よく人を愛し、よく人を憎む
                             2023年8月20日 寺岡克哉


 前回は、キリストの「敵を愛しなさい」という言葉に対する、
私の考えを述べましたが、

 この言葉と並行(へいこう)して私は、孔子の以下の言葉も、
ずっと心にとめていました。


-----------------------------
 子曰わく、惟仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む。

 子(し)曰(のたま)わく、惟(ただ)仁者(じんしゃ)のみ能(よ)く
人を好み、能く人を悪(にく)む。


 口語訳

 孔子(こうし)先生がおっしゃった、ただ思いやりの心を持った人
だけが、先入観なく正しく人を愛し、正しく人を憎むことができる。
-----------------------------



 上の孔子の言葉にある、仁者の「仁(じん)」とは、

 キリストが説いた愛、釈迦が説いた慈悲にならぶ、孔子が説いた
愛の概念で、

 自他のへだてをおかず、一切のものに対して、親しみ、いつくしみ、
なさけぶかくある、思いやりの心を言います。


            * * * * *


 ところで、

 私は当初、キリストの「敵を愛しなさい」という教えに傾注(けい
ちゅう)しており、そのように努力もしていたので、

 孔子の「惟仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む」という言葉に
たいして、すこし反感を持っていました。



 と、いうのは、本当の仁者ならば、

 つまり本当に、自他のへだてをおかず、一切のものに対して、
親しみ、いつくしみ、なさけぶかくあり、思いやりの心がある人
ならば、

 すべての人間を愛するのみで、人を憎む訳がないと、私は考え
ていたからです。



 しかし、いま現在の私は、

 キリストが言うような「敵を愛すること」は、人間にとって、実現
不可能な境地であると思えてならず、

 孔子の「惟仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む」という方が、

 人間にとって実現可能な境地であり、人間に対して思いやり
のある、優しい言葉のように感じています。



 たとえ、どんなに優しい人間でも、人を憎んでしまうことが、
どうしてもあるでしょう。

 が、しかしそれは、

 人間として生きているならば当然であり、否定することの出来
ない、人間としての現実なのです。



 孔子は、そのような人間性を認めた上で、

 どうしても人を憎んでしまうのなら、私心のない公平な心で、
正しく人を憎むべきであり、

 それが出来れば、人間として十分に優れているのだと、説い
ているように私には思えるのです。


           * * * * *


 以上、ここまでの話をまとめますと、

 「敵を愛しなさい」という、キリストの教えは、

 人間にとって、あまりにも厳しすぎるように、私には思えてなり
ません。



 しかし一方、それに対して、

 「正しく人を愛し、正しく人を憎みなさい」という孔子の教えは、

 より人間性に寄り添(そ)った、思いやりと優しさがあるように、

 私には感じられる次第です。



      目次へ        トップページへ