「悪」は人為的なもの 1
                             2023年2月12日 寺岡克哉


 以前に「エッセイ1043」で書きましたが、

 「私の神」は、悪の存在を禁止しませんが、悪の存在を退ける
働きをします(以下の抜粋参照)。


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          エッセイ1043からの抜粋

 「私の神」とは、「この世を、この様にしているもの」と定義しました。

 上の定義から、この世に悪が存在する以上、「私の神」は、「悪の
存在を禁止していない」と結論されます。

 いじめ、暴力、盗み、児童虐待、強姦、殺人、戦争、大量虐殺・・・
これらの悪が、否定できない事実として、この世に存在している以上、
「私の神」は、それらの悪が存在することを、禁止してはいないので
す。


 しかし「私の神」は、この世に悪が存在することを、禁止してはいな
いのですが、悪の存在を、好ましいものとして肯定している訳では、
決してありません。

 そうではなく、「私の神」は、悪の存在を、好ましくないものとして
退けるように、この世に対して働きかけをしているのです。

 つまり「私の神」は、この世で悪が行われた場合、苦しみと不幸を
人々に与えて、その悪を止(や)めさせるように、働きかけをするわけ
です。
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 そして一方、最近では、

 「宗教の神」が「人為的なもの」であることについて、

 いろいろと考察してきました。



 ところで私は、これらのことを考察しているうちに、

 「悪」というのは「人為的なもの」なのではないか?

 という疑問が、浮かんで来るようになったのです。


           * * * * *


 ちなみに、今までの私は、

 「悪」というのは、「間違いなく確実に存在するもの」と思っていま
した。



 なぜなら、

 たとえば「殺人」という「悪」が行われたのを、テレビのニュース
などで見聞きすると、

 つよい怒りと嫌悪感が、心の底から湧き上がって来るからです。



 そしてまた、

 「もしも金がまったく無くて、自分が金を得るために殺人を犯して
しまうぐらいなら、飢死した方がましだ!」

 と、心の底から思っているからです。



 だから私は、

 「悪というのは、間違いなく確実に存在する」と、

 心の底から実感しており、そのように確信していたわけです。


           * * * * *


 しかしながら・・・ 

 たとえば「殺人という悪」について、よく考えてみると、

 いくつか疑問に思う点が存在して、とまどいを感じることが
あったのも、正直なところでした。



 たとえば・・・ 

 正当防衛で人を殺してしまうのは「悪」なのか?

 強盗が家に侵入して、いま正に、自分の家族が殺されようと
しているのに、それを阻止するために犯人を殺してしまうのは
「悪」なのか?

 国と家族を守るために、戦争で敵を殺してしまうのは「悪」な
のか?

 有罪になった凶悪殺人犯を、死刑の執行で殺してしまうのは
「悪」なのか?

 と、いうような疑問です。



 これらについては、私だけでなく世間一般の心情として、

 上のような殺人の場合は、「悪とは言えないのではないか?」
と疑問に思ってしまうのが当然でしょう。


           * * * * *


 また、上の疑問について、すこし角度を変えて見ると、

 凶悪犯罪者に、家族や大切な仲間が次々に殺されている
のに、それを黙って見ていて、最後に自分も殺されることが、
はたして良いことなのか?

 戦争が起こって、目の前で家族や仲間が殺されているのに、
戦うことをせずに自分も殺されることが、はたして良いことなの
か?

 と、いうような疑問になるでしょう。



 そして、これらの行為が、けっして「良いこと」だとは言えず、

 むしろ、好ましくないこと、良くないこと、間違ったことだと感じ
てしまうのが、

 私だけでなく、世間一般の正直な心情だと思うわけです。


          * * * * *


 以上、ここまで簡単に考察してきたように、

 実際の現象としては、「殺人」という、まったく同じ現象なのに、

 間違いなく「悪」と言える場合と、簡単には「悪」と言えない場合
のあることが分かりました。


 それで私は、

 「悪」というのは「人為的なもの」ではないかと、思うようになって
来たわけです。



 ところで・・・ 

 私は、「悪が人為的なもの」だからと言って、

 たとえば「殺人が悪だというのは幻想である」と、いうような主張
をするつもりは全くありません。



 むしろ、

 「殺人は悪である」という「人為的なもの(人為的な概念)」を
作り上げ、それを人々に広く浸透させること。

 そして法律により、「殺人という悪」を取り締まり、さらには刑罰を
負わせること。

 これによって、殺人事件を抑制することに大きな成功を収(おさ)
めているのは、間違いのない事実です。

 そして、

 無闇(むやみ)やたらな殺人が少なくなり、社会が平和になって、
人々が安心して暮らせるようになったのも、否定できない事実です。



 だから私は、「悪が人為的なもの」であるからと言って、

 たとえば「殺人が悪だというのは幻想である」とか、

 「殺人が悪であるとは言えない」とか、

 「殺人は悪ではない」などと主張するつもりは、全くないわけです。


            * * * * *


 申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。



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