「私」とは何か 3       2004年2月29日 寺岡克哉


 前回までのエッセイ104と105では、
 1.自我意識としての私
 2.肉体としての私
 3.精神的な情報としての私
 4.DNAとしての私
 5.物質としての私
 6.エネルギーとしての私
のうちの、1から4についてお話しました。今回は、その続きからお話したいと思い
ます。

5.物質としての私
 これは、「原子としての私」です。
 私の肉体・・・ 脳、内臓、筋肉、骨、皮膚などはすべて、結局のところ「原子」から
出来ています。つまりこれは、「私」というものを、すべて原子のレベルに置きかえて
考えるものです。

 ここまで文章を書いて気がついたのですが、2番目の「肉体としての私」や4番目
の「DNAとしての私」も、「物質としての私」だと言ってしまえば、その通りになって
しまいます。
 しかし私がここでお話したいのは、「原子としての私」なのです。だから混乱をさけ
るために、これから以後は「物質としての私」を「原子としての私」に改めさせて
頂きます。


 ところで今までお話してきた、1番目の「自我意識としての私」から4番目の「DNA
としての私」は、「生命としての私」でした。
 確かに、2番目の「肉体としての私」や4番目の「DNAとしての私」は、物質的な
要素の大きな「私」です。しかしこれらは、「生命」という概念の枠組みに入れること
のできる「私」です。
 しかし「原子としての私」は、「完全に死んだ物質」としての私。というよりは、すで
に生命の概念から逸脱している「私」なのです。
 だから「原子としての私」には、「生きている」とか「死んでいる」という概念が、本当
は存在しません。ただの「原子」として存在する「私」なのです。

 「原子としての私」は主に、水素原子、酸素原子、炭素原子、窒素原子などから
作られています。原子の個数で見れば、99パーセント以上がこれら4種類の原子
で占められています。あとは微量のカルシウム原子、イオウ原子、リン原子などが
あります。
 ところで、私の体を作っているこれらの原子は、1年も経てばすべて入れ
替わっているそうです。

 なぜなら生物は、新しい物質を体内に取り込み、古い物質を捨て去るからです。
これを「代謝(たいしゃ)」といいます。
 例えば私たちは、髪や爪が伸びれば切り、古くなった皮膚は垢として風呂で洗い
落とします。このように体の組織は、つねに新しいものに作り替えられているので
す。
 そしてこれは、体の全体にもいえることで、私の体を作っている原子は1年も経て
ば、同じ種類のべつの原子にすべて置き換わっているそうです。
 もちろん体の内部の組織は、爪や垢などのように「古くなった組織そのもの」が外
に捨てられる訳ではありません。しかし原子のレベルでは、体の内部でつねに交換
が起こっているのです。
 つまり「原子としての私」は、1年も経てば「全く違う私」になってしまうのです。

 しかしながら「原子としての私」はまた、「地球の全体に広がっている私」と
しても、とらえることが出来るのです。

 それは例えば、私の体を作っている「炭素原子」に着目して考えてみましょう。
 「私の炭素原子」は、はじめに大気中の二酸化炭素として存在しています。それが
植物に取り込まれて炭水化物となり、私の口に入ります。あるいは、植物を食べて
育った動物の肉としても、炭素原子は私の口に入ります。
 そして私に取り込まれた「新しい炭素原子」は、それまで体の中にあった「古い炭
素原子」と交換されます。さらにその「古い炭素原子」が、最終的には二酸化炭素
になり、呼吸によって再び大気中に放出されるのです。
 あるいは私の「古い炭素原子」は、糞や垢などの有機物として排出され、他の微生
物などに取り込まれて行きます。

 このように「私の炭素原子」は、地球のあらゆる所に存在していたものが、一時的
に私の肉体を通り抜け、ふたたび地球のあらゆる所に広がっていくのです。
 それらの全てが、「原子としての私」なのです。
 ちょっと不思議な感じがしますが、「私の本質は原子である!」という考え方をどこ
までも忠実に貫けば、このような帰結になってしまうのです。
 なぜなら、一つ一つの原子の立場から見れば、その原子が私の体の中にあるとき
でも、体の外にあるときでも、「同じ一つの原子」はどこに存在しても「同じ原子」だか
らです。
 「私の存在」というものを、すべて「原子の存在」に置き換えてしまえば、必然
的にこのような帰結になるのです。

 だから「原子としての私」はまた、「地球のすべての生命」にも広がっています。原
子の世界から見ても、地球のすべての生命はつながっているのです。

 ところで「原子としての私」は、一体いつごろ作られたのでしょう?
 それは、現在の太陽系が誕生する前、少なくても50億年前よりも以前には作ら
れていたと考えられます。
 水素原子やヘリウム原子などの「軽い原子」は、ビッグバン初期の150億年ほど
前から存在していました。しかし、酸素原子や炭素原子や窒素原子などの「重い原
子」は、それから後に作られたのです。
 それらの「重い原子」は、軽い原子が恒星の内部で核融合して作られました。つま
り、はじめ宇宙に存在していた水素原子やヘリウム原子が、一ヶ所に集まって恒星
をつくり、その星の内部で、酸素原子や炭素原子や窒素原子が作られたのです。

 恒星のなかまでも、とくに「重い星」は寿命が短くて、寿命が尽きると大爆発をし
ます。そして、その星の残がいが再び集まり、新しい恒星をつくります。
 その新しく生まれた恒星が「重い星」ならば、寿命が尽きると再び大爆発をしま
す。しかし、ちょうど太陽と同じぐらいの重さならば、100億年という長い寿命を持
ちます。
 このようにして、現在の太陽系(つまり地球)に存在する原子は、少なくても1世代
か、あるいはそれ以上の世代の恒星を経て作られたはずです。そうしなければ、酸
素原子や炭素原始や窒素原子が、いまの地球に存在するはずがないからです。
 だから「原子としての私」は、少なくても、今の太陽系が誕生する以前には存在し
ていたと考えられるのです。

 「原子としての私」は、太陽の次の世代の恒星で核融合でもしない限り、存在し続
けます。
 太陽が燃えつきても、地球が蒸発してしまっても、それでも「原子としての私」は、
しばらく存在を続けるのです。
 我々の太陽は50億年前に誕生し、あと50億年は存在すると考えられています。
 だから「原子としての私」は、少なくても50億年前から存在し、最低でもあと
50億年は存在する「私」なのです。



6.エネルギーとしての私

 申し訳ありませんが、これは次回にお話したいと思います。



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