私がエッセイを書く理由
                            2022年10月23日 寺岡克哉


 前回でも書きましたが、

 本サイトのエッセイを、読者の方に読んで頂くことによって、私の
考えや、思い、願い、意志、希望などが、

 読者の方の自我意識に、小さいながらも、何らかの影響を与えて
いるはずです。



 それは私にとって、

 ものすごく価値のあることであり、素晴らしいことであり、幸福なこと
です。

 そのために私は生き、エッセイを書き続けていると言っても、まった
く過言ではありません。



 これがまず、私がエッセイを書く第一の理由です。

 しかしながら、その他にも、いくつか別の理由もありますので、

 今回は、それらについて補足したいと思いました。


           * * * * *


 私がエッセイを書く第二の理由は、

 私が書いたエッセイの中に、世の中にとって有益だと思われる
情報や、重要だと思われる情報、あるいは必要だと思われる情報
があれば、

 それらの情報が、できるだけ世の中に広まってほしいと、考えて
いるからです。



 たとえば、2002年~2005年頃にかけて書いたエッセイには、

 自己否定から解放されるための方法。

 「良い心」を育成するための方法。

 心の安らぎを得るための方法。

 愛や慈悲の大切さ。

 宗教や神にたいする、正しい認識のしかた。

 などに関連したものが多くなっています。



 これらの情報は、

 現代社会においても、と言うよりは、現代社会だからこそ、

 有益であったり、重要であったり、必要であったりするのでは
ないでしょうか。



 とくに、上に挙げた中でも、

 「宗教や神にたいする、正しい認識のしかた」については、

 旧統一教会の問題などで、いま現在でも、重要で必要な情報
となっています。

 そのため、このような情報が、すこしでも社会に広まってほしい
と願っています。


           * * * * *


 私がエッセイを書く第三の理由は、

 2006年~2010年にかけて、「地球温暖化問題」について
書いたものが示しています。



 たしかに当初は、

 地球温暖化問題が、世界的にすごく深刻な問題として、社会に
広く知られてほしいと、つよく願って書きました。


 しかし、その後、

 地球温暖化問題が、学校教育で取り上げられるようになり、

 また、気候変動による熱中症、豪雨、洪水、土砂崩れなどの自然
災害が多発するようになって、

 地球温暖化の深刻さが社会に広まってくると、エッセイを書いた
理由がすこし変わってきました。


 つまり、

 「昔は、まだ地球温暖化の深刻さが世間に知られていなかった」
などと言うような、

 「言い逃れ」を阻止することが、エッセイを書いた理由になってきた
のです。



 たとえ、どんなに遅くても、

 2007年に「IPCC第4次報告書」が発表された時点で

 すでに地球温暖化の深刻さは明確になっており、全世界が積極的
に温暖化対策に乗りだすべきでした。



 それなのに、

 ヨーロッパを除く世界の国々は、とても腰が重くて、積極的な温暖化
対策に乗り出そうとしなかったのです。

 それどころか、

 反温暖化論者とか、温暖化懐疑論者などという人々が、社会に
蔓延(はびこ)っていて、

 恥ずかしげもなく(ドヤ顔で)、温暖化対策の足をつよく引っ張って
いました。



 つまり、今から15年前の時点で、

 すでに地球温暖化の深刻さが知られていたにも拘(かかわ)らず、
積極的な対策を取ろうとしなかったこと。

 それどころか、温暖化対策の足を引っ張っていた者たちが、社会
に蔓延っていたこと。


 これらの事実があったことを、証拠として書き残しておき、

 「言い逃れ」が出来ないようにすることが、地球温暖化のエッセイ
を書いた理由に、いま現在ではなっています。


           * * * * *


 私がエッセイを書く第四の理由は、

 2011年~2013年にかけて、「福島原発事故」について書いた
ものに、よく示されています。



 つまり、

 福島原発事故が起こった当時、おなじ時代に生きた人間として、

 「歴史的な事件の目撃者として書き残しておく」というのが、それら
のエッセイを書いた理由でした。



 また本サイトでは、福島原発事故の他にも、

 世界中で起こった、さまざまな出来事についてのエッセイを書いて
いますが、

 それらも同様の理由によるものです。


           * * * * *


 以上、ここまでを纏(まと)めると、私がエッセイを書く理由は、


1.私の自我意識が、誰か別の人の自我意識の形成に、小さいな
 がらも関与できる可能性があること。

2.私が書いたエッセイの中に、社会にとって有益だったり、重要
 だったり、必要な情報があれば、それらが社会に広まってほしい
 こと。

3.「昔は、まだ地球温暖化の深刻さが世間に知られていなかった」
 などと言い逃れが出来ないように、「証拠」を残して置くこと。

4.歴史的な出来事の目撃者として、それを書き残して置くこと。


 の、4つになるかと思います。



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