負の競争原理 2004年4月4日 寺岡克哉
「競争原理が、物事を進歩発展させる!」という考え方があります。
たとえば、お役所仕事が遅かったり、ムダな公共事業が多かったり、日本の経済
が低迷しているのは、「市場の競争原理が働いていないからだ!」などと、よく言わ
れることがあります。
そして、官庁や大学や企業など、社会のあらゆるところで競争原理を導入し、人々
を競争に駆り立てているように思います。
しかし、競争はすべて、物事を発展させるのでしょうか?
競争は、すべて良い結果を生むのでしょうか?
私は、一概にそうは言えないと思っています。というのは、「競争」によって進歩や
発展を妨げたり、さらには衰退を招くような、「負の競争原理」といえるものが存在
するからです。
今回は、そのことについて少し考えてみたいと思います。
たしかに「競争原理」は、物事を進歩させる原動力になりえます。
「競争心がなければ、向上心も起こるわけがない!」という人が、けっこう多いの
ではないでしょうか。
しかしながら「競争心」と「向上心」は、かならずしも直接的な因果関係でつながっ
ている訳ではないのです。つまり競争心があれば、かならず向上心が育成されると
は限らないのです。
なぜなら人間には、
「他人の足をひっぱってでも勝とう!」とか、
「不正な手段を使ってでも勝とう!」
そしてさらには、
「相手を脅迫してでも勝とう!」とか、
「相手に怪我を負わせてでも勝とう!」
「相手を殺してでも勝とう!」
というような、競争心も存在するからです。
人間は、正当な手段でどうしても勝てなくなると、不正な手段や、卑劣な手段、さら
には暴力的な手段を使ってでも、相手に勝とうとすることが多々あるのです。
たとえば、政治家や役人の汚職、企業の不正、あるいはテロリズムなどは、その
典型的な例です。
また、自分にそれほどの実力がないのに「競争心」だけが増長すれば、自分の
優位さを周りに誇示したいがために、わざと悪いことを行ってしまう場合があると思
うのです。
たとえば、
世間で目立ちたいために、
世間からバカにされたくないために、
世間になめられたくないために、
世間を見返したいために、
自分の惨めさを誤魔化したいために、
・・・ ・・・。
そのような理由で悪いことをしたり、さらには犯罪まで行ってしまう場合が、あるの
ではないでしょうか。
たとえば、非行に走る少年少女たちや、暴走族。あるいは、突然にキレて暴力
をふるったり、理由の分からない通り魔殺人などが、それを示しているように思い
ます。
「競争! 競争! 競争!」と、競争心をあまりにも煽りたて過ぎると、足の引っぱ
り合い、騙し合い、不正の横行などをまねく恐れが十分にあります。
また、世界的な経済競争の激化によって、いわゆる「負け組」を世界中にたくさん
作りだし、貧しい人々をあまりにも虐げれば、テロや犯罪の増加をまねく恐れが大い
にあるのです。
このような「負の競争原理」が働いてしまうと、人間のモラルがどんどん低下し、心
が荒れ果ててしまいます。
厳しい競争によって、人間の心がかならず磨かれるとは限らないのです。
そしてまた、過酷な生存競争が、人類の文明をかならず進歩させるとも、一概に
は言えません。
それは、長期間にわたって紛争や内戦が続いている国々の、教育や文化や経済
の発展が、ほとんど停滞していることから分かります。
人類において、いちばん過酷で激しいな競争は、「戦争」なのです!
競争原理をまるで「神」のように信仰し、それを煽り立てている人たちは、今まで
お話してきたこの「負の競争原理」について、十分に注意を払わなければならない
と思います。
ところで私が考えるに、これからの日本の社会や世界は、
不争の徳。
足るを知る。
過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。
長い人生、そんなに急いでどこへ行く。
マイペース。
スローライフ。
このような価値観を今いちど見なおし、それを世界的に浸透させた方が、人々の
心が安定して平和になるのではないかと思っています。
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