「救い」について 5
2023年4月16日 寺岡克哉
前々回から、
(1)大生命、(2)宇宙の原理、(3)大いなるもの、(4)私の神に
たいし、
●それぞれの「定義」
●それらが「自分の存在を肯定してくれるもの」である理由
について簡潔にまとめ、どの部分が、どのように進化してきたの
かを、比較検討しています。
それで前回では、(2)の大生命までについて書きました。
今回は、その続きです。
* * * * *
(3)大いなるもの
●大いなるものの定義
「大いなるもの」の定義は、(2)の宇宙の原理と、ほとんど同じです。
つまり「大いなるもの」とは、私たちを存在させている全てのもの、
私たちを生かしている全ての作用や働きであり、
素粒子や原子、宇宙、太陽、地球、生命、そして人間など、この世の
すべてを存在させ、それらの作用や働きを司(つかさど)る根本原理
です。
* * * * *
●大いなるものが「自分の存在を肯定してくれるもの」である理由
これも、(2)の宇宙の原理と、ほとんど同じです。
ビッグバンの発生から、素粒子、原子、銀河系、太陽系、地球、
生命、人類の出現へと、物質と生命の進化が起こらな得れば、
今ここで自分は、生きて存在できませんでした。
このように、
自分は「大いなるもの」によって存在させられ、生かされています。
ゆえに、
大いなるものが「自分の存在を肯定してくれるもの」であると、考え
ざるを得ないわけです。
今ここで、自分が生きて存在していること。
その事実こそ、
大いなるものが「自分の存在を肯定してくれるもの」であることを、
明確に証明しているのです。
* * * * *
●宇宙の原理から進化した部分
上で述べたように、「宇宙の原理」と「大いなるもの」は、内容が
ほとんど同じです。
しかしながら、
「宇宙の原理」という呼び方には、何となく無機的で、無味乾燥で
あり、冷たい感じがしてしまいます。
なので、
「自分の存在を肯定してくれるもの」としては、ちょっと寂しい感じ
が否めませんでした。
しかしそれを、
「大いなるもの」と呼び方を変えたことにより、無味乾燥ではなく、
うるおいがあって、暖かな感じになりました。
そして、
「自分の存在を肯定してくれるもの」として、自分を包み込んで
くれるような、とても安心できる存在であることを、
「宇宙の原理」と呼ぶよりも、さらに良く表現できるようになったと
思います。
ところでまた、
「宇宙の原理」という呼び方には、その概念が、自然科学の
範囲内に納(おさ)まっているというニュアンスがあります。
が、しかし、
「大いなるもの」へと呼び方を変えると、その概念が、自然科学
の範囲を超えて、「神の概念」に近づくというニュアンスが濃くなっ
てきます。
だから当初、自然科学の範囲を超えることに躊躇(ちゅうちょ)
していた私は、
「宇宙の原理」から「大いなるもの」へと呼び方を変えることに
対して、
ものすごく大きな抵抗感があり、かなり思いきった決断が必要
でした。
しかし結局、やはり私の心情としては、
「宇宙の原理」と呼ぶより、「大いなるもの」と呼んだ方が、
「自分の存在を肯定してくれるもの」を表現するのに、より適切
であると思うように、なって行ったのです。
* * * * *
(4)私の神
●「私の神」の定義
「私の神」とは、「この世を、この様にしているもの」であると、
以前に定義しました。
ここで、
「この世」とは、人間や人類社会、生命、生態系、地球、太陽系
や銀河系を含めた、
宇宙全体のことをいいます。
そしてまた、
「この世を、この様にしているもの」というのには、つぎの三つの
意味が含まれています。
1.この世を、この様に「存在」させているもの。
2.この世を、この様な「状態」にしているもの。
3.この世を、この様な「状況」にしているもの。
つまり、「私の神」とは、
人間や人類社会、生命、生態系、地球、太陽系や銀河系を含め
た宇宙全体を、
この様に存在させ、この様な状態にし、この様な状況にしている
ものです。
ちなみに、定義の内容としては、
(2)の宇宙の原理や、(3)の大いなるものと、ほどんど同じです。
が、しかし、
定義が、「この世を、この様にしているもの」という一言に集約され
ており、
定義としては、前者の2つに比べると、より洗練された、スッキリと
したものになったと思います。
* * * * *
申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。
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