私がなりたいもの 1
2023年12月3日 寺岡克哉
私は、
年齢を重ねてくるにつれて、だんだん「肉体の維持(メンテナンス)」が
面倒(めんどう)になってきました。
つまり、
買い物に行くこと、料理をすること、風呂に入ること、掃除や洗濯をする
こと、病院に通うことなどが、
日に日に面倒になってきたのです。
おそらく、もっと年齢を重ねれば、
ご飯を食べることや、トイレに行くことでさえも、一人では簡単にできな
くなくなり、面倒になって行くのだろうと思います。
このように、私は年齢を重ねるごとに、
「肉体の存在」を邪魔(じゃま)に感じるように、なって来たわけです。
* * * * *
それで私は、これは単なる空想に過ぎないのですが、
なれるものならば、摂食(せっしょく)、排泄(はいせつ)、睡眠などの
「肉体の縛(しば)り」から解放されて、
自我意識だけの存在、いわゆる「精神生命体」になりたいものだと、思う
ようになってきました。
そしてそれは、私だけの願いではなく、
たとえば肉体が死んでも、霊魂(れいこん)として自我意識を存在させ
続けたいというのは、
人類の多くにとっての「願い」なのだと思っています。
と、いうのは
天国や地獄などの「死後の世界」の存在が、世界中の多くの人々の間で、
根強く信じられているからです。
その理由は恐らく、上で述べたような「人類の願い」が、背景にあるのだ
ろうと思います。
* * * * *
ところで人類は、たとえば、
馬よりも速く走ること(自動車)、空を飛ぶこと(飛行機)、宇宙へ行く
こと(宇宙船)、音を保存すること(録音機)、遠く離れた人と会話をする
こと(電話)など、
それまでは空想に過ぎなかった様々な「願い」を、ほんとうに実現してき
ました。
なので、もしかしたら、そう遠くない未来に、
自我意識を、たとえば電子回路などに移植するような技術が開発されて、
肉体が死んでも「自我意識の存続」が出来るようになるかも知れません。
しかしそれは、
電子回路などの「ハードウエア」が存在するので、やはりメンテナンス
が必要であり、
「私がなりたいもの」である「精神生命体」とは、少し異なっています。
しかしながら、このような方法であるならば、
いつか人類は、「肉体から解放された自我意識の存続」を、実現するよ
うな気がしています。
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