人生における最大の誤解
2022年9月18日 寺岡克哉
誰でも、
自分の自我意識が存在するのは、まったく当たり前のことだと
感じているでしょう。
が、しかし、前回のエッセイで考察したように、
自分の自我意識が存在できるのは、「最大の奇跡」としか言わ
ざるを得ないほど、ぜんぜん当たり前ではありません。
ここに、
ほとんどの人が気づけない、「人生における最大の誤解」が
存在しているのです。
* * * * *
まず、どう考えても、
世界の大部分の人は、自分の自我意識が存在するのが、
まったく当たり前のことだと、感じているでしょう。
それは、もう、
「これ以上に、当たり前のことなど、この世に存在しない!」
と、心の底から確信するほど、まったく当たり前のことだと、感じ
ているはずです。
なぜなら、世界中の誰もが、
朝に目が覚めてから、夜に眠りにつくまで、自分の自我意識の
存在を、つねに「自覚」し続けているからです。
さらには、世界中の誰もが、
今日も、昨日も、1年前も、10年前も、物心(ものごころ)がつい
てから毎日ずっと、
自分の自我意識の存在を、「自覚」し続けてきたからです。
このような理由から、世界の大部分の人が、
自分の自我意識が存在するのを、なんの疑問も持たずに、
「当たり前中の、当たり前のことだ!」と、心の底から確信して
いるわけです。
* * * * *
ところが私は、
周囲のみんなが、「まったく当たり前だ!」と確信しているにも
拘(かかわ)らず、
「なぜ、自分の自我意識が、この世に存在するのか?」
という疑問を、ずっと心の中に抱えながら、これまで生きてきま
した。
ちなみに、
「なぜ、私の自我意識が、この世に存在するのか疑問だ」とか、
「なぜ、私の自我意識が、現代の日本に存在できたのか、まった
く分からない」などと、
周囲の人間にたいして、すこしでも喋(しゃべ)ってしまったら、
「かなりの変人だ!」とか、「頭がおかしい人だ!」と、思われて
しまうでしょう。
そのような社会環境の中で、私は誰にも話すこともなく、ずいぶん
と長い間、この疑問が頭から離れないでいたのでした。
そしてついに、前回のエッセイで紹介したように、
自分の自我意識が存在するのは、どんな法則や理論によって
も、まったく説明が不可能であり、
「私の神」が起こした「最大の奇跡」であるとしか、考えられない
という結論に至ったのでした。
* * * * *
自分の自我意識が存在すること。
この、誰もが当たり前だと確信していることが、実は、まったく
当たり前でなく、
しかもそれは、「最大の奇跡」であるとしか言わざるを得ない
ほど、類稀(たぐいまれ)な出来事であること。
これは、
世界の大部分の人が、ほとんど気づくことが出来ないでいる、
「人生における最大の誤解」ではないかと、私は考えています。
* * * * *
ところで、
この、「人生における最大の誤解」に気がつき、その誤解を解く
ことによって、
とても大きな「御利益(ごりやく)」があると、私は考えています。
たとえば、
「人生における最大の誤解」を解いて、自分の自我意識の存在
が、最大の奇跡であることを知れば、
「私なんか、取るにたりない存在だ・・・ 」とか、
「私なんか、生きる価値がない・・・ 」などと、
不必要なほど、自分で自分の価値を貶(おとし)めるようなことは、
しなくなるのではないでしょうか。
さらには、
「人生における最大の誤解」を解くことにより、自分の自我意識の
存在とまったく同じように、他人の自我意識の存在も、最大の奇跡
であることを認めれば、
「世界の全ては、自分だけのためにある!」とか、
「自分のためなら、他人など、いくら苦しめて殺してもよい!」など
という、
手がつけられないほどの「傲慢(ごうまん)な思い違い」を、排除
することができると思うのです。
以上のように、
世界中の人が、「人生における最大の誤解」を解くことができれば、
自分の命も、他人の命も、お互いに尊重し合えるような世界に、なっ
て行くのではないでしょうか。
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