「悪」は人為的なもの 2
2023年2月19日 寺岡克哉
前回から、
「悪」というのは「人為的なもの(人為的な概念)」であることに
ついて、考察していますが、
とくに前回では、
「殺人」が悪であるというのが、人為的なものであることについ
て書きました。
今回は、殺人以外の、その他の悪も
「人為的なもの」であることについて、考察して行きたいと思い
ます。
* * * * *
さて、殺人だけに限らず、
さまざまな「悪」が人為的なものであることを、明確にして行くため
には、
たとえば人間以外の動物には、「悪の概念」など存在しないこと
を考えてみれば、良いのではないかと思います。
つまり、
「悪」というのは、人間だけにしか存在しないから、「人為的なもの」
だと言えるわけです。
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●暴力
まず、「暴力」という「悪」について考えてみましょう。
たとえば動物の世界では、「弱肉強食」がまかり通っており、
弱い者が、暴力によって殺され、食われてしまうのが当たり前
になっています。
また、
繁殖期に、メスをめぐって、オス同志が戦いをするのも、
動物の世界では普通に見られます。
さらには、
「なわばり争い」などでも、暴力が行使されることがしばしば
です。
このように、
動物の世界では、何か争いごとが生じた場合に、
(威嚇(いかく)で決着がつかなければ)「暴力」によって解決
する場合が普通に見られますが、
しかしそれは、動物の本能によるもので、そこに「悪の概念」
など存在していないのです。
* * * * *
●盗み
「盗み」という悪も、動物の世界には存在していません。
たとえば、
他者が獲(と)った獲物(えもの)や、他者のなわばりや、
他者の巣や、他者のメスなどを、
盗み取ったり、強奪したりすることは、
動物の世界では普通に行われており、数えきれないぐらい
の事例があります。
しかしながら、それも、
動物としての「生き残り戦略」の一つであり、そこに「悪の概念」
など存在していないのです。
* * * * *
●子供の虐待
子供の虐待(子殺し)は、動物の世界ではけっこう多く見られます。
たとえばライオンは、
一頭のオスを中心(ボス)として、複数のメスと子供で群れを作っ
ていますが、
群れのボスが、他のオスと入れ替わった場合(つまり、群れが乗っ
取られた場合)、
前のボスの子供がいると、メスが発情しません。
そのため、新しくボスとなったオスのライオンは、全ての子ライオン
を殺してしまいます。
また、ネコのオスは、
自分の子供ではない子ネコと遭遇すると、その子ネコを殺してしま
う習性があります。
もちろん母ネコは、自分の子供に他のオスが近づくと、必至に子供
を守ろうとして戦います。
が、しかし、自分の子供が殺された時点で、生殖が可能状態にな
り、我が子を殺したオスネコと交尾をするのです。
そしてまた、クマにも子殺しが見られます。
野生のクマは、交尾の時以外はオスとメスが別々に暮しています
が、
メスのクマに子供がいた場合、メスは交尾を嫌がります。
そのため、オスのクマにとっては、交尾の邪魔になる子供を敵とみ
なし、殺してしまうのです。
さらにまた、鳥は「育児放棄」をすることが多い生き物だと、言われ
ています。
たとえば餌が少なくなり、子供を育てることが出来なくなると、
鳥は営巣(えいそう)を放棄して、巣ごとタマゴやヒナを捨ててしまう
ことが多いといいます。
これら、動物の世界における子供の虐待は、
私たち人間にしてみれば、ものすごくムチャクチャで、見るに堪(た)
えないほど酷(ひど)いものです。
しかしそれは、
動物の習性として自然なことであり、そこに「悪の概念」など存在し
ていないのです。
* * * * *
以上、ここまでの考察により、
「悪」には、いろいろなものが存在していますが、
そのどれもが、「人為的なもの」であることが分かりました。
と、いうよりは、
人間以外の動物には、「悪」などという概念は存在しないので
あり、
「悪」というのは、人間だからこそ、持ち得る概念なのです。
そして人類は、「悪」という概念を持ち得たことにより、
それを戒(いまし)め、無益な暴力や殺人を抑制し、社会を平和に
する努力をしてきました。
それが、
他の動物には見られないほどの大繁栄を、人類が達成することの
できた、
一つの要因になったのではないかと思います。
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