心臓の手術をしました 2
                             2022年11月20日 寺岡克哉


 さて今回は、

 カテーテルアブレーション手術(前回のエッセイ1079参照)をした
ときの経緯や、

 その手術にたいし、私の思ったことや感じたことなどについて、書い
てみたいと思います。


             * * * * *


 まず第一に、

 まったく予想外だったのが、導尿(注1)の痛さです。

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注1 導尿(どうにょう):

 (手術など)何らかの原因で自力での排尿が困難な場合、尿道口
から太さ4ミリぐらいの管(カテーテル)を挿入し、人工的に尿を排出
させること。
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 ところで、なぜ導尿が必要なのかと言えば、

 このたびの手術は、4時間ぐらいかかる予定だったからです。


 そしてさらに、手術が終わっても、

 その後4時間は、止血のために絶対安静(足を動かすことも、
寝返りをすることもできない)を、しなければならないからです。


 つまり、

 およそ8時間以上にもわたって、トイレに行くことが出来ないわけ
です。



 これらの理由から、

 手術室に入る前に、導尿用のカテーテルを、尿道に挿入したの
ですが、これがまさに予想外の激痛でした。

 ペニスの中が、焼けるように熱く感じて、ジンジンと痛みが走り
ます。

 その痛みを、ジッと我慢しているだけで、ジトッと冷や汗が出る
ほどでした。



 その上、

 寝返りをしたり、上半身を起こすなど、ちょっと体を動かしただけ
で、カテーテルが尿道内を擦(こす)るように動き、

 そのたびに、ズキンと痛みが走るのです。



 こんな痛みが、手術が終わってから4時間以上も続くのかと思っ
たら、ものすごく憂鬱(ゆううつ)な気分になってしまいました。

 が、しかしながら、20分ぐらいすると、だんだん痛みが和(やわ)ら
いできて、

 ものすごく違和感が気になるけれど、何とか我慢できるぐらいの
痛さにまで軽減しました。



 私が導尿をしたのは、じつは生まれて初めての経験でしたが、

 この導尿を開始するときの痛みに比べれば、手術全般に関する
他の痛みなど、

 無視できるほど小さなものに過ぎませんでした。


            * * * * *


 さて、

 ストレッチャー(車輪がついた小さなベッド)に寝かされて、手術室
に運ばれると、

 体のあちらこちらに、心電図を測定するための電極が取りつけられ
ました。

 さらに額(ひたい)には、しっかりと麻酔が効いて、眠っているかどう
かを判断するための電極がつけられました。



 そしていよいよ、麻酔薬を体に注入する時がきたのです。

 私は、意識が失われる瞬間を「自覚」できるかどうかに、ものすごく
興味を持っているので、

 手術室の天井(てんじょう)にある照明を、絶対に目を瞑(つぶ)らな
いようにして、じっと見つめていました。



 そうしていると、

 「(麻酔の)薬が右手から入るので、すこし痺(しび)れますよ」という、
担当医の先生の声がしました。

 すると私は、手術室の照明を見つめながら、たしかに右手が痛くなる
のを感じました。



 そして、次の瞬間!

 とつぜん担当医の顔が目に入り、「寺岡さん、起きていますか!」と
いう、先生の声が聞こえたのです。

 手術は、予定よりも少し長くて、5時間ぐらいかかったのですが、

 しかしその間、私は1秒どころか、ほんとうに一瞬の時間も感じること
が出来なかったのです。


             * * * * *


 さて、

 手術が無事成功に終わり、手術後の経過(4時間の絶対安静に
よる止血)も良好でしたが、

 止血が終わったのが真夜中だったので、ゆっくりと眠るためにも、
導尿を朝まで続けることになりました。

(その頃になると、導尿による痛みも、あまり感じなくなっていまし
た。)



 そして、手術をした次の日の午前。

 やっと、導尿用のカテーテルを抜いてもらうことができました。

 それで、「ヤッター!」と思っていたのですが、しかし現実は、そん
なに甘くありませんでした。



 というのは、

 導尿用のカテーテルを抜いてから、トイレで最初の小便をしたと
きに、ものすごく痛かったからです。

 この痛みは、小便を繰りかえすたびに、だんだん緩和されて行き
ましたが、

 しかし違和感が気にならなくなるまでには、5日ぐらいの日数が
かかりました。


             * * * * *


 以上、

 このたび行った「カテーテルアブレーション手術」を、振り返ってみ
ると、

 手術そのものの痛みは、導尿の痛みに比べると、ほとんど無視でき
るほど小さなものでした。



 また、

 2年前に私が初めて経験した「麻酔」では、15分ぐらいの時間を、
一瞬にも感じることが出来なかったのですが(エッセイ954,955参照)、

 このたびの「麻酔」の経験では、5時間という長い時間でさえ、一瞬
にも感じることが出来ませんでした。



 なので、つねづね私が思っていることですが、

 「自分の死は、自覚として、やはり一瞬にも感じることが出来ない」

 ということに、ますます強い確信をもった次第です。



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