私の神 10
                              2023年7月2日 寺岡克哉


 最近、

 「私の神」の定義に、重大な欠陥(けっかん)のあることが分かり
ました


 今回は、そのことについて書きたいと思います。


          * * * * *


 それでは、まず最初に、

 「私の神」の定義とは、一体どんなものだったのかを、思い出して
みましょう。


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        (エッセイ1039からの抜粋)


 「私の神」とは、「この世を、この様にしているもの」である。

 と、定義するのが、いま現在において、いちばん妥当ではない
かと考えています。



 ここで、

 「私の神」というのは、私の考える神、私の感じる神、私の求め
る神のことです。

 また、

 「この世」とは、人間や人類社会、生命、生態系、地球、太陽系
や銀河系を含めた、宇宙全体のことをいいます。

 そして、

 「この世を、この様にしているもの」というのには、つぎの三つの
意味が含まれています。

 1.この世を、この様に「存在」させているもの。

 2.この世を、この様な「状態」にしているもの。

 3.この世を、この様な「状況」にしているもの。



 つまり、

 私の考える神、私の感じる神、私の求める神というのは、

 人間や人類社会、生命、生態系、地球、太陽系や銀河系を
含めた宇宙全体を、

 この様に存在させ、この様な状態にし、この様な状況にして
いるものです。


           * * * * *


 つぎに、

 「私の神」について、もうすこし具体的に書いてみましょう。


 たとえば・・・ 

 「私の神」とは、ビッグバンを起こさせて、この宇宙を誕生させた
もの。

 「私の神」とは、ビッグバンのエネルギーから、水素やヘリウム
などの物質を作り出したもの。

 「私の神」とは、この宇宙に、恒星や惑星そして地球を作った
もの。

 「私の神」とは、この地球に生命を誕生させ、それを人間にまで
進化させたもの。

 「私の神」とは、私たち人間に、自我意識や思考能力や感情を
持たせたもの。

 「私の神」とは、私たち人間を、愛すれば幸福になり、憎んだり
怒れば不幸になるようにしたもの。

 「私の神」とは、さまざまな自然法則や、さまざまな因果関係や、
さまざまな偶然や必然を、司(つかさど)るもの。



 具体例を上げれば、まだまだ限(きり)がありませんが、

 それら全てを、ひっくるめたものが、「私の神」なのです。


         (エッセイ1039からの抜粋終了)
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 以上が、「私の神」の定義でしたが、

 この定義に、重大な欠陥があることに気がつきました。



 つまり、

 「この世を、この様にしているもの」という定義では、

 今ここで生きている人間たちも、この世をこの様にしている
ものの一部であるから、

 あなたも私も、さらには極悪非道(ごくあくひどう)なロシアの
プーチン大統領でさえも、「私の神」になってしまいます。

 これではさすがに、重大な欠陥であると言わざるを得ません。



 そこで、

 「私の神」とは、「この世を、この様にしているもの」である
(ただし、生きている人間を除く)。

 と、いうように、ここで定義を修正したいと思います。


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 ところで、上のように修正した定義では、

 生きている人間を「私の神」から除外(生きている人間の神格化
を否定)していますが、

 それならば、

 「すでに死んだ人間は ”私の神” なのか?」という、疑問が残る
かと思います。



 この疑問に対しては、たとえば一般的にも、

 釈迦、キリスト、孔子などの偉人は、生きている時には、まぎれも
なく人間であったけれど、

 死後に、後世の人々によって神格化されています。



 私も、この例に倣(なら)って、

 この世(この場合は人類社会)を、この様にしていることに、もの
すごく大きな貢献をした人物。

 そして、その死後1000年以上経ってもなお、人類社会に大きな
影響を与え続けているような人物に対しては、

 「私の神の一部」として扱っても良いのではないかと、今のところは
考えています。



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