「救い」について 3
2023年4月2日 寺岡克哉
前回で私は、
人にも、既存の宗教や新興宗教にも頼らずに、安心できる強固
な「救い」を得るため、
「自分の存在を肯定してくれるもの」を、自分なりに求め続けて
きたことを書きました。
その結果、これまで20年ほどの間に、
大生命、宇宙の原理、大いなるもの、私の神へと、
「自分の存在を肯定してくれるもの」が、だんだん進化してきた
ことも書きました。
今回から、それら、
(1)大生命、(2)宇宙の原理、(3)大いなるもの、(4)私の神に
たいし、
●それぞれの「定義」
●それらが「自分の存在を肯定してくれるもの」である理由
について、なるべく簡潔にまとめ、
どの部分が、どのように進化してきたのかを、分かりやすく比較
して行きたいと思います。
* * * * *
(1)大生命
●大生命の定義
「大生命とは、地球のすべての生命を含む、地球の生態系で
ある」
と、以前に定義しました。
「大生命」は、細菌、プランクトン、昆虫、植物、動物、人間を含め
た、地球のすべての生命で成り立っています。
そして、これらすべての生命は、さまざまな関係で一つにつながり、
「一つの生命維持システム」を作っています。
この、すべての生命で作られた生命維持システムが、「大生命」
なのです。
たとえば・・・ 植物は、二酸化炭素から酸素を作ります。
逆に動物は、酸素を吸って二酸化炭素をだします。
そして動物のだした二酸化炭素は、ふたたび植物に使われます。
このように、酸素と二酸化炭素の関係で、植物と動物はつながっ
ています。
また、「食物連鎖」では、
植物が草食動物に食べられ、草食動物が肉食動物に食べられ
ます。
しかし逆に、動物のフンや死体は、虫や細菌によって分解され、
植物の肥料になります。
このように食物連鎖は、すべての生命を一つに結びつけている
のです。
上で述べたように、
地球上のすべての生命は、さまざまな関係で一つにつながり、
「一つの生命維持システム」として働いています。
そして、この生命維持システムこそが「大生命」なのです。
* * * * *
●大生命が「自分の存在を肯定してくれるもの」である理由
このように、大生命が「一つの生命維持システム」となっている
から、個々の生命も生きて行けるわけです。
そしてこれは、人間についても言えることであり、もちろん「自分」
についても言えることです。
自分は、決して自分一人だけで生きているのではありません。
自分は、「大生命」という生命維持システムに組み込まれること
により、
大生命に受け入れられ、生きることが認められ、生きることを
許されているのです。
つまり、
大生命が「自分の存在を肯定してくれるもの」であるからこそ、
自分は、生きてこの世に存在できるわけです。
たとえば、
今ここで、自分は呼吸をしていますが、自分が窒息死をしない
のは、大生命が酸素を作ってくれるからです。
ちなみに、酸素を作っているのは植物ですが、植物といえども
単独では生きて行けません。
微生物や虫や動物を含めた「生命維持システム」に組み込まれ
ているから、植物も生きて行けるのです。
だから、酸素をつくっているのは「大生命」です。
また、
自分は毎日の食事をしていますが、この毎日の食事も、大生命が
与えてくれます。
米、麦、野菜などの植物、あるいは豚、牛、魚などの動物、これら
すべてが、大生命によって与えられているのです。
このように大生命は、
酸素や食物を自分に与えてくれることによって、自分の存在を
肯定してくれています。
深呼吸を一回するだけで、大生命が「自分の存在を肯定してくれ
るもの」であることが、明確に証明できます。
ご飯を一口食べるだけで、大生命が「自分の存在を肯定してくれ
るもの」であることが、明確に証明できるのです。
* * * * *
ところで懐疑的な人は、
「大生命は、地球の生態系であるというだけで、べつに自分の
存在を肯定してくれるものではない」
と、考えるかも知れません。
しかしながら、
自分が大生命から「排斥された」場合を想像してみて下さい。
大生命から排斥された場所・・・ それは、たとえば宇宙空間です。
そのような場所に自分が置かれた場合、つまり、自分が大生命
から排斥された場合には、
酸素が無いので、自分はすぐに死んでしまいます。
つまり、
大生命が自分を受け入れ、自分の存在を肯定してくれなければ、
自分は絶対に生きられないのです。
ゆえに、
「自分が今ここで生きて存在していること」そのものが、
大生命が「自分の存在を肯定してくれるもの」であることを明確
に証明していると、
考えざるを得ないわけです。
* * * * *
ちなみに、宗教と大生命の違いについてですが、
宗教は「信仰」を必要としますが、大生命は「信仰」を必要としま
せん。
たとえば宗教の神は、それを信仰する者にしか、その存在を
認識することが出来ませんが、
しかし大生命は、「地球のすべての生命を含む、地球の生態系」
として確実に存在しているので、
信仰のあるなしに関係なく、すべての者が、その存在を認識でき
ます。
そして、これこそが、
宗教と大生命の、ぜんぜん違うところであり、大生命の思想は、
決して宗教ではないのです。
* * * * *
申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。
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