人為的な神 1
                             2023年1月15日 寺岡克哉


 私は、

 いわゆる「宗教」が崇(あが)めている「神」というのは、

 「人為的な神」ではないかと考えています。


 つまり「宗教の神」は、

 「人間が勝手に作り上げた神」ではないかと、私は考えている
のです。



 そして宗教の神が、人為的なものなので・・・ 

 つまり宗教の神は、人間が勝手に作り上げたものなので、

 「科学的な事実」を否定したり、「宗派対立」や「宗教戦争」など
が起こるのだと、私は考えています。


 それは一体、どういうことなのか、以下に説明していきましょう。


           * * * * *


 しかし、その前にまず、

 人間が勝手に作り出した「人為的な神」に対して、

 人間が勝手に作ったのではない、人為的でない神。

 つまり「本当の神」というのが、一体どんなものなのかを、説明
する必要があります。


 なぜなら、

 「本当の神」を知らなければ、なぜ宗教の神が人為的なのか、

 分からないと思うからです。



 さて、

 人間が勝手に作り出したのではない「本当の神」。

 それは例えば、これまで私が行ってきた思索によると、

 「エッセイ1039」で定義した、「私の神」を挙げることができ
ます。


 以下、「私の神」について、簡単におさらいしておきましょう。


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        エッセイ1039の要約

●「私の神」は、「この世を、この様にしているもの」と定義される。

 ここで「私の神」とは、私の考える神、私の感じる神、私の求め
る神をいう。

 また「この世」とは、人間や人類社会、生命、生態系、地球、
太陽系や銀河系を含めた、宇宙全体をいう。

 そして、「この世を、この様にしているもの」には、つぎの三つ
の意味が含まれる。
 1.この世を、この様に「存在」させているもの。
 2.この世を、この様な「状態」にしているもの。
 3.この世を、この様な「状況」にしているもの。

 つまり「私の神」とは、人間や人類社会、生命、生態系、地球、
太陽系や銀河系を含めた宇宙全体を、
 この様に存在させ、この様な状態にし、この様な状況にしてい
るものと定義される。


●「私の神」を具体的に表現すると、以下のようになる。

 「私の神」とは、ビッグバンを起こさせて、この宇宙を誕生させた
ものである。
 「私の神」とは、この宇宙に、恒星や惑星そして地球を作った
ものである。
 「私の神」とは、この地球に生命を誕生させ、それを人間にまで
進化させたものである。
 「私の神」とは、さまざまな自然法則や、さまざまな因果関係や、
さまざまな偶然や必然を、司(つかさど)るものである。等々・・・。


●「私の神」は、信仰の有無に関係なく存在する。

 なぜなら、「この世を、この様にしているもの」が存在しなかったら、
この世が、この様に存在し、このような状態で、この様な状況になっ
ているはずがないからである。

 たとえば・・・ 
 「ビッグバンを起こさせたもの」が存在しなかったら、この宇宙は
存在しなかったはずである。
 「地球を作ったもの」が存在しなかったら、地球は存在しなかった
はずである。
 「生命を誕生させたもの」が存在しなかったら、この地球に生命は
存在しなかったはずである。
 「生命を人間にまで進化させたもの」が存在しなかったら、人間は
存在しなかったはずである。

 ゆえに、この世(人間や人類社会、生命、生態系、地球、太陽系
や銀河系を含めた宇宙全体)が、
 この様に存在し、このような状態で、この様な状況になっている
以上は、
 「この世を、この様にしているもの」つまり「私の神」が、絶対に存在
しなければならない。

(補足:「この世を、この様にしているもの」が存在しなくても、「この
世は、この様になるのだ」という強弁的な反論は、原因と結果の
因果関係を否定することになり、まったくナンセンスである。)
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 以上のように、

 「私の神」とは、「この世を、この様にしているもの」です。


 だから、

 「この世が、この様になっている」以上、「私の神」は、その事実
を禁止したり、否定することはありません。


 ここに、

 「私の神」は、人間が勝手に作り出したものではないと言える
理由、

 つまり「私の神」が、「本当の神」であると言える理由が、存在し
ているのです。



 以下、

 「宗教の神」が人為的なものであり、「私の神」が人為的でない
本当の神であることを、

 いろいろと具体的な例を挙げることにより、明確にして行きたい
と思います。


            * * * * *


 たとえば「キリスト教」は、1992年まで地動説を頑(かたく)なに
否定していました。

 しかし「私の神」は、地動説が「科学的な事実」である以上、それ
を否定しません。

 まず、このことに、

 「キリスト教(の神)」が、いかに人為的なものであるのかが、端的
に示されています。



 また「キリスト教原理主義」は、進化論を否定しています。

 驚くべきことに、2004年の時点でアメリカ人の過半数、2015年
の時点でアメリカ人の4割が、「進化論を信じていない」という世論
結果になっているのです。

 しかし「私の神」は、生命進化が「科学的な事実」である以上、
それを否定しません。

 ここにも、

 「キリスト教(の神)」が、人為的なものであることが示されていま
す。



 さらにまた、「エホバの証人(異端のキリスト教)」は、輸血を禁止
しています。

 そして輸血を拒否したために、助かったであろう患者の命が、
亡くなってしまったという実例も、複数あるのです。

 しかし「私の神」は、輸血が医療技術として確立している以上、
その利用を禁止することなど、絶対にありえません。



 これらを見ただけでも、

 「宗教の神」が、いかに人為的なものであるのか分かります。


           * * * * *


 申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。



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