松本零士さんが死去
2023年2月26日 寺岡克哉
2月13日・・・
漫画家の松本零士(まつもと・れいじ)さんが、
急性心不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。
85歳でした。
ところで私は、
松本零士さんの漫画やアニメに、とても大きな影響を受けま
した。
なので今回は、
私に大きな影響を与えた松本零士さんの作品を、幾(いく)つ
か思い出しながら、
それらについて、書いてみたいと思います。
* * * * *
まず最初に挙げたいのは、「銀河鉄道999」という作品です。
「エッセイ999」で書きましたが、私はこの作品に大きな影響を
受けました。
私は「銀河鉄道999」を見たことによって、
「永遠に生きることが、人間としての幸福ではない!」
という考え方に、生まれて初めて触れることができたのです。
(詳しくは、「エッセイ999」を、ご覧になってください。)
それから42年もの年月が経ちましたが、
私が60歳になろうとしている、いま現在においても、
「永遠に生きることが、人間としての幸福ではない!」
という考え方は、ますます正しいのだと、確信を持つようになっ
ています。
* * * * *
つぎに、「宇宙戦艦ヤマト」という作品を挙げたいと思います。
この作品のテレビアニメは、私が11歳のときに放送されたので
すが、
そのとき私は、生まれて初めて「放射能」という言葉を知りました。
そして、「放射能というのは危険で恐ろしいものだ!」という印象
が、心に深く刻(きざ)み込まれたのです。
その後、
私は理系の大学や大学院に進んだこともあり、
「放射能」に関する知識を、どんどん深めて行きました。
そして・・・
2011年に発生した、福島原発事故による放射能汚染にたいし、
私は、とても大きな関心と問題意識を持つことになったのです。
しかし、それも、
元をたどれば、「宇宙戦艦ヤマト」の影響がキッカケになっていた
のだと、今では思えてなりません。
* * * * *
3番目に、「宇宙海賊キャプテンハーロック」を挙げたいと思い
ます。
私は、この作品の主人公であるキャプテンハーロックが言った
言葉の中で、
「男には、負けると分かっていても、戦わなければならない時が
ある」
という言葉が、とても強く印象に残っています。
私は、この言葉によって、
人生における様々な困難に立ち向かうときに、ものすごく勇気
をもらったのです。
たとえば、
大学山岳部に所属して、岩登りや、冬山登山に挑戦するとき、
大学の受験や、大学院の受験に挑戦するとき、
大学院の研究室で、新しい研究テーマに挑戦するときなど、
かなりの困難が予想される状況になったとき、私はこの言葉に
よって、たくさんの勇気をもらったのです。
また、それとは別の話として、
テレビアニメのエンディングは、「われらの旅立ち」という歌なの
ですが、
その歌の、3番目の歌詞の最後が、「力いっぱい生きて、満ち
足りて、死のうよ」と、なっています。
そして、これは、
「私の理想の死に方だ!」と、(若い頃より)死期が近くなった
現在でも、つよく確信しており、
私の人生の最後は、そのように迎えたいものだと、つね日頃
から心がけている次第です。
* * * * *
そして4番目に、「戦場まんがシリーズ」を挙げたいと思います。
これは、第二次世界大戦の、さまざまな戦場を舞台にした作品
ですが、
日本という敗戦国ならではの視点で描かれているのが、とても
印象的でした。
つまり、
「悪い敵をやっつけてザマーミロ!」という単純な視点ではなく、
戦争には、怒り、憎しみ、くやしさ、嘆(なげ)き、哀しみ、悩み、
苦しみ、後悔、意地などが、複雑に交錯(こうさく)しており、
「決して戦争はカッコいいものではない!」という視点で描かれて
いるのです。
私は、この作品に触れたことで、
戦争というものに対し、それまでよりも深く考えるようになったの
は確かです。
* * * * *
以上、
私の人生に大きな影響を与えた、松本零士さんの作品について、
その幾(いく)つかを挙げさせて頂きました。
それらの作品を通して、
私を勇気づけ、いろいろと考えさせられ、私の人生を豊かなもの
にして頂いた松本零士さんには、
心からのご冥福を、お祈りします。
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