上善は水のごとし
                             2023年9月10日 寺岡克哉


 前回は、「荘子(そうし)」の言葉で、つよく印象に残っている
ものを紹介しましたが、

 今回は、

 「老子(ろうし:注1)」の言葉で、いちばん印象に残っている
ものを、紹介したいと思います。


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注1 老子(ろうし):

 紀元前571年生?~紀元前471年没?

 中国の春秋時代の哲学者で、道教の始祖。
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 さて、

 私が「老子」という本(老子道徳経)を読んで、いちばん印象に
残ったのは、

 以下に挙げる、「上善(じょうぜん)は水の如(ごと)し」という
話です。


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 最高のまことの善とは、たとえば水のはたらきのようなもので
ある。

 水は万物の成長をりっぱに助けて、しかも競(きそ)い争うことが
なく、多くの人がさげすむ低い場所にとどまっている。

 そこで、「道(注2)のはたらきにも近いのだ。

 住居としては土地の上が善(よ)く、
 心のはたらきとしては奥深いのが善く、
 人との交わりでは情け深いのが善く、
 ことばでは信義を守るのが善く、
 政治としては平和に治(おさ)まるのが善く、
 事業としては有能なのが善く、
 行動としては時にかなっているのが善い。

 すべて、水を模範(もはん)として争わないでいるのが、善い
のだ。

 そもそも、競い争うようなことをしないからこそ、まちがいもない
のだ。


注2 道:
 老子のいう「道」とは、人としての生きる道という意味だけでな
く、宇宙自然をもあわせつらぬく、唯一(ゆいいつ)絶対で根源的
な究極の原理のことです。
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 私は、初めて上の話を読んだとき、

 ほんとうに心から、ものすごく感動してしまいました。



 なぜなら水は、

 すべての生命にとって、絶対に必要不可欠なものであり、

 もしも水が無ければ、どんな生命も、絶対に生きることができ
ません。

 このように水は、すべての生命を根底から支えているのです。



 しかし、それなのに水は、

 驕(おご)り高ぶることがなく、低い所に留まり、恩着せがま
しくもありません。



 このような「水の働き」については、

 ほんとうに、見習(みなら)うべきものがあると私も思います。


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 しかし、老子は触れていませんが、

 ときとして水は、大雨による洪水や、地震による津波などの、

 「大災害」をもたらすことがあります。



 このように水は、

 ひとたび猛威(もうい)を振(ふ)るってしまったら、

 ものすごく恐ろしい面も存在することは、まちがいないのです。



 なので、「上善は水の如し」という上の話は、

 「水の働き」の一面しか、捉(とら)えていないと言えるでしょ
う。



 しかし、だからといって私は、

 老子の「教え」を否定するつもりは、全くありません。


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 ちなみに、

 「上善は水の如し」という言葉を、私が初めて知ったのは

 「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」という、「酒の銘柄」
によってでした。



 「上善如水」は、私がものすごく大好きな酒で、

 正月や誕生日のときには、必ず飲んでいたほどです。



 その後、

 「上善は水の如し」というのが、老子の言葉であることを知り、

 それが、老子という本(老子道徳経)を読む「きっかけ」に
なった次第です。



 しかしながら現在は、

 心臓病を患(わずら)ってしまい、まったくお酒が飲めなく
なりました。

 「もう、上善如水が飲めない!」と思うと、すごく残念であり、

 何となく寂(さみ)しさも感じてしまうのでした。



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