「救い」について 8
2023年5月7日 寺岡克哉
「エッセイ1097」から、「救い」について色々と考えて来ましたが、
今回は、これまで行ってきた考察を簡潔にまとめ、それらの考察
から得られた結論を述べたいと思います。
* * * * *
さて、
「エッセイ1097」から、前回の「エッセイ1103」まで行ってきた
考察をまとめると、以下のようになります。
●「救い」とは、「苦しみ」を無くすることである。
●この「苦しみ」には、まず第一に、飢え、貧困、怪我、病気などが
挙げられるが、これらの苦しみは、科学技術の発達で救うことが
可能である。
●しかし、「自分は存在する価値が無い」とか、「自分には生きる
価値が無い」などと悩んでしまう、科学技術の発達では決して
救うことができない「心の苦しみ」というのも存在する。
●この「心の苦しみ」は、「自分の存在を肯定してくれるもの」を得る
ことによって救われる。
●私は20年間、「自分の存在を肯定してくれるもの」を求め続けて
きた結果、大生命、宇宙の原理、大いなるもの、私の神へと、その
概念が進化してきた。
●それぞれの概念において、進化した部分は以下のようになる。
●「大生命」は、その概念が、地球の生態系だけに閉じていたが、
「宇宙の原理」は、その概念が、宇宙全体にまで拡張された。
●「宇宙の原理」は、その概念が、自然科学の範囲内に納まって
いたが、
「大いなるもの」は、その概念が、自然科学の範囲を超えて、神の
概念に近づいた。
●そして「私の神」に至り、「自分の存在を肯定してくれるもの」が
神であることを、完全に認めることになった。
●「私の神」は、「宗教の神」と違い、個々人の神観を認めるので、
宗派対立や宗教戦争などを引き起こさない。
●上で述べた、大生命、宇宙の原理、大いなるもの、私の神など、
「自分の存在を肯定してくれるもの」の他(ほか)に、「救いに関す
るもの」として、以下がある。
●「愛すれば幸福」という真理は、不幸の苦しみから救われる強力
な指針となる。
が、しかし、「愛すること」は非常に困難であり、私の人生における
最終的で最大の目標となっている。
●「死の存在」は、末期の癌(がん)などで死ぬことが決定しており、
苦しみだけが続くような場合には、「救い」になり得る。
●しかし、死が救いに成りえるからと言っても、死ぬことが決定して
いない若い人たちには、安易に死に逃げることなく、力いっぱい
生きてほしいと願っている。
* * * * *
以上が、
「救い」について、これまで私が考察して来たことです。
そして、それらの考察の結果として、
「救い」とは、「私の神」の存在を認めて、自分の存在を肯定し、
「愛すれば幸福」という真理を実践(じっせん)することである
というのが、いま現在の私が得ている、最も妥当(だとう)な結論に
なります。
また、
(末期の癌など)特殊な状況下においては、「死の存在」が救いに
なり得る場合もあります。
目次へ トップページへ