焚き火の名人
2023年1月8日 寺岡克哉
新年早々から、重たい話を書くのもなんですので、
今回は、いま思い出しても「ニヤッ」と笑ってしまうような、
ちょっと面白い、昔の思い出話を紹介してみましょう。
* * * * *
それは・・・
私が大学1年生のときでしたから、今から40年ほど前のことです。
大学山岳部に所属していた私は、その年の夏に、沢登り(さわの
ぼり)をしていました。
( 「沢登り」というのは、尾根(おね)と尾根の間にある谷を、小さな
川(つまり沢)に沿って、登って行く登山方法です。)
ちなみに、
その当時の、我が山岳部では、沢登りで野営をするとき、
コンロを使わずに、すべて「焚(た)き火」で、炊事(すいじ)をする
ことになっていました。
そのため、「焚き火」の技術が必要不可欠で、1年生は、それを
必ず習得しなければなりません。
それで私は、
パーティーリーダーのS先輩から、焚き火のやり方を教わっていた
のですが、
その日は、すこし小雨が降っていて、拾(ひろ)ってきた焚き木が
濡れており、
まず最初に私が火をつけようとしても、なかなか火をつけることが
出来ませんでした。
そこでS先輩は、
岩の下などに積もっていた、濡れていない枯れ葉をすこし持って
きて、まずそれに火をつけました。
それから、2ミリぐらいの太さの、ほんとうに細くて燃えやすい小枝
から火に入れ、
その次に、割り箸(ばし)ぐらいの太さの枝、そして小指ぐらいの
太さ、親指ぐらいの太さへと、火に入れて燃やす枝を、だんだん太く
することによって、火力を大きくして行きました。
そしてついに、腕(うで)ぐらいの太さの枝に、見事に火をつけたの
です。
(焚き木が少しぐらい濡れていても、濡れているのは木の表面だけ
で、水が奥まで浸(し)み込んでいる訳ではなく、十分な火力があれ
ば、焚き火はできるのです。)
私は、その手際(てぎわ)のすばらしさを見て、
「S先輩はすごいですね!」と思わす言い、感動してしまいました。
そうしたらS先輩は、
「俺は(さらに上の学年の)T先輩から、焚き火を教えてらったが、
T先輩は俺よりも焚き火が上手い」
「しかし、そのT先輩が言っていたが、(T先輩と同学年の)N先輩
には、T先輩も焚き火では敵(かな)わないそうだ」
と、言ったのです。
その話を聞いた私は、
「つまりN先輩が、我が山岳部で一番の、焚き火の名人なのだ!」
という、尊敬の念が起こり、
「いつかN先輩の焚き火の技術を、実際にこの目で見てみたい!」
と、ずっと思い続けることになったのでした。
* * * * *
それから私は、
焚き火がとても面白くなり、焚き火の技術を磨(みが)いて行き
ました。
そして2年後・・・
私が大学3年生のときに、名人であるN先輩の焚き火を見る
機会が、やっと訪れたのです。
(N先輩はOBなので、一緒に沢登りをする機会が、なかなかあり
ませんでした。)
さて、いよいよ火をつけるという時、
まずN先輩は、1リットルのポリタンクに入った「灯油」を、リュック
サックから取り出して、焚き木の上から注(そそ)ぎました。
そうしてから、平然とした顔で火をつけたのです。
それを見ていた私は、あっけに取られて、
「N先輩は焚き火の名人だと聞いていたのですが、そんな(邪道
な)火のつけ方をするのですか!」
と、思わず聞いてしまいました。
そうするとN先輩は、
「何だかんだ言っても、これ(灯油)に勝(まさ)るものはない」
「色々なことをやっても、結局、この方法が一番なんだ」
と笑いながら言い、さらに灯油を火に注いで、メラメラと炎(ほの
お)を大きくしました。
それを聞いた私は、
焚き火に対する私の思い入れというか、焚き火に対する浪漫(ろ
まん)が壊されたような気がして、
ちょっと哀(かな)しくなってしまいました。
が、しかしながら、
「名人が行きついた境地とは、合理性だったのだ!」というような、
ある種の「悟り」に近いものを、教えられたような気もしたのです。
* * * * *
それから40年ほど経った現在ですが、その当時のことを、いま
思い出しても、
「焚き火とは、このようにやるべきものだ!」と、勝手に決めつけ、
固定観念に囚(とら)われていた自分が、とても滑稽(こっけい)に
思えて、
ついつい「ニヤッ」と、苦笑(にがわら)いをしてしまうのでした。
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