つ
まり「神」が存在しなければなりません。
この宇宙に物質が存在するからには、ビッグバンの莫大なエネルギーから、素粒子や原
子などの「物質を作り出したもの」、つまり「神」が存在しなければなりません。
この宇宙に恒星や惑星や地球が存在するからには、膨大な星間物質から「恒星や惑星や
地球を作ったもの」、つまり「神」が存在しなければなりません。
この地球に生命が存在するからには、地球に「生命を誕生させたもの」、つまり「神」
が存在しなければなりません。
そして地球に人間が存在するからには、地球の生命を「人間にまで進化させたもの」、
つまり「神」が存在しなければなりません。
また、私たち人間に自我意識や思考能力や感情が存在するからには、「人間に自我意識
や思考能力や感情を持たせたもの」、つまり「神」が存在しなければならないのです。
以上のように、「ある事物が存在する」という結果があるからには、その事物を存在さ
せている原因が、必ずなければなりません。それが原因と結果の「因果関係」です。そし
て因果関係は、論理の根幹をなすものです。
ゆえに、この世に因果関係が存在する以上、神は「論理的に存在しなければならないも
の」であり、神を信仰しても信仰しなくても、そんなことには関係なく、神は厳然と存在
するのです。
* * * * *
ところで、
「原因なんか存在しなくても、結果は存在するのだ」
「だから神なんか存在しなくても、この世は、この様になっているのだ」
と、神の存在を否定する人がいるかも知れません。
しかしながら、たとえば人類は、
病気の原因を調べて、薬や治療法を発見すること。
事故や災害の原因を調べて、それを未然に防ぐ対策を実施すること。
農作物が不作になった原因を調べて、肥料や農薬を開発したり、品種改良をすること。
魚が獲れなくなった原因を調べて、漁獲量の調整をしたり、養殖をすること。
家畜が上手く育たなければ、その原因を調べて解決すること。
工業製品に欠陥があれば、その原因を調べて改良すること。
商売が上手く行かなければ、その原因を調べて改善すること。
その他、さまざまな問題の原因を調べて、その解決方法を発見し、それを実行してきま
した。
つまり人類は、因果関係を調べ、それを理解することによって、進歩発展してきたので
す。
また、さまざまな学問や研究も、いろいろな因果関係を調べて、それを論理的に理解し、
知識や世界観を広げて行くことが、その主な目的です。
だから因果関係を理解することは、論理的思考の根幹をなすものであり、人間が世界を
認識するための重要な方法であり、人類が進歩発展するための重要な方法でもあります。
しかし、それだけでなく、因果関係は「この世を成り立たせている根本原理」とさえ言
えるものです。
従って、「原因が存在しなくても、結果が存在する」という因果関係の否定。つまり、
「神が存在しなくても、この世はこの様になっている」とする因果関係の否定は、非論理
的であり、人間が持つ世界観の否定であり、人類の進歩発展を失わせるものであり、「こ
の世を成り立たせている根本原理」に反するものです。
ゆえに、この世に因果関係が存在するのを、否定することは絶対に不可能です。
そしてやはり、この世に因果関係が存在する以上、神は「論理的に存在しなければなら
ないもの」であり、神を信仰しても信仰しなくても、そんなことには関係なく、神は厳然
と存在するのです。
3章 神は「存在」を肯定する
この宇宙に存在する全てのものは、「神の働き」によって存在しています。
この「神の働き」とは、時間や空間、エネルギー、物質、そして生命などを存在させて
いる、大自然の力、大自然の作用、大自然の法則、大自然の摂理などのことです。
つまり「神の働き」とは、この宇宙に存在する、ありとあらゆるものを存在させている
働きです。
具体的には例えば、
地球の大気(酸素など)が、宇宙に拡散して無くなってしまわないこと。
太陽の引力によって、地球が太陽に落ちてしまわないこと。
太陽がすぐに燃え尽きないで、100億年も輝き続けること。
原子核の周りの電子が、電気的な引力によって原子核に落ちないこと。
原子核の中の陽子と陽子が、電気的な反発力によって飛び散らないこと。
これら、上で挙げた事実は、
地球が地球として存在すること。
太陽が太陽として存在すること。
原子が原子として存在すること(つまり物質が物質として存在すること)。
そのためには、大自然に存在する何らかの力や作用、法則、摂理などが、それら地球や
太陽や物質の「存在を支えていること」を示しています。それが「神の働き」です。
このように、「神の働き」が無ければ、ありとあらゆるものが存在できません。宇宙に
存在する全てのものは、「神の働き」があるからこそ存在できるのです。
ところで、この宇宙には無限と言えるほど、じつに多くの「事物」が存在しています。
それは神が、それら事物の存在を志向し、それら事物の存在を望み、それら事物の「存
在を肯定している」からです。つまり「神の働き」は、「存在を肯定するように働く」の
です。
その反対に、もしも神が「存在を否定」していたら・・・ つまり、大自然の法則や摂
理によって、「存在」という事象が否定されていたら、この宇宙に、こんなに多くの事物
が存在するわけがありませんし、そもそも、この宇宙自体も存在しなかったでしょう。
ゆえに、神が「存在」を肯定しているのは、絶対に否定できない事実なのです。
4章 「存在の肯定」とは「愛」である
前の3章で、神は「存在」を肯定すると述べましたが、「存在の肯定」とは、じつは
「愛すること」です。
なぜなら、たとえば愛する人、愛する家族、愛する仲間、愛する町、愛する国、愛する
動物、愛する植物、愛する自然、愛する地球など・・・これら「愛するもの」はみな、そ
の存在を望み、その存在を願い、その「存在を肯定」するからです。
その逆に、「存在の否定」とは「憎むこと」です。
なぜなら、たとえば憎い人間、憎い組織、憎い制度、憎い民族、憎い国、憎い雑草、憎
い害虫、憎い害獣、憎い病気、憎い戦争など・・・これら「憎いもの」はみな、その消滅
を望み、その消滅を願い、その「存在を否定」するからです。
このように、「存在の否定」が「憎むこと」であるのを考えれば、「存在の肯定」が
「愛すること」であるのが、納得できるかと思います。
ゆえに、「存在の肯定」とは「愛」なのです。
5章 神は、宇宙のすべてを愛している
前にも述べましたが、この宇宙には、無限と言えるほど多くの事物が存在しています。
それは3章で述べたように、神が、それら全ての「存在を肯定」しているからです。
そして4章で述べたように、「存在の肯定」とは「愛」でした。
だから神は、この宇宙に無限に存在する、全てのものを愛しています。
それが、神による「無限の愛」です。
ゆえに、神は「無限の愛」で、この宇宙のすべてを愛しているのです!
つづく
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