「私」とは何か 4       2004年3月7日 寺岡克哉


 エッセイ104から前回までは、
 1.自我意識としての私
 2.肉体としての私
 3.精神的な情報としての私
 4.DNAとしての私
 5.原子としての私
 6.エネルギーとしての私
のうちの、1から5についてお話しました。今回は、最後の6番目についてお話し、
その後に全体をまとめたいと思います。

6.エネルギーとしての私
 これは、「私」というものを、すべて「エネルギー」に置き換えてしまう考え方です。
 たとえば私の体は、「原子」という「物質」から出来ていますが、そもそも「物質」
とは「エネルギー」なのです。

 ところで昔は、物質とエネルギーは「まったく別のもの」と考えられていました。
しかし20世紀になると、「物質もエネルギーであること」がアインシュタインの相対
性理論によって予言され、その後、多くの実例によってそれが示されました。
 たとえば、(嫌な例ですが)原子爆弾や水素爆弾、あるいは原子力発電は、物質
をエネルギーに変換している実例です。さらには我々の太陽も、物質をエネルギー
に変えて輝いているのです。

 このように、「物質」とは「エネルギー」なのです。
 もう少し詳しく言うと、物質とはエネルギーの「一形態」なのです。エネルギーは、
運動、熱、光、電気、重力、物質など、いろいろな形態をとります。その中の一つ
として、「物質」という形態が存在するのです。
 そして私の体も、物質から出来ています。だから結局、「私とはエネルギーで
ある」と言うことができるのです。


 「エネルギーとしての私」は、150億年前のビッグバン(巨大なエネルギーの大爆
発)によって、この宇宙と共に誕生しました。
 というのは、ビッグバンのときに発生したエネルギーも、私の体を作っている物質
のエネルギーも、エネルギーとしては「全く同じもの」だからです。
 たしかに、私の体を作っている「物質」は、ビッグバンの後から作られたものです。
しかし、その物質を作っている「エネルギー」は、ビッグバンが始まったときから存在
しているのです。

 そして「エネルギーとしての私」は、これからも永遠に存在を続けます。
 なぜならエネルギーは、熱や光、あるいは物質などというように色々と形態を
変えるだけで、「エネルギーそのもの」は永遠に消滅しないからです。これを「エネ
ルギー保存則」といいます。
 だから、私の体が原子や素粒子に分解されても、さらには熱や光となって物質と
しては消滅してしまっても、「エネルギーとしての私」は絶対に消滅しません。
 つまり「エネルギーとしての私」は、150億年前から存在し、今後も永遠に
存在する「私」なのです。


 ところでビッグバンは、直径1ミリよりもずっと小さな一点から、大爆発が始まりま
した。つまり、今の私の肉体よりもずっと小さな空間の一点に、宇宙全体のエネル
ギーが凝縮していたのです。
 そのとき、「エネルギーとしての私」は、宇宙全体と「まったく同じ一つのもの」で
した。
 そして現在、宇宙は150億光年の大きさに広がっています。しかしながらそれは、
「私とまったく同じ一つのもの」が、150億光年の大きさに広がったと考えることも
できるのです。
 なぜなら、150億年前に存在したエネルギーも、いま存在するエネルギーも、エネ
ルギーはエネルギーであり、「まったく同じもの」だからです。
 だから、私の肉体を作っているエネルギーも、宇宙の遠くに存在するエネルギー
も、エネルギーとしては「まったく同じもの」であり、区別がないのです。
 例えばそれは、私の肉体の一部を切りとり、宇宙船で何百億年もの時間をかけ
て宇宙の遠くへ持って行っても、「私の肉体は、私の肉体である!」というのと同じ
です。
 つまり「エネルギーとしての私」は、この宇宙全体に広がっている「私」で
あり、宇宙のすべては「私と同じ一つのもの」なのです!


 今までお話してきたたことを「表」にまとめると、つぎのようになります。

    私     存在範囲     存在時間   自己自覚   生命概念に
1.自我意識   唯一自分      一瞬     最もあり     入る
2.肉体      唯一自分     約80年     あり       入る
3.精神情報   人類全体    2千年以上   一部あり     入る
4.DNA      生命全体   40億年以上    なし       入る
5.原子      地球全体  100億年以上    なし      入らない
6.エネルギー  宇宙全体      永遠      なし      入らない

 エッセイ104から今まで延々とお話してきたのは、実はこの表を完成させ、それ
を皆さんにも納得して頂きたかったからでした。
 「私」というものは、このように色々な次元で考えることが出来るのです。

 ところで、上の表の中で「どれが本当の私なのか?」という、疑問が起こるかも
知れません。
 しかしながら、上の表のどこにも「うそ偽り」はありません。だから、どれもが「本
当の私」なのです。
 逆に、
 「本当の私とは、自我意識としての私だけだ!」とか、
 「本当の私とは、肉体としての私だけだ!」
と、一義的に決めつける方が、「うそ偽り」になってしまうように私は思います。



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