言うは易(やす)し
2024年1月21日 寺岡克哉
「言うは易(やす)し」というのは、
「言うは易く、行うのは難(かた)し」という諺(ことわざ)を省略した
もので、
「口で言うのは簡単だけれども、それを実行するのは難(むずか)しい」
という意味です。
ところで・・・ 私は最近、この「言うは易し」という言葉を痛感してい
ます。
それは何故(なぜ)なのか、その理由を、これから述べて行くことにしま
しょう。
* * * * *
さて、私は長年の考察により、
幸福の本質は「愛すること」であり、「愛すれば幸福」というのが、
これまでに私が得られた、「最高の真理」であると自負しています。
この「愛すれば幸福」という真理は、
私が長年の考察をした末(すえ)に、やっとたどり着いた結論であり、
ここまで来るのに、(私なりには)とても苦労したつもりです。
そして、
「愛すれば幸福」という真理が正しいことを、頭では十分に理解していま
すし、
「愛すれば幸福」という真理が正しいことは、「心による実感」としても
十分に納得しています。
と、いうのは、
「心の中が ”愛” で満たされたとき」に感じる、ものすごく大きな幸福感
を、
私は実際に、何度も体験しているからです。
たとえば、1年の間に何回かぐらい、
「この世の全てを愛したい!」という愛の感情で、心の中が満たされる
ことがありますが、
そのようなとき、私は確かに、「人生で最大の幸福」を感じるのです。
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ところが!
「愛すること」を継続するのは、ものすごく難しいことです。
とくに、
テレビの報道を見ていて、戦争や災害などの悲惨(ひさん)な映像が目に
入ると、
「愛すること」が、すぐに出来なくなってしまいます。
たとえば、
血だらけになり、傷ついた人々・・・
手足を失ってしまった人々・・・
さらには命を失った人々・・・
親を失って、泣きわめいている子供たち・・・
子供を失って、悲しみに打ちひしがれる親たち・・・
破壊された家々・・・
積み重なった、瓦礫(がれき)の山々・・・
そんな映像が目に入ると、
怒りや憎しみ、あるいは悲しみなどの感情に心が支配されてしまい、
「愛の感情」が完全に消え去り、「愛すること」が出来なくなって、
ものすごく不愉快で不幸な気分になってしまいます。
もしも食事のときに、上のような映像が、偶然に目に入ってしまったら、
食べ物の味がしなくなるほどです。
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また、
買い物や、病院へ行くなどで外出をしているときに、
人とぶつかりそうになったり、面と向かって舌打ちをされるなど、ちょっ
と失礼な態度を取られたりすると、
そんな些細(ささい)なことでも、「ムッ」とした気分になり、「愛する
こと」が出来なくなってしまいます。
あるいは過去に、
他人から嫌(いや)な目に遭(あ)わされたり、恥(はじ)をかかされ
たこと。
いろいろな過失や、間違ったことや、失敗などをして、後悔(こうかい)
したり、悔(くや)しい気持ちになったり、恥ずかしい思いをしたこと。
そんな過去のことを、ふと思い出したときに、「アーッ!」と心の中で
叫(さけ)んでしまい、
「愛すること」が出来なくなってしまうのです。
* * * * *
以上、ここまで述べてきましたように、
「愛すれば幸福」というのが真理であることを、口で言うのは簡単です。
が、しかし、
その真理(つまり愛すること)を、継続して実行するのは、ものすごく
難しいのです。
このような理由で、私は最近、
「言うは易(やす)し」という言葉を、心の底から思い知らされている
次第なのでした。
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