敵を愛するのは不可能
2023年8月13日 寺岡克哉
キリスト教では「敵を愛しなさい!」と教えていますが、それは、
新約聖書の以下の記述によるものです。
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新約聖書(新共同訳) マタイによる福音書 5章43~48節
あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じ
られている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のため
に祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇(のぼ)らせ、正しい者にも正しく
ない者にも雨を降(ふ)らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな
報(むく)いがあろうか。徴税人(ちょうぜいにん)でも、同じことを
しているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶(あいさつ)したところで、どんな優れた
ことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているでは
ないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなた
がたも完全な者となりなさい。
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ところで・・・
私はこれまで、ほんとうに敵を愛することが出来るのかどうか、
ものすごく疑問に思って来ました。
たとえば、
自分をバカにした人間、自分を非難した人間、自分を騙(だま)し
た人間、自分を陥(おとしい)れた人間、自分をいじめた人間、自分
に暴行を加えた人間、自分を殺そうとした人間・・・
そんな人間を、ほんとうに心から愛することなど出来るのか?
あるいは、
自分の家族をいじめた人間、自分の家族に暴行を加えた人間、
自分の家族を殺した人間・・・
そんな人間を、ほんとうに心から愛することなど出来るのか?
と、いうような疑問を、私は長い間かかえて来たわけです。
* * * * *
それで、私はこれまで、
ほんとうに敵を愛することが出来るのかどうか、心の中で思考
実験を繰りかえして来ました。
つまり私は、
テレビの報道で、殺人事件や、いじめの報道がなされるたびに、
その加害者を愛そうとする試(こころ)みをして来たのです。
上で挙げた新約聖書の記述を知ってから、
私はもう何十年も、そのような「敵を愛する試み」というか、「敵を
愛する訓練」というか、「敵を愛する努力」を繰りかえしてきました。
しかし、その結果・・・
どんなに努力しても、私には、どうしても敵を愛することが出来ま
せんでした。
そして、
「敵を愛することなど、絶対に不可能だ!」
「もしも、敵を心から愛することが出来たなら、それはもはや、
精神が異常なのに違いない」
という結論に至(いた)ったのです。
* * * * *
私は思うのですが、
犯罪被害者の方々や、いじめの被害に遭(あ)った方々に対して、
「敵を愛しなさい!」などとは、とてもじゃないけれど、私は言うこと
ができません。
加害者に対する復讐を思いとどまるだけで、ものすごく立派なこと
ですし、それで十分すぎるほどです。
「敵を愛しなさい!」というのは、
おそらく人間にとって、到達不可能な境地なのだと私は思います。
しかしながら、それを念頭に置くことによって、
敵を憎むのを止(や)められないまでも、あるいは、敵を赦(ゆる)す
ことができないまでも、
敵に対する復讐を思いとどまり、復讐の連鎖を止めることが出来た
なら、
それこそが、ものすごく素晴らしいことなのだと、私は考えている次第
です。
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