大いなるもの 1
2024年3月10日 寺岡克哉
今回から、「大いなるもの(私が求める本当の神)」という本の原稿を、紹介して行き
たいと思います。
現在、他の本の原稿も並行して書いていますので、少しゆっくりとしたペースでの紹介
になってしまいますが、ご了承ください。
題名 大いなるもの (私が求める本当の神)
目 次
はじめに
第1部 「大生命」から「大いなるもの」へ
1章 「大いなるもの(私が求める本当の神)」の必要性
2章 大生命
3章 大生命の愛
4章 「大生命」から「宇宙の原理」へ
5章 「宇宙の原理」から「大いなるもの」へ
6章 生命の幸福と「大いなるもの」
7章 存在するということ
8章 大いなるものに愛されること
9章 「大いなるもの」は愛の根源
10章 大いなるものの実感
11章 大いなるものを愛すること
12章 究極の幸福
13章 「慈悲」と「神の愛」
14章 「大いなるもの」と「神」の違い
15章 理神論について
第2部 「大いなるもの」と人生
16章 苦しみはなぜ存在するのか
17章 死はなぜ存在するのか
18章 自殺について
19章 「大いなるものに」守られていること
20章 大いなるものの力
21章 心の共通基盤
22章 「大いなるもの」にすがること
23章 祈るということ
24章 理性と信仰
25章 「大いなるもの」と「人の心」
26章 大いなるものによる罰
27章 努力が報われないとき
28章 失恋したとき
29章 すべてを「大いなるもの」に任せるとき
30章 「自我意識」と「大いなるもの」
31章 「大いなるもの」と私
あとがき
はじめに
60歳になった今にして思うのですが、私の人生の目的は、「神の探求」であったよう
な気がします。
かつて私が大学生だったときに、山岳部に所属して冬山などの厳しい自然環境の中に身
を投じていたのも、大学院生のときに自然科学(物理学)を研究していたのも、その後、
科学者になることを断念し、自分のホームページで文章を書き続けているのも、それらす
べてに共通する目的が、「神の探求」であったような気がするのです。
つまり登山をすることによって、厳しい大自然の中に働いている「神の力」を体感し、
自然科学の研究を通して、世界の奥深くに隠された「神の摂理」を発見しようとし、文章
を書くことによって「神を顕現」させようとしているのだと、今になって思うわけです。
ところで・・・ むかし私は、生きることを辛く感じていました。
胸がしめつけられ、息がつまり、はき気がし、ジリジリと身を焼かれるような焦燥に、
いつも苦しめられていました。
なんとなく寂しく、哀しく、情けなくて、「自分なんか、この世に存在しない方がまし
だ!」と、強く思い込んでいました。
「こんな思いに、あと何十年も、苦しまなければならないなんて・・・ 」
「早く死んで楽になりたい・・・ 」
と、そんな思いが、頭をよぎることも何度かありました。
しかし現在、私の心は安定し、生まれて来たことに感謝できるようになり、生きる喜び
を感じています。
一体どうして私は、そのように変わることが出来たのかを考えてみると、そのいちばん
の原因は、「大いなるもの」の存在を心の底から確信し、その存在が実感できるようになっ
たからでした。
「大いなるもの」とは、私が求める「本当の神」であり、今ここに私たちを生かし、存
在させているものです。
素粒子から宇宙、生命、そして私たち人間の、この世のすべてを存在させ、それらの作
用や働き(自然法則や因果関係、偶然や必然など)を司っているものです。
「大いなるもの(私が求める本当の神)」は、私の人生における最大の発見です!
私の人生は、「大いなるもの」と出会うためにあったと言っても、過言ではありません。
「大いなるもの」の存在を、心と体の全体で感じるとき、「私は本当に生きている!」
と実感することができます。今ここに生きて存在することが、嬉しくて嬉しくて仕方がな
くなります。そしてそれが、涙の出るほどありがたく感じてきます。
しかし注意しますが、「大いなるもの」と、いわゆる「宗教の神」とは違うものです。
私は、「宗教の神」に対して懐疑心というか、生理的な嫌悪感というか、うさん臭さを
感じています。つまり私は、「宗教の神」を拒絶しています。
なぜなら「宗教の神」は、科学的な事実を否定したり、無理に信仰を強要したり、多額
の布施や寄付を求めたり、テロや戦争をあおり立てる道具に使われたりするからです。
しかし「大いなるもの」ならば、私はその存在を、ごく自然に認めることができます。
なぜなら「大いなるもの」は、盲目的な信仰を強いるわけでなく、論理的に存在しなけ
ればならないものであり、科学的な事実を否定しないからです。そして「大いなるもの」
は、布施や寄付を求めたり、テロや戦争をあおり立てたりもしないからです。
本書は、「宗教の神」を拒絶していた私が、「本当の神(大いなるもの)」を求め、そ
れに出会い、それを顕現させるまでの軌跡を書いたものです。
つづく
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