ゆったりと落ちついた心   2004年4月18日 寺岡克哉


 ここのところ世界情勢の緊張が高まり、このままでは日本も、ズルズルとテロや
戦争に巻き込まれて行くのではと言うような、一抹の不安を感じなくもありません。
 しかし私は、このような時だからこそ、「ゆったりと落ちついた心」を保つこと
が、とても大切だと考えています。


 というのは、自分の個人的な怒りや憎しみ、恨み、妬み、ストレスなどが、他国に
対する怒りや憎しみにすり替わってしまうことを、私は恐れているからです。
 そしてまた、普段から自分が抱えている不安や焦燥が、それが全くの個人的な
問題であるにもかかわらず、社会的な不安と共鳴して増幅されてしまうことも心配
です。
 今は、「ゆったりと落ちついた心」を努めて守ることが、いろいろな意味で本当に
大切になっていると思います。

 ところで、「ゆったりと落ちついた心」を保つためには、恐れ、不安、焦燥、怒り、
憎悪などを煽り立てるような「過激なマスコミ報道」から、すこし距離を置くのが最
善の策かと思います。
 必要な情報は、冷静な報道を心がけているメディアから得るようにするのです。
マスコミで得られる情報としての、質と量はそれで十分です。
 あとはそれ以上の報道を見ても、情報の質が高くなるわけではなく、必要な情報
が増えるわけでもありません。ただ無意味に感情だけが煽り立てられて、イライラ
するだけです。

 そして1日に30分から1時間ぐらいは、外をゆっくりと散歩して、大空を見上げた
り、小鳥のさえずりを聞いたり、花壇の花を見たり、風にゆれる木々のざわめきを
聞いたり、風の肌触りを楽しんだりするのです。
 お風呂に入ってのんびりしたり、静かな部屋で座禅を組んで瞑想をしたりするの
も良いかもしれません。
 そうすると、それがいま自分の置かれている「本当の現実」であり、マスコミで騒
がれているのは、自分にとってはあくまでも「仮想の現実」であることが、再認識で
きるのです。

 自分の置かれている「本当の現実」は、けっこう静かで平和なものです。
 そしてまた、「本当の現実」において、自分の生命をいちばん脅かしているのは、
せいぜい酒やタバコや、あるいは交通事故ぐらいのものです。(エッセイ61参照)
 それをしっかりと、噛みしめながら実感するのです。

 これは別に、世界の実情を見ないようにして、無視をしようというのではありませ
ん。また、社会に対して無責任になることでもありません。
 私が言いたいのは、「さまざまな情報に心が振り回されて、感情的にならない
ようにしよう!」
と、いうことなのです。
 マスコミの作り出した雰囲気に飲み込まれたり、押し流されたりしないようにする
のです。
 あくまでも落ちついて冷静に、事の成り行きを正確に見定め、理性的な判断をす
るように努めるのです。
 自分にとっての「本当の現実」を、地に足をつけてしっかりと把握するのです。

 ところで、「ゆったりと落ちついた心を保つ」というのは、ただ「ボケーッ」として何も
考えず、フワフワと心を安楽にしていることではありません。
 どちらかと言えば、腹や肝(きも)をしっかりと据(す)えて、「ちょっとやそっとのこと
では心を動揺させないぞ!」というような、覚悟をきめることに近いのです。
 つまり、意識的に努力をして、心の安定を努めて守るということなのです。

 たしかに社会が平穏なときは、とくに努力をしなくても「ゆったりと落ちついた心」
を保つことができます。(個人的な悩みを抱えていれば話はべつですが・・・)
 しかし社会の緊張や不安が高まっているときは、かなり意識して努力をしないと、
「ゆったりと落ちついた心」を保つことが難しいのです。

 一人一人の各自が「ゆったりと落ちついた心」を保つことは、社会の緊張や不安
が高まれば高まるほど、大切になり重要になります。
 そしてそれは、一人一人の各自がいつでもどこでも実践することのできる、「社会
に対する本当に責任のある行動」のように私は思うのです。



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