幼稚な大人
                             2023年7月23日 寺岡克哉


 前回で、私が60歳ぐらいの年齢になると、

 大多数の人間は、高齢になっても、かなり幼稚(ようち)だと
ということが、

 すぐに透(す)けて見えるようになったと書きました。



 今回は、

 そのような、(高齢なのに)「幼稚(ようち)な大人(おとな)」という
のは、

 一体どんな人間なのかについて、すこし説明したいと思いました。


           * * * * *


 さっそくですが、

 「この人は幼稚な大人だ!」と、私が見透(みす)かしてしまう
人間の特徴について、挙げて行きましょう。



●話し方が上(うわ)目線。

 初対面なのに、「お前」と呼んだり、名前を呼び捨てにするなど、
相手を目下にした話し方をする人間。

 このような人間は、相手と対等に向き合おうとする度量がなく、
精神的に未熟で幼稚です。



●相手を見下すような顔つきや態度。

 このような人間も、一見すると偉(えら)そうですが、じつは相手と
対等に向き合おうとする度量がなく、精神的に未熟で幼稚です。



●とにかく、すぐに「マウント」を取ろうとする。

 顔が不細工(ぶさいく)とか、太っているとか、のろまとか、頭が
悪いとか、学歴が低いとか、出身地が田舎(いなか)だとか、

 何がなんでも相手に対して難癖(なんくせ)をつけて、すぐに「マウ
ント」を取ろうとする人間。

 このような人間は、とにかく相手の上に立たなければ我慢ができ
ない人間であり、精神的に未熟で幼稚です。



●反論されると大声になる。

 会話をしていて、自分が反論されそうになると、すぐ大声になって
誤魔化そうとする人間。

 このような人間は、相手の意見を真摯(しんし)に聞き入れる度量
がなく、精神的に未熟で幼稚です。



●よく「バカ」を連発する。

 自分の主張していることを、相手が理解できなかったり、相手が
認めなれば、すぐに「お前はバカだ!」と連発する人間。

 このような人間は、自分の考えを分かりやすく丁寧に説明したり、
根気づよく説得しようとするような、そんな相手への思いやりがなく、
精神的に未熟で幼稚です。



●若者と張り合う

 「まだまだ若い者には負けない!」などと言って、若者と同じレベ
ルで張り合おうとする人間。

 そもそも人生経験が長い高齢者は、人生観において若者に負け
るわけがありません。

 高齢なのに若者と張り合おうとする人間は、年齢相応の人生観が
構築できておらず、未熟で幼稚なのです。



●人生に対する深い洞察(どうさつ)がない。

 たとえば、釈迦やキリスト、孔子、老子、荘子などの思想、ある
いは有名な文学作品などに触れたことがなく、

 金儲けや、酒、ギャンブル、異性などにしか興味を示さない人間。



●世界観に広さがない。

 宇宙の成り立ちや、地球の大自然、生態系、生命進化、人類
の歴史、そして、さまざまな学問や文化などに興味を示すことが
なく、

 ひたすら現在の流行しか追いかけないような人間。



●価値観に広さがない。

 多様な価値観を、認めることも理解しようともせず、ただただ自分
の価値観を強引(ごういん)に押し付けるような人間。

 極端な例として、過激派組織の人間や、過激な宗教団体の人間、
強引な指導者(たとえばロシアのプーチン大統領)などが挙げられ
ます。


            * * * * *


 以上、

 私が「幼稚な大人」だと思う人間の特徴について、挙げてみま
した。



 ところで・・・ 

 日本の社会では、昔から「年功序列」が重く用いられており、

 ただ年をとっているだけで、若者から尊敬されるのが当たり前
だと思っている人が多いことでしょう。



 しかし、そんな人は、

 仏教の経典であるダンマパダ(法句経:ほっくぎょう)の中に
書かれている、

 以下の言葉を知って恥じ入るべきです。


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 ブッダの真理の言葉(法句経、ダンマパダ)第19章 (岩波文庫
 中村 元訳 p46)

260節
 頭髪が白くなったからとて(長老)なのではない。ただ年をとった
だけならば「空(むな)しく老いぼれた人」と言われる。

261節
 誠(まこと)あり、徳あり、慈(いつく)しみがあって、傷(そこな)わず、
つつしみあり、みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人
こそ「長老」と呼ばれる。
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 これから将来、少子高齢化がますます進んでいき、

 ただ歳をとっているだけで、若者に対して尊大な態度をとる
ような人間は、

 ますます社会から顰蹙(ひんしゅく)を買うようになって行く
でしょう。



 そして私も、

 上のダンマパダにある「空しく老いぼれた人」にならないよう、

 つまり、私が言うところの「幼稚な大人」にならないように、

 気を引き締(し)めながら生きて行きたいと、思っている次第です。



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