真の大人
                             2023年7月30日 寺岡克哉


 前回は「幼稚な大人」について書きましたが、それでは、その反対
に、

 私が尊敬する大人、つまり「真の大人」というのは、一体どんな人間
なのか、

 今回は、それについて書いてみたいと思います。


           * * * * *


 まず、私が尊敬する「真の大人」として、

 釈迦、キリスト、孔子、老子、荘子を挙げたいと思います。



 これらの人々は、歴史上たしかに存在した人物ではありますが、

 すでに「神格化」された存在であり、人間として扱うことに異論を
唱(とな)える人が多いかもしれません。



 また、

 釈迦、キリスト、孔子、老子、荘子の言葉として残されているもの
は、本人が直接に発した言葉ではなく、

 後世の弟子たちによって伝えられ、編纂(へんさん)されたもの
です。

 なので私は、それが少し残念であり、ちょっと寂(さみ)しい気持ち
になってしまいます。



 しかし、そうではありますが、

 釈迦、キリスト、孔子、老子、荘子の思想を、後世に伝えてくれた
人々。

 つまり、

 釈迦、キリスト、孔子、老子、荘子を、2000年以上の時代を経て
私に会わせてくれた人々には、ものすごく感謝しています。



 ところで、

 釈迦、キリスト、孔子、老子、荘子の、どんな所に私が感銘を受け、
尊敬するのかを書こうとすれば、限(きり)がなくなってしまいます。

 なので、ここでは、

 私が感銘を受けた以下の書籍を紹介することに、留めておきたい
と思います。



 釈迦:  原始仏教 その思想と生活 中村元著 NHKブックス

 キリスト:  新約聖書 新共同訳 日本聖書教会

 孔子:  論語 金谷治訳注 岩波文庫

 老子:  老子 無知無欲のすすめ 金谷治著 講談社学術文庫

 荘子:  荘子 第一冊~四冊 金谷治訳注 岩波文庫


           * * * * *


 つぎに、

 私が実際に会ったことは無いけれど、本人の直接の言葉(本人
の著作)が残されている人のなかで、私が尊敬する「真の大人」と
して、

 トルストイ、ダライ・ラマ14世、マザー・テレサを挙げたいと思い
ます。



 しかしながら、これらの人々についても、

 どんな所に私が感銘を受け、尊敬するのかを書くと、限が無く
なってしまうので、

 ここでは、以下の書籍の紹介に留めておきたいと思います。



 トルストイ:  人生論 原卓也訳 新潮文庫

 ダライ・ラマ14世:  ダライ・ラマ自伝 山際素男訳 文春文庫

 マザー・テレサ:  生命あるすべてのものに 講談社現代新書


           * * * * *


 さて、つぎに、

 私が実際に会い、一緒に過ごしたことのある人物のなかで、いち
ばん尊敬する人として、

 丹生潔(にう・きよし 1925~2017)先生を挙げたいと思います。



 丹生先生は、かつて私が在籍していた研究室の名誉教授で、素粒
子物理学の研究を行ってきた方であり、

 ノーベル賞を超えた、「超ノーベル賞級」の科学者だと、私が心の底
から思っている人です。



 どうして私が、そのように思っているかというと、

 1974年に、サミュエル・ティンと、バートン・リヒターという2人の
科学者が、
 「チャームクォーク(注1)を含む素粒子」を発見して、ノーベル賞
を受賞しましたが、

 丹生先生は、それより3年も早い1971年に、チャームクォーク
を含む素粒子を、すでに発見していたからです(注2)


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注1:チャームクォーク

 陽子や中性子などの素粒子は、さらに小さな(基本的な)「クォーク」
という粒子から出来ていますが、このクォークには、
 アップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォーク、チャームクォー
ク、ビューティークォーク、トップクォークの、6種類があります。

 1970年代の初頭では、アップ、ダウン、ストレンジの3種類の
クォークしか知られておらず、
 第4のクォークである「チャーム」の発見は、素粒子物理学の世界
において、ものすごく画期的な出来事でした。


注2:

 丹生先生たちの研究グループは、チャームクォークを含む素粒子
の発見について、1971年の国際学会で発表しています。

 しかしながら、人工的な「加速器」ではなく、自然の「宇宙線」による
実験であり、また、見つかった事例も1例しか無かったため、当時の
研究者たちを納得させるまでには至りませんでした。

 が、しかし現在では、「丹生先生が、世界で最初のチャームクォーク
の発見者である」という認識が、素粒子物理学の分野で定着していま
す。
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 つまり、

 丹生先生よりも3年遅れた研究が、ノーベル賞を受賞したのです。

 だから私は、丹生先生が「超ノーベル賞級」の科学者であると、
心の底から思っていたわけで、

 それは、いま現在でも変わらずに、私はそのように思っています。



 ところで、

 そのようなすごい先生が、定年を迎えて教授職を辞(じ)したとき、

 大学院の研究生になる手続きをしたそうです。

 つまり、もういちど学生の身分にもどってまでも、さらに研究を続け
ようとしたわけです。

 それを知った大学側は、「そこまで研究を続けたいのでしたら、どうぞ
続けてください」ということで、すぐに丹生先生を「名誉教授」に任命し
たそうです。



 また、これは私が間近で見ていたのですが、

 研究室に入ったばかりの、まだ大学院生にもなっていない学部の
4年生が、「こんな理論を考えてみました」と、研究室で発表しました。

 そうしたら、それを聞いていた丹生先生が、発表の後にその4年生
に近づいて行き、

 「ちょっとその考え方が分からなかったのですが、もうすこし詳しく
教えてくれませんか」と、丁寧語で教えを請(こ)うたのでした。



 このように、

 丹生先生は「超ノーベル賞級」の科学者であるにもかかわらず、
決して威張(いば)ることのない人でした。

 そして、

 学生の身分になってまでも研究を続けようとしたり、分からないこと
があれば学部の4年生にも教えてもらおうとしたり、

 ほんとうに、「研究」というものに対して真摯(しんし)で謙虚な姿勢
を貫(つらぬ)いた方でした。



 私は、その姿に、震(ふる)えがくるほど痺(しび)れてしまい、

 「ほんとうに尊敬する人間とは、こういう人なのだ!」と、心の底
から思ったものです。



 ちなみに丹生先生は、私が名古屋大学の研究室を去るころには、
大学院生と同じ部屋で、私の隣りに机を並べていました。

 このようなすごい方と、一時(いっとき)でも机を並べることができ
て、その背中を見ることが出来たのは、

 これまで私の人生においても、他に例がないほど、たいへん光栄
なことでした。

 そして、その体験は、「私の人生における財産」となっています。


           * * * * *


 以上、

 私が尊敬できる大人、つまり私が「真の大人」だと思える人々を
挙げてみました。



 ところで・・・ 

 多くの一般の人々にとって、ここで挙げたような「真の大人」になる
のは、至難(しなん)のことでしょう。

 そして私自信も、上で挙げたような「真の大人」に自分がなれるとは、
とてもじゃないけれど、まったく思っていません。


 しかし、そうであっても、

 私が生きている間は、「真の大人」に一歩でも近づけるよう、死ぬま
で精進して行きたいと思っている次第です。



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