今さら「今」が大切
                             2022年9月25日 寺岡克哉


 私は、最近になって、

 今さらながら、「今」が大切であることを、痛感するようになり
ました。


 今回は、その理由について、書いてみたいと思います。


            * * * * *


 さて、

 私は歳を取るにしたがって、ずいぶん昔(むかし)のことを、

 よく思い出すようになりました。



 たとえば、もうすでに40年前~50年前のことなのに、

 なにか失敗をして苦(にが)い経験をしたり、恥ずかしい思い
をしたり、

 屈辱的な仕打ちを受けて、怒りが込み上げてきたことなどが、

 とつぜん「フラッシュバック」のように、思い出してしまうのです。



 そして、

 「アーッ・・・」とか、「クソ!」と、思わず声を出してしまったり、

 すこし息が荒くなったり、「ジトーッ」と冷や汗が出たりするの
です。



 このような、

 40年前~50年前という、半世紀ちかくも昔のことを、

 まるで昨日のことのように、鮮明(せんめい)に思い出して
しまうなど、

 私が若い頃には、まったく理解できない感覚でした。


          * * * * *


 ところで一方、

 私は、この歳(59歳)になり、将来への不安も、急に襲って来る
ようになってきました。



 たとえば、

 どんどん貯金が減っているのに、医療費などが増えて行くことに
よる、金銭的な不安。

 どんどん体力が衰(おとろ)えて行き、20年を待たずして、食料
の買い出しにも行けなくなるのではないかという、体力的な不安。

 ちょっとした風邪や誤飲などによる肺炎、とつぜんの心臓発作や
脳卒中、転倒による骨折や頭部打撲などの、健康的な不安。



 これら将来への不安が、とつぜん襲ってきて、

 やはり、呼吸が荒くなったり、「ジトーッ」と冷や汗が出たりするの
です。


            * * * * *


 このように、近年の私は、

 過去の後悔と、将来への不安ばかりに、心を奪(うば)われて
しまい、

 私の人生における多くの時間が、そんなムダなことに費(つい)
やされてきました。



 しかし最近、そんなムダな状況がつづく中で、

 「私の人生は、過去と将来ばかりに捕(とら)われて、 ”今” と
いうものが無い!」

 「私は、 ”今” というものを、蔑(ないがし)ろにしている!」

 と、いうことに、「ハタ」と気がついたのです。


           * * * * *


 ところで、若い頃の私は、

 「今さえ良ければいい! 今さえ楽しければいい!」などと、恥ず
かしげもなく主張する人にたいし、

 「自分の将来をまったく考えていない、とても浅はかな人間だ」と、
すこし軽蔑した目で見ていました。



 しかしながら、現在の私は、すでに老い先が短くなり、

 あるていど健康で体力があり、それなりに快適に生きられるのは、

 65歳ぐらいまで(あと6年ぐらい)ではないかとさえ、考えるように
なりました。



 そんな思いに駆(か)られると、

 「今を大切にして、今を充実させなければ、もう、私の人生を充実
させることが出来なくなる!」

 「今を楽しまなければ、もう、いつ楽しめるのか分からない!」

 という心境に、変わって来たのです。


           * * * * *


 さて問題は、

 どのようにして、「今」を大切にし、「今」を充実させるかです。



 が、やはり、私の場合は、

 これから書いていく1本1本のエッセイを、できる限り充実した
ものにすること。

 「次のエッセイは、もう書けないかもしれない」という気持ちで、
心をこめて書くこと。

 しかしながら、追いつめられた気持ちで書くのではなく、「書く
ことを楽しむ気持ち」を大切にすること。



 そういうことが、

 私の「今」を、いちばん大切にする生き方ではないかと、考えて
いる次第です。



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