「諦める」ということ
2023年6月18日 寺岡克哉
私は最近、
「諦(あきら)める」ということも、幸福になるためには、必要では
ないかと考えるようになりました。
つまり、これまでの私は、
いろいろなことに対して、なかなか諦めることができず、
そのために、ずいぶんと苦しい思いをして、不幸になっていた
ことに気がついたのです。
今回は、そのことについて、書いてみたいと思います。
* * * * *
まず第一に、以前の私は
「自分で決めた予定を、必ず実行する!」ということに対して、
なかなか諦めることが出来ませんでした。
たとえば、
ものすごく卑近(ひきん)な例で申し訳ありませんが、
「明日の午後6時に風呂に入ろう!」という予定を、私が決定した
としましょう。
しかし、
その日になって、急な用事が入り、このままでは、午後6時には
風呂に入ることが出来ないとします。
そうすると、以前の私ならば、
何がなんでも、午後6時に風呂に入るために、急に入った用事を、
大急ぎで終わらせようとしていました。
そのため、その用事が終わるまで、ずっと焦(あせ)ってイライラ
していたのです。
しかしながら、最近の私は、
「風呂に入る時間など、午後6時ではなく、7時や8時になっても
良いではないか」
「あるいは、もっと遅くなってしまったら、今日風呂に入らなくたっ
て、明日にすれば良いではないか」
と、いうように、最初に決めた予定を「諦める」ことにしています。
そうすると、
風呂の予定を狂わすような、急な用事が入っても、焦ってイライラ
することが無くなったのです。
そして、その用事に集中して取り組むことが、出来るようになりま
した。
ところで・・・ 以前の私は、風呂に入る時間だけでなく、
起床、歯磨き、朝食、昼食、夕食、掃除、洗濯、買い物、仕事、
娯楽、就寝など、
ありとあらゆる予定に対して、時間通りに行かないと、満足でき
ない性格でした。
そのため、
毎日毎日、朝から晩まで一日中、何かと焦ってイライラしていた
わけです。
しかも、一日が終わって眠るときでさえ、「早く眠りにつかなけれ
ば、明日の予定に差し支え(さしつかえ)てしまう」と思い、焦って
イライラしていたのです。
このような焦りやイライラ、つまり苦しみによる不幸は、
さほど重要な予定でないにもかかわらず、何でもかんでも予定
通りにしようと「執着」しすぎたために、起こっていたのでしょう。
私は、そのことに気がついたとき、
「諦めるとは、執着を捨て去るという意味も、あるのではないか」
「幸福になるためには、執着を捨てて諦めることも、必要なので
はないか」
と、考えるようになって行ったのです。
* * * * *
そして第二に、以前の私は、
「過去の失敗」にたいして、いつまでもクヨクヨと後悔し、スパッ
と諦めきれずにいました。
それこそ、何十年経っても、後悔の念が消え去らないのです。
しかもそれは、重大な失敗や過失という訳ではなく、たとえば、
大勢の前で、ちょっと失敗をして恥(はじ)をかいたとか、
ちょっと知人にからかわれて、バカにされたとか、
ちょっと言い方が悪くて、知人と口論になったとか、
そんな、後になって考えればどうでもいいことなのに、
何十年経った後でも、急に思い出して「あーっ!」と心の中で
叫(さけ)んでしまうほど、後悔の念に駆(か)られてしまうのです。
このようなことが起こるのは、さほど大きな失敗でないにもかか
わらず、
何とかして「過去の失敗を無かったこと」にしようと、諦めきれな
いからだと、私は最近になって気がつきました。
つまり、「あのとき、こうすれば良かったのに!」と、過去の失敗
に対して、いつまでもクヨクヨと執着していたわけです。
だから最近の私は、過去の失敗を急に思い出したときに、
「過去を変えて、失敗を無かったことにするのは、絶対に不可能
だ!」
「今ではもう、どうすることも出来ないのだ!」
「それをいつまでもクヨクヨと後悔するのは、無意味なことだ!」
と、諦めるようにしています。
そうすると、「あーっ!」と口に出してしまいそうな心の叫びが、
起こらないようになったのです。
つまり、後悔の念が去らないことによる「苦しみ」から解放され
て、幸福になったわけです。
* * * * *
以上、ここまで書いてきて、ふと私は思ったのですが、
なぜ私は、自分の決めた予定や、過去の失敗にたいして、
こんなにも執着していたのでしょう?
その原因の一つとして、
「自分で決めたことは、必ず実行しろ!」とか、
「どんなことでも、簡単に直(す)ぐ諦めるな!」
と、いうような教育や、社会の風潮があったような気がします。
そう言えば・・・ 過労死や過労自殺が起こるのも、
「死ぬまで努力しろ! 死んでも諦めるな!」と、いうような、
もしも、そんな圧力や洗脳が企業社会に蔓延(はびこ)っている
ならば、それが一つの原因になっているのでは、ないでしょうか。
そんなことを思ったとき、私だけでなく世間一般の人々にとっても、
「幸福になるためには ”諦めること” も必要だ!」と、私は考える
ようになりました。
しかしながら、
何事(なにごと)も簡単に直ぐ諦めてしまっては、何事も成し得な
いのも事実です。
だから大切なのは、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言われるように、努力と諦めの
バランスなのだと思います。
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