最大の奇跡
                              2022年9月11日 寺岡克哉


 私の自我意識が存在するのは、「私の神」が起こした最大の
奇跡である!



 私は最近、

 このような結論に至ることが出来ましたので、その経緯について
書きたいと思います。


            * * * * *


 まず最初に、「自我意識」というのは、

 「自分が生きていること」や、「自分が存在していること」を認識
する意識です。


 また、「自我意識」というのは、

 自分と外界を区別して、「自分は1人しか存在しない!」という、
「自己の独自性」を認識する意識です。


 そしてまた、「自我意識」というのは、

 今日の自分も、昨日の自分も、1年前の自分も、つねに同じ
自分であるという、「自己の同一性」を認識する意識です。


 さらにまた、「自我意識」というのは、

 自分の欲求や希望、目標などを、自らの意思で実現しようと
する、「能動的」な思考や行動を生じさせる意識です。



 つまり、「自我意識」というのは、

 「私は、私以外の何者でもなく、私独自の意思を持ち、生きて
存在しているのだ!」

 と、そのように私自身が実感し、そのように私自身が納得して
いる意識だといえるでしょう。


           * * * * *


 ところで・・・ 

 今ここに、私の自我意識が存在できるためには、

 じつに無限の時間と、無数のプロセス(過程)が、絶対に必要
不可欠でした。



 たとえば、

 138億年前に、ビッグバンによって宇宙が誕生しなかったら、
私の自我意識は存在できませんでした。

 ビッグバンのエネルギーから、素粒子や原子などの「物質」が
作られなかったら、私の自我意識は存在できませんでした。

 星間物質が集まって、太陽や地球が誕生しなかったら、私の
自我意識は存在できませんでした。

 地球に生命が誕生し、それが人類まで進化しなかったら、私の
自我意識は存在できなかったのです。


 ちなみに、

 ビッグバンが起こる以前でさえも、まだまだ未知のプロセスが、
無限の過去から無数に続いてきたはずで、

 それらの結果として、ビッグバンが起こったのだと考えるのが
自然でしょう。



 このように、

 私の自我意識が存在できるためには、無限の時間と、無数の
プロセスが絶対に必要だったのであり、

 それらの、どれ1つが欠けても、私の自我意識は存在できなかっ
たわけです。


 そう考えただけでも、

 今ここに、私の自我意識が存在できるのは、ものすごく奇跡的な
ことだと思わざるを得ません。


             * * * * *


 ところが実は、

 地球に人類が誕生したからと言って、私の自我意識が存在でき
る保障は、どこにも無いのです。


 なぜなら、

 地球の人口は、現在およそ80億人と言われていますが、

 それら80億の人間の中から、なぜ私1人だけが、私の自我意識
を持つことができたのか、その保障はどこにも無かったからです。


 さらには、

 現生人類(ホモ・サピエンス)は、およそ20万年前のアフリカで
誕生したと言われますが、

 人類の長い歴史の中で、しかも人類が地球全体に分布して
行った中で、

 なぜ、現代という時代の、日本という場所に、私の自我意識が
存在できたのか、その保障も、どこにもありませんでした。



 これらの考察から、

 地球に人類が誕生しても、私の自我意識が存在できる保障は、

 どこにも無かったと結論せざるを得ないのです。


            * * * * *


 さらには、

 現代の日本に、私の父と母が生まれ、偶然にも父と母が出会っ
て結婚したとしても、私の自我意識が存在できる保障は無かった
のです。


 たとえば、

 私が生まれるとき、父親の何億もの精子のうち、一つ隣の別の
精子が受精したら、私の自我意識は存在できませんでした。


 また、

 私が生まれるのとは、違う日に行われた性交によって受精した
場合でも、私の自我意識は存在できなかったのです。

 これは、私の兄弟のことを考えれば、十分に納得できます。


            * * * * *


 しかし、さらには、

 もしも私が、一卵性の双生児(同じ受精卵から生まれた双子で、
全く同じ遺伝子を持つ)だったとしても、

 私の双子(ふたご)の兄弟には、「私の自我意識」が存在しない
のは当然でしょう。


 つまり、

 私と同じ遺伝子、私と同じ脳、私と同じ肉体を持って生まれたと
しても、

 その肉体に、私の自我意識が存在できる保障は、どこにも無い
のです。



 ここまで考えてくると、

 私(の肉体)が生まれても、私の自我意識が存在できたという
保障は、無かったのではないかとさえ思えてきます。



            * * * * *


 なぜ、私の自我意識が存在するのかは、

 どんな自然法則によっても、どんな理論によっても、おそらく
説明することは不可能でしょう。


 だからそれは、

 どんなに考えても解消することが出来ない、永遠の疑問なのだ
と、これまで私は諦(あきら)めていました。



 ところが最近になって、

 この世に、私の自我意識が存在できるのは、

 「この世を、この様にしているもの」、つまり「私の神」が、

 この世を、私の自我意識が存在できる様にしているからだ。

 この世に、私の自我意識が存在できたのは、「私の神」が起こし
た、(私にとって)最大の奇跡なのだ。

 もはや、そのように考えるしか、この疑問を解消する術(すべ)は
無いのだ。

 という結論に、ふと思い至ることが出来たのです。



 この世に、私の自我意識が存在できたのは、「私の神」が起こ
した最大の奇跡である!


 この結論が得られたことにより、これまで長年かかえてきた疑問
が、私なりに解消することが出来ました。

 そして、

 心の中の「モヤモヤ」が消えて、頭の中が、ものすごく「スッキリ」と
した次第です。



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